異界の魔女と悪意の取引
遅くなって申し訳ないです、それから、色々と長くなりました。
「さァ、さっさと吐きなさい。私は時間の無駄は嫌いよ」
アリスは地面に這いつくばった冒険者集団のリーダー格に、靴の先で顎を突いて持ち上げると、見下ろながら言った。
「......あ、ああ。俺達は冒険者組合に所属するAランク冒険者パーティ『鋼竜の剣』だ。今回、お前を捕まえるように依頼してきたのは、ラムニアド。ラムニアド・フォンヴラム・ゾルディアーク。この地区を統治する商会連合の商合貴族の一角であるゾルディアーク商会副会長で、第七地区の頂点である商王ゼクンド・ロウドン・グラッゼ・アリバランスの孫だ。ラムニアドは第七地区の商王ゼクンドの息子セフェドリアが父親で、ゼクンドの寵愛を受けて育った、甘ったれの馬鹿孫でな。第七地区ではゼクンドの親族であるゾルディアーク商会も最高位の権力を有しているの分かってか、それを傘にきて、ラムニアドは好き放題暴れ回ってんのさ。しかも、厄介なことにラムニアドは太った外見と違って知恵が回る切れ者らしくてな。ゾルディアーク商会会長の父親としても次期会長として期待しているからか、ラムニアドの横暴の後ろ盾になってんのさ。で、冒険者組合の有名な『鋼竜の剣』に圧力かけて依頼してきたのさ。流石に俺達もここを拠点にしてるからな、逆らえれないって訳だ」
アリスは豊満な胸の下で腕を組み、リーダーの話を聞いて思考を巡らせる。
(ふゥん、そういうことねェ。脅された冒険者達と、権力を無駄にもった頭の回る面倒臭い輩と言う訳ね。さァて、どう始末着けようかしら?......利用できるかしらね、ふふふっ)
リーダーや他の冒険者達はアリスが考えこんだのを見て、嫌な汗が背筋を伝い無言の威圧と恐怖を感じはじめていた。
万が一、この話を聞いても同情の余地無しと判断されてしまえば、圧倒的な力持つ彼女に彼等は蹂躙されて呆気なく殺されて終わるだろう。
リーダーは嫌な雰囲気を破ろうと、アリスに交渉を持ち掛ける。
「な、なぁ。アンタの専属冒険者に格安でなってもいい。だから、俺達の命、いや、俺以外の命だけでも助けてはくれないか?頼む、この通りだ!こいつらは俺の大切な仲間なんだ、だから、こいつらだけでも助けてくれ!」
リーダーの言葉に他の冒険者の仲間達は表情を驚愕で彩り、直後に眉尻をつり上げ怒りで表情を歪めると、怒声をあげようとした。だが、仲間達が放つ言葉は欠片も声帯を震わすことは出来ず、リーダーへと届くことはなかった。
それでも、リーダーの勝手な懇願に怒りを表そうとした彼等は、アリスやリーダーへと溢れんばかりの怒気を放つ。
そんな健気な彼等にアリスは不気味な笑みで答える。
アリスはリーダーの懇願を聞いて、思考を止めて面白いことを決めた。
「そォ、そうね。リーダーさんの懇願を聞いてあげなくもないわ。只し、リーダーさんの命は貰うからね?」
リーダーは皆が助かることに喜び、笑顔になってアリスに答えた。
「ありがてぇ!......すまねぇな、てめぇら。お前らだけでも生きろよ。アンタにも悪かったな。謝って許されるたぁ思っちゃいなかったが、コイツらが助かるなら満足だ。依頼されたとはいえ、こんなことをしちまったんだ。命取られる覚悟はしてる。さぁ、一思いに殺ってくれ!」
暑苦しい程に、自分の思いをさらけ出したリーダー。アリスは辟易としながら、勘違いを指摘する。
「...えェと、貴方の勘違いを正しておくわね。別に殺すとは言ってないわよ?貴方には私の所有物になってもらうだけ。そ、生きれるんだから良かったんじゃァない?」
「......は?殺されんじゃないのか?」
「無闇矢鱈と殺しても、私に何も益がないじゃない。少し考えれば解ると思うけれどね。まァ、一人の女を襲って返り討ちに遭えば、それは死を覚悟したくなるのも理解出来るけれどね」
「......じゃぁ、殺されないのは分かったが、アンタの所有物になるってのは、どういう意味なんだ?まさか、奴隷にするってんじゃないよな」
「ふふっ、そのまさかよ?手っ取り早く、逆らえない奴隷にして一生涯、私に仕えて貰うから覚悟なさい?」
リーダーは諦め顔を作ると、溜め息を吐いて下手くそな笑顔をした。
「......仕方ねェさ。殺されんのよりはましだろうよ。で、今から奴隷商の所に行って奴隷に落としてくるか?」
「いいえ、私が自分の奴隷専用に開発した魔術刻印を刻んで、絶対に解呪出来ないようにしてあげるわ。感謝なさい?これで貴方は私の所有物になれるのだから」
「ははっ、ありがてぇな。そりゃぁよ」
リーダーの皮肉にアリスは満面の笑みで答え、跪いた姿勢をして片手をリーダーの背に乗せる。
「さて、そろそろ貴方を私の所有物にするけれど、覚悟はいいかしら?」
「おう。こいつらが助かるなら十分だ。それに、死ぬって訳じゃねぇんだしな。さぁ、やってくれ」
