異界の魔女と冒険者組合 前編
中立交易都市国家『メルカトール』へと刺激求めた魔女一族の一人、アリステラが入国してから翌日の早朝。
日の出から一時間程過ぎて街全体を太陽が照らし始める頃合い。
第七地区アリバランシアのとある一軒家の主が寝床とする二階の部屋にも、平等に太陽の光は射し込んでいた。陽光は開け放たれた窓から暗い室内を明るく照し出すと、ベッドで眠る者への目覚まし代わりとなって毛布から微かに覗くあどけない寝顔を照らして朝の始まりを告げる。
柔らかな陽光に刺激された瞼がピクリと反応してから薄く開かれていく。すると瞼の下に隠れた寝惚け眼に強い刺激となって襲いかかる朝の日差し。アリスは反射的に瞼を閉じるが、すぐにパチリと瞼を開くとベッドからゆっくりと這い出ながら立ち上がる。
「......ふぁあっ。......まだ少し眠いわね。でもこの家の主としては、もう起きておかないとね。お腹も減ってきたし」
小さな欠伸を一つ付いてから、アリスは自分の格好を見下ろした。
昨夜は疲れ果てていたからそのまま、着の身着のままで眠ってしまい、寝ている間にその衣服はしわくちゃになってしまった。着ていた衣服に皺が寄っていることに気付くと、面倒に思いながらも着ている魔女の衣装である黒いローブを全て脱いでベッドの横に置いてある丸テーブルの上に適当に放り出す。
後でリヒトにでも片付けさせれば良いのだからと、主様々なことを考えながら異空間の黒い穴を生み出し、適当に同じような黒いローブを取り出した。
黒いローブの下には同じ色の黒色の下着を履いており、朝の寝起きで寝惚け眼な妖艶な美女の表情と、その下着姿は扇情的な一枚絵を作り出していた。
すると、アリスは下着も変えておこうかと考え、下着も上下ともに脱いで机の服の上に投げて置いた。
窓から射し込む部屋を照らす陽光が、綺麗な金髪に反射されてキラキラと煌めき放ち、生まれたままのアリスの完成された肢体を艶かしく映し出す。それは、幻想的な美しさを醸し出していた。
アリスは次いでとばかりにパチリと指を鳴らして全身に浄化の魔術を発動し、寝ている間に付いた汚れや寝汗などを全て消し去って綺麗にすると、新しい下着も取り出しながらいそいそと履き出す。当然、色は上下ともに黒色の下着である。
やっとこさ履いて終わると、黒のローブもいそいそと着込み何時もの魔女姿のアリステラが完成する。
次元道具箱の黒穴から全身を見れる姿見の鏡を出して室内に飾ると、一応、自身の姿を確認しておく。これでも女性ではあるのだから、それくらいは彼女でも出来るのであった。
満足げな表情をしたアリスは、ローブを靡かせながら部屋から出ると、一階のリビングルームへと向かう。
リビングルームでは日が出たばかりのこの時間帯に既に起きていた、改造魔神族の従者リヒトが朝食の支度をキッチンで準備していた。
「おはよう、リヒト。部屋にある服とかは後で片付けておいてね」
アリスの挨拶ついでの頼み事を聞きながら、リヒトは主が起きて来たことを確認して、キッチンで既に準備していた珈琲をカップに注ぐとソファーに座っているアリスの下へ運び、ソファーの前に置かれた足の低いテーブルの上にコトリと置いた。
「お早う御座います、アリステラ様。それと、かしこまりました。朝食を用意した後、片付けて参ります」
「ええ、宜しくね?あァ、二階に行くならついでにリリア達も叩き起こして来なさい。朝食が覚めてしまうもの」
「はい、わかりました」
リヒトが朝食をテーブルに並べていくのを眺めつつ、淹れて貰った朝の一杯である珈琲を香りから順に堪能していく。
温かく、それでいて熱過ぎない位の珈琲は、上等な品を使っているのか芳しい香りを匂わせ、喉を鳴らす。
スッと、静かにカップに口付けて一口飲むと、その美味しさに自ずと微笑みが溢れ出す。
準備が終わったリヒトが入り口を出る前に、アリスは珈琲の感想を言う。
「リヒト、この珈琲は中々に美味く出来ているわよ。上出来ね。これからも毎日お願いするから、よろしく頼むわね」
「はい。この身には勿体無きお言葉で御座います。......ですが、有り難く頂戴いたします、アリステラ様」
「ええ、引き留めて悪かったわね。さ、行ってきなさい」
「はい、かしこまりました」
アリスから喜ばれ礼を言われたリヒトは感謝を心から伝えると、二階のいるアリスの所有物達を起こしに向かう。リヒトのその表情は心なしか冷然とした何時もの顔付きから少しだけ、喜びで綻んでいる気もしなくもなかった。
アリスはテーブルの上に置かれた自分の分の朝食を食べようと、並べられた朝食を見る。今日の朝食はカリッと炒めたベーコンを新鮮な葉野菜と玉子を一緒に挟んだサンドイッチと、煮込んだ野菜とお肉の入った湯気の立つ白く美味しそうなホワイトシチューが並べられていた。
アリスが朝から多量の食事は好みじゃないと知っているリヒトが、これだけで満足できる量をちゃんと配慮して作り置いたのである。それに気付いたアリスは従順で気の利いた従者に微笑する。
転生してから今まで続けてきた食前の礼をしてから、食事にはいる。
「いただきます」
美味しそうな料理を食べていると、二階からドタドタと足音が聞こえてくる。
リビングに茶髪の少女リリアと黒猫のシュバルツが走り込んでくる。その後ろから冒険者『鋼竜の剣』の女性二人組がリヒトと一緒にゆっくりと入ってくる。
寝癖で茶髪があちらこちらに跳ねているリリアの髪の毛と、片側だけ毛が潰れて平らになっているシュバルツの黒い体毛。
それらの惨状を見てから、アリスは溜め息を一つ漏らした。
後ろに立っている鋼竜の剣所属の女性二人組に視線を向ければ、確りと朝早くに起床してから身支度していたのは、寝癖もなく服も着替えてあるのを見れば理解できた。