リーダーは目を瞑ると、全身の力を抜いて隷属されるのを待つ。これで大切な仲間を守れると思えば、自分一人が奴隷になる位は安いものである。
覚悟したリーダーに、アリスは片手へと自身の持つ膨大な魔力を込めて、奴隷を隷属化させるオリジナルの【刻印魔術】を発動する。
手の平から黒と赤の光が魔力の粒子となって煌々と輝き放たれ、男の全身を包み込んだ。
キラキラと輝く赤と黒の魔術光は、形を変化させ術式を構成する。それは、複雑な紋様へと変貌して、リーダーの全身を這うように刻み込まれていく。刻まれた紋様は黒と赤で染まり、全身を呪いで侵食しているかのような、禍々しく恐れ敬う美しさを見せていた。
衣服や鎧から覗く腕や脚に見える黒い紋様は、衣服が覆い隠れて見えない全身の至るところ、隅々にまで刻み込まれているのが見てとれる。
異質な魔術と膨大な魔力を正面から浴びたリーダーと、見ることになった冒険者たちは、魔術を受けたリーダーではなくアリスへと視線を向ける。
それは畏怖や畏敬にも近い無意識の感覚である。感覚の本質であるが、それほど信仰心を持たない彼等は気付くことは無いまま、茫然としていた。
「......ん?おい、もう終わったのか?」
「ええ、これで貴方は私の所有物に成った訳だけど、感想はあるかしら?」
「いいや、特にねぇな。まぁ、強いて挙げれば痛みなく終わったのは運が良かったのかね」
「貴方達にはこれから私の下で確りと働いてもらいましょう。それとも、貴方の仲間は奴隷落ちしたリーダーなんかは見捨てて逃げ出すような、薄情者なのかしら?」
アリスの物言いに茫然としていた冒険者達は、一気に怒気を孕んだ雰囲気になる。表情も皆一様に怒りで歪める。だが、話すことを封じられ言葉を発せずにいる彼等は、代わりに怒りを態度で表そうとする。
そんな無駄な努力と共に、信頼し合う仲間達の絆と誇りを見せつけられたアリスは、小さく「......へェ」と、感嘆する。
「意外と信頼し合っているのねェ、貴方たち。これなら、貴方一人を見捨てて逃げることはないでしょうけど、それを利用して私は貴方を人質に全員を奴隷の如く使えるのね。うふふ、楽しみだわ」
それを聞いた彼等は恐ろしいものを見る表情になり、リーダーに至っては話が違うと叫ぶが、アリスはそれを無視して哄笑する。
全てを失った奴隷の如く利用されて死ぬ、そんな絶望が冒険者達に広がり、混沌とし始めた雰囲気を、壊す者が現れる。
アリスの後ろから、争いが終わったことで抜けた腰がなんとか治り、立つことのできたリリアは、アリスの後ろに来ると隠れるようにして話を聞いていたのである。
そんな事情を知ったリリアは、呆れ顔で高笑いしたアリスを見詰め、絶望しているこの状況を打破すべく、仕方なく口を開く。
「......アリスさんって、本当に性格悪いですよね。別に殺すことも本当に奴隷みたいに扱うこともしない癖に、悪魔みたいに語るんですから。冒険者の皆さんも安心するといいですよ。アリスさんは性格は悪いですけど、優しい方ですから」
「......ちょっと、リリア。今、愉しい所なんだから邪魔はしないで欲しいわ。ほら、希望を見つけた様な哀れな表情になっているじゃない。もう少し絶望的な状況を用いた躾をしていたかったのに」
少女の言葉に理解が追い付かない彼等は、それを聞いて唯一、喋ることの出来るリーダーがリリアと呼ばれた少女に困惑気味に問うた。
「......ど、どういうことだ?てか、その子はアンタの子供か?......にしては、アンタに欠片も似てない、というよりも性格が正反対だし、それはねぇか。......リリアだったか、本当にこの魔女は信用出来るのか?」
「ええ、それは私が保証しますよ。だって、私も彼女、アリスさんの所有物ですから」
はっきりと恐ろしいことを、リリアは笑顔で答える。
リーダーは苦笑して彼女の笑顔を見ることしか出来なかった。
「......そ、そうか。お前も哀れな魔女の犠牲者なのか」
「あ、いえ、違いますよ。私はアリスさんに救われて所有物になったので、奴隷ではないんです。でも、死ぬ様な扱いはされてませんし、特に問題もないですよ」
「そうか、なら、諦めて感謝するとしよう。襲って来た馬鹿は普通なら返り討ちに遭えば殺すか奴隷商で売り飛ばされるんだからな。まだ、この魔女に所有物にされたほうがマシってことかね。じゃぁ、よろしく頼むよ、リリアとアリスだっけか?」
「ええ、よろしくね?私の所有物第2号さん」
「よろしくです、えっと、名前は何でしょうか」
「あ、おう。俺の名前はバルキオ・ラングウェルだ。これからよろしくな」
「はい!」
「......さて、自己紹介も終わったことだし、さっさと用事を済ませましょう」
アリスはさも面倒臭げに溜め息を吐きながら、組んでいた腕を解くと腰に当て冒険者達を眺める。
「あァ、それから。そこの路地に隠れている貴方達も出て来なさい。まとめて話した方が早くて楽だもの」