それに比べて、リリアとシュバルツは寝癖まみれに加えて衣服も昨日のままで着替えてすらいない。シュバルツは仕方ないしにても、リリアは着替えたおくべきだろうと理解できる。後ろから最後に入ってきたリヒトがリリア用の衣服を片手に持っているのが見えるので、それが答えなのだろう。
リヒトはアリスに制限付きではあるが次元道具箱の使用が許可されており、その中にある食材で調理をしたり、リリアの着替えを取り出したりしていたのである。しかし、リリアはつい先程起きたばかりの上、着替えも朝の身支度もろくにせず朝食めがけて突撃して来たのだろう。
一応は所有物であるなら、リリアにもそれらしい格好と態度を示さねばならないのであり、説教をしようかと考えるアリス。
そこで、横から別の怒る声がリリアとシュバルツを襲う。
「こら!リリアちゃんにシュバルツ。ちゃんと朝の身支度くらいはしなきゃ駄目でしょう!?......特に、リリアちゃんは女の子なんだからそこは気にしなさい。それと、二人には主の品格が疑われることも考えて、少しはそれらしい格好をするように心掛けることよ。良いっ、わかった!?」
「はひぃっ?!ぅえっ、はいぃ!」
『うわぁ?!ぅえっ、僕まで!?何でさ!』
「貴方もここの住人になっているのでしょう?なら、確りと使い魔らしく清潔になさい!いいわね!?」
「はひぃ!わかりましたぁ!!」
『はぃい!わかりましたぁ!!』
唐突に叱られた一人と一匹は、説教に反抗したが直ぐに敗北して従っていた。
その説教をしたのは、冒険者の女性二人組の一人、ショートカットの黒髪に深紅の前髪が一房あり、それと同じ深紅の瞳を持ったつり目の美人さんだった。名前はまだ聞いてないが、東方の出身だろう和装の浴衣を近接戦闘用に改造して片口から袖のない着物を着ていた。
その着物は丈が短く、ミニスカートにもワンピースにも見えて、強気な彼女らしい可愛らしさ見せていた。
横には、彼女と同じパーティー所属の少し怖がりな美少女が昨日と似たローブを羽織って後ろに控えている。
彼女は余程お腹が減っているのか、セミロングの青髪から覗く緑色の双眸はリヒトの作った美味しそうな朝食に釘付けになっていた。それだけでなく、半開きの口元からは涎がタリッと垂れてきている。残念な美少女感が半端なく匂っていた。
アリスは説教を黒髪美人さんに取られたので、仕方なく横に立つ青髪の腹減り残念美少女をちょいちょいっと手招くと、彼女は嬉しそうな表情になってトコトコとこちらに歩いてくる。
ソファーの横に椅子を一つ並べて置くと、そこに残念美少女を座らせてからリヒトに彼女の朝食を準備させてる。
残念美少女は目の前に用意された朝食を嬉しそうにモグモグと食べ始める。
見ているこちらの方も嬉しくなりそうな嬉々とした表情を振り撒いている残念美少女だった。
それに気付いたリリアとシュバルツが一緒に叫び声を上げる。
「あぁー!ずるいですよ、ルゥちゃん!私も一緒に食べたかったのに、むぅうーっ」
『そうだぞ、ルウ!この裏切り者めぇ!』
「あら、そんなことは別にどうでも良いわよ。だって、彼女達も私の所有物の一部ですもの。それよりも貴方達は、彼女の言うことをちゃんと聞かないといけないんじゃなくて?」
「あっ!?」
『げっ!?』
リリアとシュバルツは焦り声を出してから、そろーっと後ろを振り向いた。そこには、説教の途中で無視されて般若の如く恐ろしげな顔を作る、黒髪の美女が仁王立ちしていた。恐怖で固まった一人と一匹は、声にならない叫び声を上げる。
それからつらつらと長い説教を怒声と共に受けることとなった。
呆れたアリスはふと視線を感じて、窓の外を見てみる。
そこには、昨日の夜から放置していた護衛の冒険者達がいた。飢餓に襲われて死屍累々となっていたが。
「......物欲しそうに覗いき込んで、一体どうしたのかしら、バルキオ?お腹が空いたの?」
リリアとシュバルツの要求を無下もなく却下してルウと呼ばれた少女を然り気無く庇った後にアリスは、窓の外から仲間と共に飢えて死にそうな顔で朝食を血走った眼で見続けるバルキオに問いかける。
バルキオは痩せこけた表情をして懇願する。
「......た、頼む。飯を、飯を食わせてくれ......それか、食いに行っても......いいか?じゃなきゃ、飢え死にする......」
「バルキオの言う通りだぜ......姉御、頼んまさぁ、飯をくれぇ......」
「......はら......へ......った......」
「案外、余裕あるんじゃない?まァ、別に食事くらいなら食べに行っても良いわよ。それ以前に、昨日の夕食を食べてないだけでしょう?大袈裟ねェ、貴方たち」
アリスは所有物達の相変わらずな体たらくに溜め息を吐いて、食べて終わった朝食の食器を横に立つリヒトに片付けさせてから、珈琲のお代わりをもう一杯頂くと優雅に食後のティータイムとする。
そんな無体なアリスにバルキオは叫ぶ。
「いや、依頼されたのが昨日の昼前でよ、それから何も食ってねぇんだよ!」
「くっ、どれもこれも全部、依頼してきたラムニアドの大馬鹿野郎のせいじゃねぇかよ!」
「今度会ったら袋叩きにしてやる!」
怒りの矛先が主である自分から依頼したラムニアドの方に向き始めると、そろそろ限界かなとアリスは微笑しながら判断する。
仕方なく、朝食をリヒトに用意するように言付けると、バルキオ達にテーブルを庭先に隣の一緒に買い取った三階建て位の空き家から運んで来るように指示をする。
「朝食が終わったら冒険者組合に行きましょうか。ほら、黒髪のお嬢さんもリリア達もさっさと食べなさい?リヒトの作った朝食が冷めてしまっているわよ?」
「あっ、はーい!」
『やった、やっと朝ご飯が食べられるぞ!なぁ、僕の分もあるんだよな?』
「あるから、さっさと食べてしまいなさい。早く食べないと、貴方を丸焼きにして食べるわよ?」
『うわっ、怖いこと言うなよ!お前ならやりそうで本当に怖いんだよ......ううぅ、リリア~ッ』
アリスの脅しに怯えたシュバルツはリリアの後ろに逃げ込むと、アリスの視界から隠れながら助けを求める。
リリアは涙目のシュバルツを見てからアリスの方を向くと、可愛らしく眉をハの字につり上げて怒る。
「もぅ、アリスさん!駄目ですよ、シュウちゃんにもう少しは優しくしなきゃ。一緒に暮らす家族なんですから」
「家族というよりもペットの意味合いが近いと思うけれどね?......まァ出来る限り善処はするわよ」
「はいっ。そうしてくれたら私も嬉しいです!......ふふっ」
そんなアリスとリリアのやり取りを見てから安心したのか、シュバルツは早速リヒトが目の前に置いてくれた小皿に乗った料理に金の瞳をキラキラと輝かせて涎を垂らしながらリリアを見る。もう食べても良いの?と視線で聞いていた。
リリアが優しげに微笑み頷くと、シュバルツは満面の笑みで喜ぶとご機嫌を表して、尻尾を左右にフリフリと振りつつも勢いよく朝食を食べ始める。
リリアも朝食を食べながら、シュバルツの頬に付いたご飯を拭き取りながら、微笑ましげに自分もご飯を食べ進める。
外では、バルキオ達が空き家から持ってきたテーブルを三個ほど合わせて、リヒトに料理を運んで貰うと物凄い速さでガツガツと貪り喰い出す。余程お腹が空いていたのか、運ばれてくる料理を奪い合いながら食べ尽くしていく。
外で食べている彼等の品の無さを嘆きながら、アリスはリビングで共に食事を摂る二人組の女性冒険者をチラリと見る。
黒髪の美女は呆れて視界に彼等の姿を入れないように、朝食を気品溢れるマナーを用いながら食べていた。何処かの貴族出身なのだろうか。いつか聞いてみようと画策しながらもう一人を見ると、年の近いルウとリリアはお喋りをしながら食べており、食べ方や口の回りも綺麗ではある。横で品のある食事マナーを当然の様に使いながら食事を摂る、彼女の指導の賜物だろうか。
「さてと、今日は冒険者組合で何か面白いことでもあるかしら?......ふふふ」
アリスは珈琲を飲み干すと、愉しげに微笑んだ。
◆
食事を終わらせたアリスは他の者達が食べ終わるのを待つと、リリアと鋼竜の剣を連れて冒険者組合に向かっていた。
場所は大商路の中央広場がある場所に商業組合の反対側に建てられてある。
冒険者組合から回ってくる素材や情報の売買を、商業組合がすぐに対応できるように近場に造られているのである。
通りには様々な店が開店前の準備をし出しており、皆が早く起きて活動している。それは、交易都市の商会が詰まった都市としての朝の風物詩になっているのである。
そんな光景を眺めつつ先を進むと、そこに古くとも頑丈そうな建物が商業組合の正反対に建っていた。
目的の冒険者組合は、商業組合が綺麗で最近の建築様式を採用している建物に対して、威圧的な堅実さと頑丈さを優先させて建築された冒険者組合の建造物は、古風な建築様式なのがみてとれる。
そんな威厳ある冒険者組合にアリスはリリアと鋼竜の剣を連れ立って堂々と入る。
予想通りに組合の中は広く作られ、入り口から左側に受付カウンターがズラリと並び見目麗しい綺麗どころの受付嬢達が冒険者達の相手をしている。
反対の右側には酒場が併設されており、依頼帰りの冒険者達が打ち上げをしている姿や、依頼を持ってきた仲間と軽食を食べながら依頼内容の相談している姿も見える。
朝早くだからか、目の前の奥にある依頼札の張られたボードの前には沢山の冒険者が依頼の品定めと奪い合いをしていてる。ボードは受付に近いほどランクの高い依頼札が張られてあるのか人が少なく、反対に受付から遠いほどランクの低い依頼札が多く張ってあるのか、人が多く集まり冒険者の階級が一目で解る光景だった。
争い奪い合う冒険者は低級の者達が多く、少年達から大人の冒険者が奪う姿も見えるが、アリスは気にせずその冒険者達の喧騒を悠然と眺める。
それら久しぶりに見聞きする雑多な喧騒と、肌で感じる暴力的な熱意にアリスはさも愉しげに妖艶な微笑みを作る。
そんな冒険者達は、入り口から現れて妖艶な微笑みを魅せ付け、黒いローブで覆う豊満な肉体は隠し切れず艶かしい曲線をローブの上から主張する肉感的で完璧な肢体を持つ、美しくも妖しい魔女に一目で魅了されて視線を釘付けにしていた。
同僚達で美人慣れしている筈の受付嬢達すらも、つい魅入ってしまっているのだから、男の冒険者にとってそれは仕方のないことだろう。
だが、それらの状況を理解しない馬鹿がいるのが冒険者組合である。
酒場で飲み食いしながら酒の入ったジョッキを掲げて下品に笑いアリスに話し掛ける者が居た。
「ぎゃはははは!......おいおい、なんだよ、何処の別嬪さんだぁ?子供連れたぁ、未亡人かよ?ちょっとこっち来て一緒に飲もうぜぇ。胸も尻もデケェ美人の姉ちゃんよぉ!ぎゃははは」
「お、おい!やめろ、馬鹿!」
「あぁ!?うるっせぇな、俺が呼んでんだからいいんだよ!たく、役立たず共は黙ってろや!おい、姉ちゃんよ。早く来いや!Bランク冒険者のガルド様が呼んでんだぞぉ。喜んでこっち来て酌でもしろや!ひゃはははっ」
汚ならしい罵声を上げるのは姿も汚い冒険者の男で、それを止めようとするのは同じテーブルに座る冒険者の青年。
テーブルには打ち上げをしている冒険者達も同席しているが、汚物の男を除いて皆が一歩引いて静観していた。それどころか、彼を止めようとする冒険者の青年は頭の悪い汚物の男に罵倒で返される。
男はアリスを厭らしい眼で嘗め回すように見る。