「......っ。気付いてたのか、アンタ!」
「ええ。魔力も気配も隠しきれてないし、私からすれば逆に聞きたいのだけれど、それで隠れているつもりだったのかしら?」
「ちっ、本当にアンタは化物だよ。出てきて良いぞ、お前ら!」
バルキオは路地に隠れ、隙を窺っていた仲間達に呼びかける。
リーダーの声に反対側にある狭い路地から、二人組の女性が現れる。
一人は二十代前半位に見える若い美女で、黒色の短髪に前髪の一部が赤く染まった髪に、つり上がった目は深紅の光彩を宿す。顔立ちは冷たい印象を魅せる美貌の持ち主であろう。
鍛えられているのか、線の細くしなかやかな筋肉が手足に付いており、格闘家としては無駄がなく十分な体格を持ち合わせていた。
彼女の服装はこの地では珍しい独特な着物で、東方の地に住む民族の衣装の和装に似ていた。胸元で重ね合わせた着物を、装飾の付いた紫紺の帯で腰回りをぐるりと囲いながら縛り止める。ワンピースの様にも見えるスカートの裾は短く太股が大きく露出しており、しなやかな肢体が露になっている。
腕の部分は肩口で切られた袖のない、近接戦闘向きの形になっている。大陸東部に伝わる和装の着物とは大きく違っていた。
もう一人は十二、三歳位の怯える少女で、青色のセミロングの髪と緑色の瞳を垂れさせた目に持つ、可愛らしい顔をした少女である。紫のローブを纏う魔術師の装いをしており、両手は背丈と同じ長さの杖を強く握り締めている。
何故だかそれが、大人の真似事をする子供に見えなくもなく、可愛らしさを際立たせていた。
格闘家の女性よりも目に見えて怯えており、顔が強張り体がカタカタと震えている。
反対に強気な表情の女性格闘家が、アリスを睨み付ける。
「はっ!よく気付けたものね。で、私達をこれからどうする気なのよ。......最悪、アンタに噛み付いてでも逆らってやるから、覚悟しなさいよ!」
「......あ、えと、あの。......あ、うぅ。シオンさん、あ、あんまり、挑発しない方が、い、良いとおも、思い、ますよ。皆が酷い目にあったら、い、嫌なんですから......」
少女は怯えながらも、隣に立つ女性にあまりことを荒立てないようにたしなめる。
女性の方は怯え過ぎな少女の頑張りに、仕方なく従う。
「はいはい、わかったわよ!たく、ルウはビビリ過ぎなのよ、私なら不意を突かれてもこんなデカブツに敗けることはなかったもの。コイツらが不甲斐ないのよ、たくっ」
「......ふぇ、あ、うう。......で、でもでも、皆さん頑張って戦おうと、し、してましたし、でも、あの人の後ろにいる白い、か、怪物さんが凄く、つ、強かったですよ。だって、動きが、ぜ、全然見えません、でしたから」
「ふんっ、どうだかね。まぁいいわ。負けたのは此方だからね、一応、言う事を聞いてあげるわよ」
「ふふ、貴女達も中々に個性的で面白そうじゃない?ねェ、リリア。良い拾い物をしたみたいねェ。フフフッ」
アリスが不気味な笑みでくすくすと笑うのを見たリリアは、苦笑いを作りながら助言をして、でもすぐに無理だと自己判断して諦めた。
「うわぁ、アリスさんが凄く不気味な笑顔になってるぅ......アリスさん、美人さんなんですから、もう少し笑顔に優しさを込めてみては、いえ、無理でしょうけど。一応、言っただけです」
「あら、リリア?やっぱり貴女、ちょっと、生意気よね?後でお仕置きしてあげるから、覚悟なさい」
「うぇえええ!?ちょっ、アリスさんっ、ごめんなさいです!ゆるしてぇ!ひぃああああ!」
アリスのお仕置き宣言に恐怖と絶望で表情が彩られたリリアは、一緒に横に歩いて来ていたシュバルツを抱えると、半泣きになりながら家の中へと逃げ出してしまった。
アリスはそれを半眼で眺めてから愉しげにくすりと笑い、眼下に転がる無様な冒険者達の方へと視線を戻す。
アリスは先ず、女性陣に指を向けて話す。
「貴女達はリリアの護衛兼話し相手でもしていなさい。それから、下に転がっている貴方達は、私がこれから行く場所に半分はついて来なさい。半分はこの家を守ってなさい。帰ってきて我が家に何かあった場合は貴方達、全員去勢するから覚悟しなさいね?......ふふ、ちゃァんと、護衛の任務をやっておくのよ?さてと、行きましょうか」
アリスは一方的に語ると、片手を上げてパチリと指を鳴らす。魔術を発動する動作である。
軽快な音を鳴らした中指の先端を中心に、中央に穴の空いた円形の光輪が生まれる。指先を囲む小さな光輪は地面に倒れた冒険者達の頭上にふわりと浮かび上がると、指先を囲う程度の小さな姿から、ぐわんっと拡大して彼等を覆うほどの大きさな光輪へと変貌した。すると、光輪からハラハラと優しげな光が周囲へ雪のように放なたれ、落ちていく。
舞い落ちる儚くも美しい雪のような魔術光に包まれる冒険者たち。
アリスに仕える最下級魔神族の光魔改造体『リヒテン・ゾルダートNo.01』に貫かれた傷跡がみるみる塞がっていき、何事もなかったかのように全ての傷をひとつ残らず治してしまう。
茫然とする一同。
実力者だけに彼等は気付けた。これだけの人数と重傷を跡形もなく治療することの出来る治癒魔術は、宮廷魔術師や神殿の大司祭ですら行使できるかは解からない。それだけの最上級魔術か、いや、特級か超級、有り得ないかも知れないが英雄の使う最高峰の王級魔術の可能性も有り得た。これで、眼前に立つ傲岸不遜の女が本物の魔女一族であることは理解できた。
彼等は自覚する。自分達がどれだけ恐ろしい怪物と敵対しようとしていたのか。理解すれば、馬鹿馬鹿しさや阿呆らしさを感じ、苦笑しか出来なくなる。
何故なら、この魔女と争うよりも商会相手の方がまだ勝機はあるのだから。
笑いしか出てこないのも無理はなかった。
全員が似たり寄ったりの表情をしていたのか、アリスは間抜けな子供を見たような含み笑いを堪えながら、冒険者たちに優しくも無慈悲に幼子をあやすように諭す。
「あらあら、大丈夫よ。私は貴方たち人間とは次元も、格も、何もかも全てが違うんだもの。そう、へこむことはないのよ?......ふふふっ」
そうして、ひとしきり彼らを嘲笑い愉しんだアリスは満足すると大商路のある通りまで歩いて行く。
冒険者達も何とか呆然自失から立ち直ると、小走りでアリスの後を追いかける。
行き先を聞かれたら答えなければならなくなるのだから、出来る限りは彼女の機嫌を良くしておく努力はする、健気な彼等であった。
◆
アリスの自宅から大商路へ向けて、中央通りから伸びる横道を歩いて七本ほど十字路を横切り直進すれば、都市中央部にある目的の大商路へと到着する。
アリスはバルキオとその仲間を連れ立って、中央広場の表通りをすたすたと歩き回る。
そこには、昼間と違い露店や屋台はもう既に片付けられた後だった。
夜の帳が降りた夜空には無数の星々が瞬き、地上へ星明かりを届けている。満天の星空は、雲一つなく澄み渡る黒に近い群青の夜空で、唯それだけで魅入る程の夜景の美と壮大さを如実に表していた。
夜空の芸術的な美に対し、煌々と灯された人工の光が平民街方面から放たれている。
酒場や宿屋、食事処の照明が多く灯されており、夜闇を切り裂く人工の灯りが夜の街を喧騒と共に照らし満たしていた。
雑多な街並みは様々な人が行き交い店の中から騒がしくも賑わう声が外にまで漏れ響く。
夜でしか見聞きできない景色をまた、この場でも作り出していた。これはこれで夜の街並みが醸し出す風情があり、アリスは愉快げに眼を細めると、うっすらと微笑みながら眺めていた。
夜道を歩く者達も皆一様に、仕事の終わり帰りのついでに一杯やろうとする呑んだくれで溢れている。
一本裏通りに行けば娼館もあり、そこに歩いて行く男達や、そんな男達を呼び込む派手な格好をした女達もまた、ちょこちょことそこら辺に目に入ってくる。
アリスは後ろを歩く『鋼竜の剣』リーダーにして所有物第二号のバルキオに聞いてみた。
「ねェ、貴方達もあの派手な格好をした女に誘われて、娼婦でも買ったりするのかしら?女の私としては、それの楽しさが分からなくてね?それに、私の死んだ旦那は妻一筋の優しい男性でね?浮気もしてなかったもの。貴方達はどうなのかしら?少し気になるわ」
あまりにも答えづらい質問にしかめっ面をした彼等は、美女に聞かれて少し答えるのに羞恥心を見せつつも、そっぽを向きつつも白状する。
「あ、ああ。まぁ、そりゃあ、金が入れば時には、そういう行きたくなる気分もあるだろ?なぁ、お前ら」
「お、おうよ。そりゃ、俺達にも帰りを待つ女がいりゃァ、そんな所には行かねぇけどよ。そんな女ァ居ねぇし。いくしかねぇだろ」
「おうおう、俺達の癒しは酒と女と冒険だって決まってらァな」
「おうよ、そうだぜ。俺達みてぇな冒険者っていう職はよ、いつ死ぬかも分からねぇんだ。だからこそ、俺達は行くのさ。後悔しねぇようによ」
冒険者の生死観や思考など、意外な話を聞きながら頷いたアリスは、野郎の照れた顔なんぞは見たくないので、羞恥で赤くなった厳つい顔の男達から顔を反らして聞いていた。
満足げに語る男達。
アリスは理解しておきながら、馬鹿をみる下らなさげな表情を作り、ふんっと鼻を鳴らす。
「......そ。まァ、女を抱くのにゴチャゴチャと理由付けなんかしてるから、モテないんだと思うけどね。直球の方が響く時もあるのよ、女にはね?」
「うぐっ」
「くっ、美人のアンタに言われると本当にそうだって気がしてくらぁ」
「違いねぇな、ははは」
痛いとこを突かれた男達は笑い合う。
下らない話をしながらアリスは街並みを満足するまで眺めるていた。すると、もう十分楽しんだとばかりに早速、目的の場所へと向かう事に決め、バルキオに目的地の在処を聞き出す。
「で、バルキオ。ゾルディアーク商会とやらは何処にあるのかしら?今からそこに向かうのよ。さっさと場所を教えなさい」