頭は禿げ上がったつるつるの頭部に、眼光は鋭いが酔って真っ赤な顔は醜く厳つい顔付きを更に汚ならしくしている。無駄に筋肉に覆われた肉体は汚れたシャツと皮鎧を着込み、冒険者らしくは見えなくもない。
その厳つい顔と相まって恐ろしげに見せるのだろうが、アリスにとっては子供が意気がっている姿にしか見えず、クスリと笑いが溢れてしまう。
男はアリスがこちらを見てから笑ったのに気付いて、酒で赤くなった顔を頭の天辺まで赤くしたから立ち上がると、テーブルの横に立て掛けていた二メートル近い戦斧を持ち上げる。
「おい、テメェ! 今、俺のことを見て笑いやがったな! 生意気な女だっ。今から躾てやろうか、あぁ!?」
「ふふ。小さな男。女一人にそんなに意気込んで、器が知れるわよ?ま、そんだけ小さな器なら、さぞかし貴方のアレも小さくて可愛らしいのでしょうね。貴方と同じようにねェ?ふふふっ」
「~~~~っ!!?テメェ、覚悟しやがれ!ぶっ殺してやらぁ!」
怒りで頭の中を殺意で埋め尽くした男は、怒声と共に武器を振るい上げながら突進してくる。
アリスの後ろのすぐ側に居たリリアは怒りで恐ろしい表情をした戦斧を振り上げて突撃してくる男を直視してしまい、思わず「ひぃっ」と恐怖で叫び声を漏らして、アリスのローブにひしっと抱き着いて隠れようとする。
後ろで不快げな顔をしていた鋼竜の剣のパーティーメンバーは、バルキオが背に提げる大剣を掴みながらアリスの横に並び立つと掴んでいた武器を話して傍観を決め込んだ。
バルキオはアリスに一瞬だけ視線を向けると、判断を仰ごうとした。
刹那。
その視線はアリスの顔で固定されてしまい動けなくなる。
何故なら、アリスのその表情は昨夜の自分達を蹂躙した時と同じ、絶対強者が下等生物を見下してなぶり壊すことを狂喜する愉悦で口元が左右に裂けて恐ろしい笑みを浮かべていたのだから。
その笑みを見た周囲の者達もこの女が唯の見た目通りの女ではないと、確実に感じ取り、気付いた。だが、それに気付くことなく怒りで我を忘れた馬鹿な男は戦斧を無造作にアリスの頭へと叩き付ける。
普通なら華奢な女の頭部が戦斧によって粉砕されて砕け散り、赤と黄色の脳髄や血液がこの場所で撒き散らされる筈だと思うだろう。しかし、この場でそれを思うのは戦斧を降り下ろした馬鹿な男ただ一人である。
「はっははは!どうだ、この俺様の一撃は......ぁ、ああ?......はぁ!?な、なんで効いてねぇんだよ!てか、片手で俺の戦斧を押さえただとぉ!?」
そう。
彼の自慢の戦斧をアリスは片手を上げて親指と人差し指、中指の三本で押さえ込んだのである。
驚愕で酔いが吹き飛んだ男は、眼前の戦斧を掴む女を目を大きく開きながら見詰める。
アリスは戦斧を指の力だけで砕け散らすと、言葉にならずに口パクを繰り返す目の前の男の額に、その戦斧を砕いた強靭な力を宿す指でデコピンをしようと向ける。
恐怖で叫び声を上げた男は尻から倒れ込むと、涙と鼻水で顔面を更に汚ならしくしながら土下座で謝罪の言葉を何度も繰り返し叫び続ける。
「うぁああああっ! す、すまねぇ!悪かった!俺が悪かった!......だ、だからっ、許してくれェ!......い、いのち、命だけは勘弁してくれ、頼む!許してくれぇ!悪かった、もうこんな馬鹿なことはしないと約束するから頼む、命だけは助けてくれェ!!」
アリスは片方の眉をつり上げて呆れた表情になると、今だに怯えて引っ付くリリアの頭を軽く撫でると、聞いてみる。
「ねェ、リリア。優しい貴方ならこの汚物の謝罪をどうするかしら?貴方の意見を聞きたいわ。怯えさせて女を力ずくで手に入れようとする様な汚物は、殺すほうが世界のためかしら?......それとも優しい貴女は、汚物の所持品と有り金を全部を謝礼として受け取ってから許すのかしら?......どちらを選ぶのかしら」
リリアへ汚物の処罰を決めさせる質問の中で、然り気無くアリスは謝礼と言いつつ盗賊の如く毟取る発言を混ぜる。リリアは顔を上げて少し涙目だったが、なんとか目の前に土下座して謝り続ける男を見据えると、アリスに答えた。
「......あの、えっと。もうこれからはしないって約束してくれるなら、許しても言いと思います」
「ほ、本当かお嬢ちゃん!」
「......えっ、と。あ、はい。アリスさん、どうでしょうか......駄目でしたか?」
リリアは顔をあげると、アリスと目を合わせて聞いた。
リリアに嘆願が届くかもと憐れを誘う表情で必死な男がアリスに視線を向ける。
アリスはリリアを一瞥してから汚物の男に告げる。
「優しさの塊であるリリアが言ったから、この今の一度のみ、許してあげるわ。勘違いしないようにね?これから一生、貴女はおなじことをした時、私のかける呪いによって惨たらしい死に様を晒すことになるから、気を付けて生きることね」
アリスは土下座してこちらを見上げる男に指をパチリと鳴らして、オリジナルの魔術【罪禍の神罰】を発動する。
罪禍の神罰は特定の条件を指定して、それを破る行動、発言を行った場合に神罰を行使する『神星属性の禁呪系統魔術』である。
星命体に於ける序列最高位【神星霊王種】の司る神属性は、星命体が行使する次元の異なる概念・事象系統に属する魔法。
禁呪系統魔術とは、国家規模の災害をもたらす可能性を有する、危険指定された魔術である。
「この魔法は罪禍の神罰と言ってね。特定条件を破った者を神の名の下に天罰を降して処刑する、神の魔法よ。貴方の場合は今の言ったことを守らなければならなくなった。さァて、何時まで守りと押せるかしらねェ?破れば貴方の命が消えるだけだから、別にどうでも良いのだけれどね?」
「ひぃいいいいいいっ!!!?」