「......は?え、おい。まさか、乗り込む気かよ!?」
驚くバルキオの脚を蹴り、早く言えと催促するアリス。バルキオは堪らず何度も蹴られたくないので、恩も何もないどころか逆に脅してきた奴等の情報をあっさりと教えることにした。
「......痛ててっ。たく、で。目的のゾルディアーク商会は富裕層の住まう大商路沿いにあるぞ。自宅の屋敷は貴族街にあるけどな。で、どっちの方に行くんだ?多分、この時間帯なら自宅の屋敷に帰ってんじゃないか?」
「......そゥ。なら、これからゾルディアーク商会の副会長さんが住んでいる屋敷まで行きましょうか。そこで話もしてちゃァんと、解決しないとねェ?......くふふふふふ」
「......あぁ、可哀想にな。最凶最悪の怪物様に、哀れな獲物でしかないゾルディアーク一家は狙われたのか。ま、自業自得のご愁傷様ってことで諦めてもらうかね」
「さァ、下らないことを言ってないで早く行きましょう!これから毎日が愉しくなる為の必要経費と割り切って行ってやるんだから、これからの生活が満足するまで使い潰して利用......もとい、話し合いで解決してあげなければねェ。フフフッ」
アリス達は大商路を貴族街に向けて歩いて行く。
歩いき始めて十数分も過ぎた頃に、それは眼前に現れた。
巨大な威容はあらゆる外敵を遮断して侵入も侵略すらも防ぐ、という意志をまざまざと眼下に立つ者達へと見せつける。貴族街を囲った巨大な城壁である。数十メートルはある巨大な城壁は、貴族街に地上からの侵入を一度たりとも許したことはなく、日の落ちた今から入ろうとする怪しい集団のアリス達は、城門の番兵に直ぐに囲まれてしまっていた。
アリスは呆れを含めた深い溜め息を吐くと、眼前に立ち並び武器を向けて敵意を露にした番兵達を睨み付ける。
「ねェ、貴方たち。私達はこれから、ゾルディアーク商会の会長さんとその息子さんに会う予定なのよ。それの邪魔をしてどうなるか、分かってやっているのかしら?」
「......だ、だが、通行許可証はないのだろう?それに、ゾルディアーク商会の屋敷に行く者の予定など、我々の居る城門の駐屯所には通達が来ていない。それはどういうことだ?」
「そうだ。ここを通る場合には許可証と通行予定が先に通達される。お前達はそれを持たず、予定もない。不届き者共めが、この場で引っ捕らえてやる!」
「いやいやいや、ちょっと待ってくれよ!俺達はこの人に連れて来させられただけで、無理矢理押し通ろうとなんかしてねぇぞ!待ってくれよ!」
「そ、そうだ。アリスさんもちゃんと話をしてから行くことにしようぜ!じゃねぇと、俺達が捕まっちまうよ!」
「ちっ、五月蝿いわね。外野は黙ってなさい。今から悠々と此処を通るんだからね」
ぎゃあぎゃあと喧しく鬱陶しい護衛達に、囲い込んで敵対する番兵共を無視してアリスは片手を振るう。
刹那。
アリス達の周囲を囲む様に、隊列を組んでいた番兵達の横から薄暗い紫色の靄がふわぁあっと、流れるように現れ全ての番兵達が覆い隠される。その後、紫色の靄が消滅するとそこにあったのは突如として虚ろな瞳になり、武器を持つ手を下ろしてアリスの前に整列する番兵達の姿であった。
いきなり番兵達が従順になり、護衛の者達は混乱していた。そんなことも関係なしにことは運んでいく。
番兵の中で年配の、口許の小さな髭が似合う、表情が抜け落ちていなければ風格のある歴戦の兵士らしい雰囲気を纏っていたであろう四十台後半の隊長と思わしき男が、アリスの前に来て、敬礼した。
先程とは真逆の態度を突然しはじめる彼等を、護衛の冒険者達は目を丸くして恐々としながら見ていた。
まるで、伝説に聞く洗脳の魔術にしか見えない恐ろしい状況を、彼等は見なかったことにしたのである。それが自分たちに向けられる事が無いように心の片隅で願いながら。
唯一、彼女の実力に納得して動揺していなかったバルキオが、アリスに小さく拍手してから、さっさと先に進んじまおうと勧める。この後にもこれと同じことが何度起きるかは知らないが、一々気にしていたら精神的に持たないと気付いたからだ。
決して自分達は洗脳支配ならないように、別の事へと意識を背けている訳ではないのである。そう、絶対にないのだ。
「ええ。はやくゾルディアークの屋敷に行ってやることを終わらせて、帰りましょう。リリアも待ち草臥れているかしらね?フフッ」
「おうよ。リリアの嬢ちゃんを待たせるのも悪いしな。速い所終わらせちまおうぜ、アリスさんよ」
「ええ、そうね」
アリスは番兵達に命じて駐屯所にある扉の開閉機構を起動させると、巨大な門が城壁内部の貴族街の方と開いていくのを微笑みながら満足げに眺める。
巨大な門扉の開閉は、魔動術機による機械仕掛けが使われており、開閉機構の機械が動くことで擦れ合った時に出る金属の甲高い音や、がこんがこんっと機械が動いている重低音が、巨大な門扉周辺に響き渡っていた。
大規模魔術防御も組み込まれたその巨大な城門は、内側からも開けられるが今回は外側の駐屯所が完全な支配下に置かれたことで独断専行のままに扉の開閉を行い、それに内側の駐屯兵が対応する間もなく扉は開かれる。
内壁の番兵駐屯所は混乱していた。本来の開門は外壁の駐屯所から開門許可の連絡が来たら、内壁から許可の通達後、扉が開かれる筈なのである。それが、勝手に開いた城門の先に見えるのは、番兵達が左右に立ち並び守護しながら誘導する、謎の美女と護衛らしき冒険者たち。
内壁の駐屯兵たちは散らばったまま隊列も組まず、その悠然と歩く姿に魅入っていた。
「おいおいおい、どうなってんだぁ、こりゃあ」
「......は?どういうことだよ、これは。門が勝手に、勝手に開いてるぞ!どうするんだ、これ!」
「俺が知るかよ。隊長なら、何か分かるんじゃねぇのか!?隊長!」
「おい、ありゃァ誰だ?!まさか、侵入者か!」
「じゃぁ、戦うのかよ?実戦なんざしたことねぇんだぞ!おい、どうするよ!?」
「......ちっ!隊長を呼んでこいっ、速くしろ、お前ら!!」
思考を放棄して勝手に開閉が行われる城門を見上げる者、眼前を歩く者達を見てざわつく者、駐屯所に居る隊長を呼びに行く者など、様々な反応を見せる内壁の番兵達。
内側からの制御を無理に取り戻すことも可能ではあるが、城門の開閉機構は緊急停止装置を起動した場合だと強制的に閉められる代わりに、城壁門の再起動に約十日以上は掛かる為、乱用は安易に出来なかったのである。それの責任を取るべきか、取らざるべきなのかで迷い、思考の渦に呑まれた隊長が逡巡している内に門扉が開いたのであった。
焦るなかで侵入者が現れ、部下の隊員達が呼びに駐屯所に走り込んでくる。
「隊長!侵入者です、ご指示を!」
「......はっ、ぁ?なんだと、侵入者だと!?ちっ、くそったれがぁ!」
侵入した外敵を先に捕まえるべきと判断した隊長は、部下を連れ立って外に出た。
「くそっ、どうすりゃ良いんだよ、こんなの!何で門が強制的に開けられてるんだよ!......反対側の奴等は、何をしてやがるんだ!?番兵なら死んでも守って見せやがれよ、役立たず共が!......おい、侵入者共は何処だ!?」
叫ぶ番兵の隊長が部下を連れて来た瞬間、アリスは恐ろしげに口元を歪め、笑う。
番兵共が全て集まるのを視界に入れて確認すると、アリスはまた、門扉の外で行使した魔術を放つべく先と同じ様に片手を振るい、紫色の靄で番兵達を再度覆い隠して支配下に置くと、通常業務を行うように指示しておいた。これで、問題なく先に進めるようになり、目的のゾルディアークの屋敷まで行けるようになった。
アリスの使う魔術をバルキオは気になって聞いてみた。
「なぁ、アンタのその魔術って何をしてるんだ?やっぱり精神操作系統の闇属性魔術か?」
「......えェ。あの魔術はね、洗脳や支配よりも微弱な部類の精神干渉・思考誘導系統の闇属性魔術よ。放たれた紫色の靄に包まれた者は意識が混濁して、そこに構築しておいた簡易行動に従って動く術式で、ある程度の簡易的な命令ならゴーレムみたいに言うことを聞くのよ。基本的にゴーレムや自立行動型の魔導人形とかに使える魔術かしらね」
アリスは何の気なしにさらりと答えた。
バルキオは冷や汗が体に流れ出すのを感じたが、平静を装いながらも聞いていた。
「ほぉ、そうなのか。にしては支配されてる風にしか、見えなかったけどな?」
「それはそうよ。精神系統魔術なのだから、操ることにはなるもの。でも、完全な支配下にはしてないわ。こんな役に立たそうな道具はいらないもの。それより、ここから何処に行けば着けるのかしら道案内?」
アリスの催促にバルキオは、頭を掻きながら答える。
「......いやぁ、俺達も何度も来れる場所じゃないんでね、流石にお得意様でもない奴等の屋敷は知らんなぁ」
「おうよ。俺達だって数回しか入ったことのない、厳重な警備網が敷かれた場所だぜ?」
「でもよ、さっさと行かねぇと不味いんじゃねぇか?この城門のこともあるしな。適当に進めばあるだろ」
「はァ、冒険者Aランクのパーティが聞いて呆れるわね?道案内すら出来ないなんて。たく、もういいわ」
アリスは冒険者達の体たらくに、眉尻を吊り上げて冷たく蔑んだ眼で彼等を見下した。それから、視線を貴族街へと戻すと面倒臭げに眺める。
貴族街には豪奢な屋敷が平民街と違い綺麗にされて、広大な庭に豪奢な屋敷が計算されて建てられて幾つも建ち並ぶ。それは、この貴族街に住む彼等が自らの財力を見せつける為にだけに豪奢に造り建てた、贅の極み。屋敷の回りを通る道も舗装されており、特権階級の権力と財力を惜しみ無く使い込んだ、美しく整えられた街並みと景観を醸し出す。
歩く者は殆ど居らず、馬車が時折、貴族街の中を通っているのが近くで響く車輪の音で分かる。