それを片手で発動したアリスは、哀れな男に罪禍の神罰を簡単に説明してから目の前から消えるように手を振るい追い払う。
男は恐怖と絶望で半泣きになって、冒険者組合から転げ回るようにして逃げ出していった。その後の彼がどのような人生を歩もうが、アリスには欠片も興味はなく、もう既に頭の片隅から抜け始めていた。
アリスは着ているローブを強く掴むリリアの手をゆっくりと強張って固まる指を一本ずつ解いてから、優しげにその茶色の髪を撫でる。
「リリア、もう大丈夫よ?......どうしたの? そんなに怯えて......」
「......。......っ」
「......リリア?」
リリアはアリスの与えてくれる優しさに目を細めて気持ち良さそうにする。
貧民街で暮らしていた頃と比べると、天と地ほどの幸せの差が目に見えて、体と心で感じてしまう。それについ、リリアの瞳から透明な滴が落涙する。
ぽろぽろと零れ出していく自分の意思では止められないその涙を、両手で押さえ込もうとするリリアに、アリスは手を軽く掴むと自分へと引き寄せ抱き締める。
「......あ、うぇ、あうう、うっく、ひぐっ、ぐすんっ。......ご、ごめんなさ、なさいっ。な、涙が止められなくて、ぅえっ、ひっく、ぐすっ」
「構わないわ。零れてしまうのは仕方ないもの。全部、いま出したい分だけ出してもなさい。悲しみの感情は誰にも止められないものだから、ね。......もう、貴女は一人ではないのよ。安心して、今ここで孤独とはお別れするのよ。さ、存分に泣きなさい。私が受け止めてあげるからね」
「~~~っ!!!うぁ、ああぁあっ、ああぅぐっ、ひぐっ、ぐす、うぁああああっ、うえぇええんっ!!」
「ようやく、貴女の本当の涙を見せてくれたわね。貴女を貧民街で助けて拾ったのは偶然だけれど、それでも、こうして一緒に暮らして家族になるのだもの。本音で解り合いましょう?それが、家族だものね」
「うっく、ひぐっ、えぐっ......。わ、私なんかが、家族に、なっ、なってもいい、良いんですか? ひっく、ぐすっ。だって、だって私は、気付いた時から貧民街で生きてる孤児で、いつも孤独で、誰も助けてくれなくて......でも、死にたくなくて......いつか、誰かが迎えに来て、助けてくれるんじゃないかって......ずっと、ずっとそう信じて生きてきて......でもっ、誰も来てくれなくて......汚くて暴力を振られても逃げて隠れて、何とか生き延びて......食べる物が無いから、路地裏のゴミ漁りだってした、こんな私がっ......誰かの家族になんて、なれるんですか......なっても、いいんですか......っ! 生きる意味もなくて、どうすれば良いのか解らない、こんな私に......っ!!」
アリスの優しげな全てを包み込む母性と慈愛を感じさせる温もりと言葉に、出会いから今ようやく、無意識の内に押さえ込んで我慢していた孤独への恐怖と幸せへの喜びが混ざり合って、涙となって溢れ出す。
涙と鼻水で顔中を汚しながら、それでも何とか伝えたいことをアリスに叫び伝える。だが、想いを打つけてもアリスはずっと、優しく抱き締めてくれていた。
「そう、そうね。昔、貴方のような子供がいたわ。生きる意味が分からず、でも死ぬことも出来ない、そんな子供達がいたの。私の今は亡き夫がね、言ったのよ、その子達に。......何て言ったか想像できる?」
「......何て、言ったんですか?」
「ふふ。あの人はね、僕の家族になろうって。それから、生きる意味を一緒に探して見つけていけばいいんだってね。そう、子供達に言ったのよ」
「......生きる意味を、一緒に探して見つけていけばいい......じゃあ、アリスさんも、一緒に探してくれるんですか?......こんな私と......」
「ええ、勿論よ。だって貴方は私の家族になったのだから。それくらい、手伝うわよ?」
「......っ、アリスさん!あり、ありがとう......ございますっ。こんな私の、家族になってくれて......っ」
リリアはやっと、自分の居ても良い居場所を見つけることが出来た。
それが、家族のいる、温かい場所であり、この出会いはリリアにとって新しい生の始まりとなった。
泣き叫ぶのは収まったが、アリスのくれる温もりと愛情が心一杯に満たされて、嬉しくて流れ落ちる涙が止まらない。
それは嬉しくて落涙する喜びの証。
リリアの髪を撫でながら、アリスは優しい眼差しでリリアを見詰める。
二人の語る壮絶な身の上話を、冒険者組合に来ていた全ての者達が聞き、理解した。
突然、この場所に現れた一人の美女が冒険者に絡まれて起きた争いが、圧倒的な美女の持つ膂力によって終わらされると、貧民街で暮らしていた優しい心を持つ孤独な少女と義理と思われる女性との血の繋がらない母娘のような心暖まる家族の愛情劇が、冒険者組合の入口で起きた一連の出来事であると。
受付嬢の彼女達は涙で書類が手につかなくなってしまい、ハンカチを取り出して涙を拭っている。
冒険者達は孤独な少女が義理の母と出会い、温かく迎えられた家族愛を見せられて女性冒険者達は涙を流して見守り、男性冒険者達はよかったなぁと頷いていた。
そんな生暖かい空気が漂っているのを気付かないリリアは、存分に嬉し泣きを終えると、涙の滴が残る綺麗な瞳でにっこりと笑顔を見せた。
アリスもそのリリアが見せてくれた笑顔が、最初に出会ってから初めて見せた、純粋に心の底から笑顔を作れる表情であると分かると、優しげに微笑を返した。
アリスはリリアの髪を撫でながら、迷惑をかけてしまった冒険者組合に居る全ての者達に謝罪をする。
「ごめんなさいね。絡まれて冒険者を一人叩き潰してしまって。それと、この子はリリアと言うの。新人冒険者になるから、宜しくしてくれると嬉しいわ」