アリスは貴族街の何処かにある目的の場所―――ゾルディアーク商会会長とその息子が住まう屋敷がある、その場所を導き出す為にまずは膨大な魔力を周囲に解き放った。
放たれた魔力波は、視認不可能な魔力の粒子として大気中に放出され、貴族街全域を満たしきると覆い隠すように包み込んだ。貴族街のあらゆる場所の内部にも完全に流れ込み、放出された魔力粒子が触れる全ての物質の形を立体図として脳内に構築、地図への変換を超速思考によって自動書記で行い頭のなかには完璧な貴族街全体図が生み出された。これによって貴族街の立体型全方位地図が形成されたことで、目的の場所を把握して直ぐに行くことが出来る。
アリスは脳内で描き終えた膨大な情報量の貴族街全体地図を処理し終えると、大気中に満ちた粒子魔力を収束して貴族街の立体型全方位地図を眼前の斜め前に浮き上がらせる。
地図の次は居場所の特定で、アリスはこの都市国家に隠れ潜んでいる数多の妖精を感知しており、その妖精達に場所を聞くことにする。
色々な場所を飛び回っては悪戯をする妖精たちではあるが、様々な場所を行き来していることで人探しや探索地の確認には案外使えるのである。
呼び出すために、アリスにしては優しげで、囁くように、妖精たちへと語りかける。
「こんばんわ、妖精さん。貴方達に聞きたいことがあるの。ゾルディアーク商会という商会の会長が住まう屋敷は、この貴族街の何処にあるか解るかしら?出来るなら教えて欲しいわ。可愛い、可愛い妖精さん?お礼に欲しい物もあげるわよ?」
囁く優しげな声に答える、小さな子供のように鈴とした少し高めの声音がアリスを中心に響き渡る。
......くすくすくすくすっ。
......あはは、ふふふふっ。
......くすくすくすっ。
笑い声が周囲を反響する。
姿の見えない妖精にバスキオ以外の冒険者達が怯え、顔を強張らせていた。
厳つい顔をした者まで怖がっている姿に、アリスはくすりと笑う。
「あらあら、意地悪しちゃァ駄目じゃない。この人達は私の玩具なのよ?楽しむなら私の許可をもらいなさい。ふふ、可愛らしい妖精さん?」
たしなめるアリスの回りにふわりふわりと現れ始める小さな妖精達。
その姿は手の平サイズの小さな小人が背中に半透明な虫の翅に似た翼を持つ、妖精達だった。髪と瞳は統一した色を持ち、赤髪の妖精は赤い瞳と赤い半透明な翅を持つ。青なら青髪、青目、青い翅と様々な色を持つ妖精達がふわふわとアリスの回りに集まり舞い踊るその光景は、妖艶な魔女と戯れる妖精たちと言う芸術美を、絵画から抜き出してきたかのような幻想的だった。
現に、バルキオ達はその幻想的な美しさにアリスの本性を知っていて尚、魅入ってしまっていたのだから。余程、美しい光景なのだろう。
そんな周囲の事など気にせずに、妖精達は好き勝手にアリスの回りで喋り出す。
『うん、うん。そうするね』
『はぁい。じゃぁそうするー!』
『わぁあ、久しぶりだね、うん、久しぶり!』
『この人達の顔が面白いよー!うふふ』
『うふふふ、お久しぶりねぇ』
『あはは、もっと悪戯しちゃおうよ!』
『いいねぇいいねぇ、そうしよう!』
『ダメだよー!アリスのお姉ちゃがダメだって言ったんだから!』
『もぅー、アリスのお姉ちゃんが怒っても知らないよーだ!』
『あははっ』
『うふふ、だいじょーぶだよぉ。だって、いいって言ったんだよー』
『で、で、アリスお姉ちゃん!お礼ってなにー?すごく気になるよー!』
思い思いに喋り出す妖精達を優しげな眼差しで見ていたアリスは、お礼が気になる一人の妖精を手招いて手の平に乗せると、にこりと笑顔で答える。
「......ふふ、それはお願いを叶えてくれたら教えるから、それまでのお楽しみかしらねェ?うふふっ」
『えー、教えてよー!お姉ちゃん、お願い!』
『気になるよ、教えてよ!』
『でも、お願いを聞いたら貰えるんでしょ!なら、はやくお願いを叶えよー!』
『うんうん!そうだね、そうしよう!お姉ちゃん、お願いって何だっけ?』
「ええ、この街の中にある、ゾルディアーク商会の会長さんが住んでいるお屋敷の居場所が知りたいのよ。知っているなら教えてくれるかしら?」
『うん、知ってるよー!』
『あれだよ、怖いお爺さんが出たり入ったりしてる、あのお屋敷だよね?』
『なんかねー、太っちょな人が甘やかされてるんだよー』
『多分、そこがゾルディアークって場所だと思うの』
アリスが目の前に出して空中に浮かばせている貴族街の全体図で、目的のとある場所を指差す妖精。
あっさりと聞き出したアリスは、ちらりと後ろに立つ護衛に視線を向けて、確認する。
バルキオ達は妖精達の話から、商王が出入りしていることや、甘やかされているのは依頼人のラムニアドだろうと推測する。これは確定だと頷き返す。
アリスはバルキオの頷きに当たりを付け、妖精達に片手を上げてお礼をあげることにする。