「あ、えとっ、ごめんなさい!」
軽く目を伏せて謝罪をするアリスの横で、自分のせいだったと理解したリリアは、同じように頭を下げて謝るリリア。
感動の物語を見せられた冒険者組合の者達は、謝罪に対して気さくに返してくれる。
「気にしなさんな」
「別に良いってことよ」
「いいもん、見させてもらったからな」
「宜しくな、新人のお嬢ちゃん」
「リリアちゃん、お姉さん達と一緒にパーティー組みましょう!」
「おい、新人同士で組むべきだろ!」
「ガキ共は黙って寂しく同じ野郎とでも組んでなさいよ!」
「そうよそうよ!......それと、あの、お姉様って呼んでもいいでしょうか!」
「ちょっ、ずるいわよ、勝手に!私もお姉様って呼びますね!」
「なんだなんだ、美女に女共の方が惚れ込んでやがらぁ」
「そりゃ仕方ねぇよ。あんだけの別嬪さんがまさかのBランクを片手間だぜ?そりゃ、惚れ込んじまうわな。ははは」
様々な声が喧騒を作るなかで、リリアは聞き捨てならないことが聞こえてた。
先程のアリスの謝罪の言葉の中に、私を冒険者にすると周囲に告げていなかっただろうか、と。
貧民街での生活は襤褸屑の布切れを纏いながら、その日の食料も用意できずに食品店や料理屋、宿屋の出している生ゴミの入ったゴミを漁っては食べられるものだけ食しては繰り返し嘔吐する。そんな最低な人生を歩んでいた、今を生きることすらやっとの華奢で儚げな少女に、彼女は何をさせると言ったのだろうか。
リリアは震える声音でアリスに問うた。
「......あ、あの。アリスさん? 気のせいでなければ、今、私が冒険者になるって聞こえたんですけど......」
「ええ、そうよ。ただ家に住まうだけなら使い魔モドキの黒猫でも出来るもの。それなら、弱者の立場を改善する為にもリリアには強くなって一人でも生きていられる、そんな当たり前の強さを手に入れてもらうわ」
「......っ! アリスさんが居てくれるなら、他には何もいらないし、言われたことは何でもします。でも......だから、また一人ぼっちになるための力なんて嫌です......っ。だって、一人で生きられるなら、アリスさんとお別れしなくちゃいけなくなるんですよね?......だったらっ」
焦燥のままにアリスと別れるかも知れなくなる力を手に入れることを拒絶し叫ぶリリアだった。
いつも孤独で寂しく一人でいることに泣き叫ぶことすら許されることはなく、ただ一人で生きてきたあの闇の中の生活は絶望と恐怖が混在する死の次に恐ろしいものであった。それにまた逆戻りしてしまうかもしれない。それなら、そんな生活に戻る力なんて要らないと、リリアはアリスを強く睨む。その瞳は涙で潤み、今にも滴が零れてしまいそうな程、両の目にまたじわりと涙が溜まっていく。
アリスはきょとんとしてから、リリアが勘違いをしているこもに気が付く。
クスリと笑うと、リリアの頭の上に手を置いてから優しく撫でる。
「何を言っているのかしら。貴女はもう私の所有物であり家族なのよ? 勝手には何処にも行かせないし、一生、私と共に生きることになるのだから。だから安心しなさい、リリア?」
「......はいっ。...ぐすっ。でも、それじゃぁ、冒険者になってから私はどうするんですか?」
純粋に気になったリリアはアリスに聞いてみる。
アリスはぽんっとリリアの頭に手を乗せた。
「それはこれから生きていく中で、模索して見つけていけばいいのよ。私も手伝うのだからね?」
喧騒が戻り冒険者組合はアリス達に注目を集めながらも、日常を繰り返す。
何人かの新人冒険者パーティーを組んでいるリリアと同年代か少し上の年齢をした少年少女達が、何時もなら簡単な依頼を手に、すぐに組合から飛び出して行く所を今回は新人冒険者が一人増えることにそわそわとしつつ、眺めて声をかける機会を待っているようだ。
他にも、お姉様呼びを求めて来た女性冒険者パーティーの者達も似たように、アリスの用事が終わるのを待っている。
男性冒険者達は美女であるアリスにこぞって声を掛けるよりも、その後ろを付き従う有名な冒険者パーティーに視線を向けていた。
本来、この第七地区に来ている冒険者の中では五指に入る程の実力者メンバーで、そんな上位冒険者パーティーの『鋼竜の剣』が何故に彼女達と居るのか、それが気になっていた。
じろじろと見てくる冒険者達の視線にリリアは恐縮してびくびくしていた。更には先の件で恥ずかしさの余り、顔を赤面させてアリスにぴったりとくっついて離れない子供の可愛らしい一面を見せて周囲は穏やかな気持ちになっていた。
それらの視線や喧騒を放置してから、アリスはやっと本題に入れると受付に向かう。
受付カウンターに居た受付嬢は緑色の瞳を丸目に浮かべ、茶髪のショートカットの頭上には髪色と同じ色をした可愛らしい猫耳をピコピコとさせる、人に最も近い亜人種の美少女だった。
年齢は十代半ば頃で、顔は受付カウンターの中では中々可愛らしい系統で勝っているように見える。他にも綺麗所や妖艶な受付嬢が存在するので、全体で序列を付けるなら、彼女は中間の位だろう。 だが、この亜人種の美少女は受付カウンターでトップスリーに入るレベルのモノを持っていた。
それは、すらりとしたモデル体型の体に似合わず、豊かな双丘がその受付嬢の可愛らしい制服から激しく主張しており、欠伸を一つ付くそんな動きでたゆんたゆんと揺れては自己主張をしている。
更に、猫耳美少女の受付嬢は童顔というアンバランス差が小柄な巨乳美少女を体現しているのである。
男性冒険者達がじぃーっと直視し続けているのも無理はなく、アリスは自分の持つ歩く度に揺れている爆乳にも、相変わらず視線を感じているのでこれは世の女性全てに必ず付いて回る男性の性なのであろうと諦めている。
そんなことはどうでも良いのか、目の前に座る猫耳受付嬢は、アリス達が来たのに気付くと、当たり前のように笑顔を作ると微笑んだ。
「メルカトール第七冒険者組合アリバランシア支部です。今回は初の冒険者入りでしょうか?」
「ええ。この子を冒険者にしてほしくてね。それから、私の組合証も更新し直して欲しいのよ。何分、遥か昔の旦那と旅してた時のままだからねェ」
「はぁ、分かりました。では、先ずはこちらの少女から組合証を作りますので、書類に記入をお願い致します。その間に貴方様の組合証の更新を行いましょう。それで宜しいでしょうか」
「ええ、構わないわ。あと、この子の書類は私が書くけど良いわよね」
「はい。代筆ならこちらでも可能ですが、それはよろしいので?」
「ええ。家族の分は家族でするわ。いいでしょう、リリア?」
「あ、はいっ。お願いします、アリスさん!」
「畏まりました。では、こちらに記入をお願い致します。それと、組合証をお出し下さい。再更新を行いますので」
商業組合と似たような記入書類を渡されてアリスはカウンターに置く。それから、次元道具箱の小さな黒い穴を生み出して昔使っていた数千年前の古いカードを受付嬢に渡した。
ボロい組合証を見てから怪訝な表情をした受付嬢は、気にせずに再発行をするべく席を立とうとした。その移動前にちらりと組合証の記入された情報を見ると、驚愕することが書かれていた。
その組合証にはまず、この大陸共通の神星大陸歴が数千年もの遥か昔の年数が刻まれていた。そして、名前の下には種族と年齢、性別があり、そこには魔女一族と書かれているのである。
受付嬢は驚愕で口をポカンと開けたまま、アリスの方へガキンガキンッと壊れて油のさした方が良い機械の様な動き方で顔を向ける。
それに気付いたアリスが、書類に記入をしながら先に答える。
「驚くのも無理ないけれど、仕事はちゃんとして欲しいわね?」
「ぁ、ええと。すいません!今すぐに更新してきます!」
ぱたぱたと足音を軽快に鳴らしながら奥に小走りで向かう猫耳受付嬢。
それに驚く周囲で仕事をしていた受付嬢や事務員達。しかし、猫耳受付嬢はそれらを無視してさささっと移動して組合長の執務室へと向かう。
大体の展開は予想できるアリスは、更新ついでに何処かの執務室へと向かう受付嬢を止めることもせずに、書類の記入事項をさっと書き終わらせた。
「これで終わりかしらね」
「はい。私も名前と大体の年齢くらいしか知らないので......これで一応、終わりだと思います」
「まァ、後は貴女の組合証を発行するのと、私の組合証の更新かしらね。でもその前に、面倒事がありそうだけれどね」
「そうなんですか?アリスさん」
「ええ。今の受付嬢が向かった先は多分、この冒険者組合の組合長がいる執務室じゃないかしらね?魔力の高いのが三つほど集まって何やらコソコソと話し合いでもしてるみたいだもの。さァて、どうなるかしらね?......ふふふっ」
「あ、アリスさんがまた愉しそうな怖い笑顔で笑ってる......」
アリスは面白そうなことが起きないかと期待して、リリアと雑談を交わしながら待っていると、カウンター奥にある扉の一つが大きな音をたてながら開いた。
アリス達の相手をしていた受付嬢と組合長と思わしき巨漢の老人が口元を隠したオールバックの白髪と同じ白い髭を片手で触りながら荒々しく開けた扉の奥からその姿を現した。
巨漢の老人と受付嬢の後ろから更に人がぞろぞろと歩いて出てくるのが見える。
一人は金髪碧眼の美青年で、白銀の鎧をその身に纏い純白の刺繍が精緻に縫い込まれた深紅の外套を靡かせながら出てきた。彼の腰には鎧と同じ白銀の豪奢な装飾を施した長剣が携えられており、実力者が放つ強者の風格をその優しげな表情とは違い全身から放っていた。
白銀の聖騎士な外見をした彼の、後ろから仲間だと思われる二人の男女が追随して姿を現した。
一人は戦士のような身の丈は越える四メートル近い大剣を背に提げる、厳つい顔をした頑強そうな全身鎧を着込んだ男で、もう一人は深緑のローブで全身を覆い隠している女性。その裾からは艶のある白魚の如き細腕が露になっていて、両手で持っているのは『精霊樹の白杖』と呼ばれる最高級の魔法杖になる精霊樹を用いて作り出した最高峰の魔法杖である。そんな彼女の風貌は、ローブを被り隠しても微かに覗けて見える、長い金髪に透き通った翡翠の瞳持つ耳の先端が尖る、老若男女が美しいとされている森精霊種であった。
白銀の聖騎士を気取る男は優しげにこちらを見ると、微笑を向けてくる。
後ろからは二人が聖騎士と同じようにリリアを見てから微笑んでくれた。
それに気付いたリリアは軽く手を挙げてからふりふりと左右に振って返す。
聖騎士はそれに大きく頷いて、何かに満足しているようである。
そんなやり取りの中で、組合長らしき巨漢の老人がこちらを睨み付けると、にやりと笑って後ろの聖騎士達冒険者パーティーを連れて向かってくる。
リリアは頭の上に?を幾つも浮かべながら、多分こちらに来るであろう彼等を眺めていた。
「お前さんがあの組合証の持ち主かの?」
眼前に立って問いかけるのは巨漢の老人。
それにアリスはにっこりと微笑み返す。
「ええ、そうよ。それが何か?」
「ちっ、話があるから奥の執務室まで来てくれんか? ......たくっ、どうしてこうもこの街は面倒事が絶えないんじゃろうなぁ?......疲れるわい......はぁ」
付いてこいと言ってから、さっさと執務室まで戻る老人。
だが、巨大な威圧を感じさせる風格や外見とは裏腹に、その疲れきった表情は隠居したいけど出来ないお年寄りにしか見えず、歩く後ろ姿は哀愁が漂っている。
それだけ、この街、と言うよりもこの交易中立都市国家メルカトールが問題を抱え込みやすい性質を孕んでいるのである。
何故なら、メルカトールの東西南北には九つの国家勢力が犇めき合い、メルカトールの中立性を利用して数多の工作員や諜報員に暗部の尖兵が送り込まれては、日夜この街の裏の顔である貧民街で築いた自分達の勢力を拡大して、商合貴族や商王を裏組織を通じることで、血みどろの抗争を代理戦争として殺し合っている始末である。
それらの裏社会に根付いた各国各勢力の暗部組織は、隣接するメルカトール各地区に本拠地を置いて各地区に侵入を繰り返しては情報収集に敵対勢力への攻撃を続けている。
しかし、メルカトール政府である商王及び商合貴族はそれらの各勢力が貧民街の裏社会に根付かせた暗部組織を利用すべく、賄賂や技術漏洩、情報交換などによって協力関係を深く築いてしまい、メルカトールにとってはこの状況は既に取り返しのつかない現状へと昇華されてしまっているのである。
それどころか、メルカトール政府にとっては私腹を肥やす為に使える、有能な手駒として認識しており、率先して賄賂などで協力関係を強めて貧民街の闇を深く濃くしてたのであった。
そんな、裏事情に関することが表にも影響を与えてき始めていて、巨漢の老人は幾つもの面倒事で疲れきり、寂しげな哀愁漂う背中を見せていた。
心なしか、その背中が何処と無く小さく見えるのは気のせいではないだろう。
そんな疲れきった老人の背中を見て、小走りで追い掛けたリリアは、追い付くと背中を優しく擦り、心配そうな表情をする。
「あの、お爺さん。 大丈夫ですか?」
「お、おおぉ......っ、大丈夫じゃよ、心配かけて済まんかったのぅ。もう大丈夫じゃよ! いやぁ、良い子も居るもんじゃなぁ! たく、ここの受付嬢共にも見倣って欲しいもんじゃのぉ!」
祖父と孫のような歳の差で組合長と思われる巨漢の老人は、優しく背中を擦ってくれた少女リリアにあからさまに態度を反転させながら厳つい顔を綻ばせると、にまにまと気味の悪い笑顔になってデレデレとし始める。
更には、周囲で真面目に仕事をしている受付嬢に間接的な文句を垂れる。
リリアは、そんな言い方はしちゃ駄目ですよ、と言いながら受付嬢をフォローする。
それを聞いた組合長は号泣しながら、アリスへと体を向けると、言った。
「この子、儂の孫にしてもいいかのぅ!」
「......いや、駄目だから。何言ってるのよ、この筋肉爺。リリアは私の家族よ。誰にも渡さないから」
「ぬぅううううっ!そこをなんとか!頼む!!こんな良い子は儂が孫にして大切に愛情込めて育てるじゃ!!!良いじゃろう!!?」
「駄目だって言ってんでしょうが!この脳筋爺!人の言葉を少しは理解しなさい!」
組合長はリリアを孫として求めて暴走し出した。
しかし、アリスは珍しく叫びながら返す。
それだけ、リリアがアリスにとっては大切なものになっているのが理解できた。
リリアは自分を取り合って言い合う二人に、喜びながらも申し訳なくてどうすれば良いか分からず、両手をわたわたと胸の前で振りながらあたふたと慌てていた。
「儂ならもっといい生活を与えられるんじゃぞ! それに、こんな良い子は儂の孫にピッタリじゃ!今いる馬鹿孫をやるから儂の孫に寄越さんかい!そして、儂がこの子を育てるんじゃァああああ!」
「だーかーらァッ、言っているでしょう!?リリアはわ・た・し・の!大切な所有物であって大事な家族なのよ!!あげるわけがないでしょう!!!」
アリスはいい加減鬱陶しくなってきていて、そろそろ実力行使で排除しようか悩み始めていた。
それに気付いたリリアは、焦りながらもアリスの方に走り出すと、ひしっと後ろから抱き付くいて、必死になって止めようとする。
「ア、アリスさん!駄目ですよ、そんな力を込めて手を握り込んでたら!暴力は駄目です!」
「......っ、そうね。ちょっと熱くなってたわね」
「はぃ、少しだけ怖かったですよ?」
「ごめんなさいね、この無能の理解できない脳筋爺が話を聞かなくてつい、ね」
「大丈夫ですよ。私は、アリスとずっと一緒に居るって決めてますから」
莞爾な笑みを見せてからリリアは言った。
アリスはふっと優しげな微笑になると、目の前でリリアに遠回しで拒否されて項垂れている、哀れな敗北者の脳筋爺を見下した。
「くっ、仕方なかろう。馬鹿な孫しか居らんかった儂から見れば、こんな良い子は滅多に居らんぞ。大切にするんじゃぞ!でなければ儂が許さんからな!」
「ふんっ。負けた癖に、生意気に何言っているのかしら? 私がそんな事をする訳が無いでしょう?リリアは私の家族ですもの」
「......えへへっ」
リリアの頭に手を乗せて撫でながら、アリスは勝ち誇って鼻で笑う。
二人の争いが終わったの確認した横に立っていた三人組の冒険者の中から、白銀の聖騎士が前に出て話し掛けてくる。
「そろそろいいかな?僕等も貴女との話がしたくて待たせて貰っていたんだ。奥の執務室まで一緒に来てくれると組合長も助かると思うよ?」
「まァ、そうしないと脳筋爺が五月蝿いだろうからね、仕方ないからさっさと行きましょう。話が済んだら組合証を更新しておいて頂戴ね」
「誰が脳筋爺じゃぁ!これでも儂ぁは冒険者組合の組合長なんじゃぞ!?......たくっ。あぁ、それとな、エカーリアはこれを更新しておくんじゃ、分かったな」
白銀の聖騎士は優しげな微笑で語る。
それを一瞥したアリスは、疲れきった表情で溜め息を一つ吐くと、仕方なく付いて行く。
喧しい組合長は叫び散らしてから、エカーリアと言う猫耳受付嬢にアリスの組合証を渡してから更新の手続きをしておく様に伝えると、三人組の冒険者とアリス一行を連れて奥の執務室まで歩き出す。