「さぁ、教えてくれたお返しに、お礼をあげましょうか。これでどうかしら?」
アリスの言葉が終わると同時に、アリスの掲げていた腕の回りに黒い円形状の穴が無数に開くと、中から沢山の綺麗な飴玉が飛び出してくる。
飛び出た飴はアリスの周囲を浮かびながらくるくると巡り、妖精達は歓声をあげて飛び付いていく。
両手に持っている者や、大きい一個なの飴玉を両手抱き締める者、沢山の飴玉を捕まえて地面に落ちて埋もれている者など、妖精達は楽しげにお礼を受け取っていく。
アリスは全員がお礼の飴玉を受け取ったことを確認すると、「ありがとう」と言葉にしてから残りの飴玉をくるんと宙で回転させると一纏めにしてから手の平の上に大きな黒い穴を生み出し、しゅるんっと一気に戻していった。
妖精達は好き勝手に回りから散って行き、すぅっと薄くなって消えていく。
口々に『ありがとー』や『またねー』などと言ってから帰っていった。
「さて、と。これから向かうことになるけれど、覚悟はいいかしら?」
アリスの問いに、バルキオ達はふんっと鼻で笑い、にやりと強気な笑みを作り見せる。
「ここまで来たんだ。もう、一蓮托生って奴だろうよ。さぁ、行こうぜ」
「そ、行きましょう」
覚悟の決まった彼等の答えを聞いたアリスは、素っ気なく答えて前を向き、瞼を閉じると魔力を一瞬だけ体内で練る。
次の瞬間、アリスは空間転移の魔術を無詠唱で発動した。
刹那、アリストとその護衛達は全員一瞬で目的地の屋敷前へと到着した。
景色が突如変わったことに動揺した彼等は、しかし直ぐにやったのはアリスだと理解して後ろ姿の彼女をジト目で睨む一同。
視線を無視して彼女は歩を進め、周囲をと同じ豪奢な屋敷の門を触れると、探知魔術を放ち仕込まれた魔術の反応を探る。特に無いと知ると、彼女は門前の左右に棒立ちしていたこの屋敷の衛兵を見て、にこりと笑みを作る。
それは宣戦布告の意を持っていた。
直後、手を振るうアリスに門を守る二人組の衛兵は、反応すら出来ずに腹部と顎に衝撃を受け、吹き飛ばされて門を破壊して庭園を転がり進む。
衛兵ごと破壊した門を悠然と歩くアリスに、護衛として来ていたバルキオ達は、その勇ましさに自分達はいらないんじゃね?と今更ながらに気付いた。
そんな、彼等の考えなど無視してアリスは門の先にある屋敷の中に入る入り口まで来ていた。それに気付いたバルキオ達も慌てて走り出し追随する。
◆
屋敷の中は突然の襲撃に混乱して慌ただしくなっていた。
屋敷の最奥にある、ゾルディアーク商会の会長が執務を行っている執務室には、ひっきりなしに衛兵や側近の執事が入室しては芳しくない報告を告げると、直ぐに対応すべく向かって出ていった。
侵入者は情報通りならば魔女一族の女一人と、最近有名になってきている冒険者パーティーの『鋼竜の剣』だという。
この二つに繋がりは見つからず、突然の襲撃の目的は不明のままで、その上、此方の戦力は殆ど全てが反撃されて敗北している。
幸いなことに、戦った者達は殺されてはいないが、目的がゾルディアーク商会会長の自分の場合、殺される可能性は高く、それを考えると楽観など出来はしなかった。
執務室の自身の机の横に背筋をピンとした礼儀正しく立つ、父の代から長年仕えてくれている老執事に、ゾルディアーク商会会長のセフェドリア・フォンヴラム・ゾルディアークは焦る内心を隠して威厳を取り繕いながら聞く。
「さて、これは私が狙いと見るかね?」
老執事は歴戦の猛者ですら恐ろしくて身震いするだろう鋭い眼光を、扉の外へと向けて未だ見ぬ敵を睨み付けると、
「ええ、その可能性が最も高いでしょうなぁ。ですが、貴方様の生きる道が在るのならば、私めが全力で切り開いて見せましょうぞ」
命を賭しても守ると宣言する。
それに、セフェドリアはふんっと鼻を鳴らすと、少しだけ嬉しそうな雰囲気を醸しながら答える。
「ふん、つまらんことで早死にする気か?......狙いが私であり、他の者は殺さず生かしているのを突いて、逃げるのが最善策だと、私なら思うがな」
「いえいえ、私は貴方様に支えるのを至上としているのですよ。支えるべき主を見捨てた執事などは、もはや執事にあらず。ここで貴方様と共に散るならば本望ですよ」
「ふっ、ならば死なぬ様に努力せねばな。そうだろう、無粋なお客人よ?」
会長は閉められた扉の向こうへと語りかける。
扉の向こうから聞こえていた争う喧騒が収まっており、老執事は壁に立て掛けられた剣へと手を伸ばす。
会長は椅子に座ったまま扉を睨み付け、侵入者が入るのを待つ。
すると、高らかな笑い声が聞こえる。
笑い声が終わらぬ内に、執務室の扉が開かれていく。現れたのは恐ろしいほどに美しい魔女とその護衛である厳つい風貌の冒険者達だった。
魔女は妖艶で豊満なスタイルを漆黒のローブで隠しているが、その魅力は溢れんばかりに隠しきれておらず、その美貌は心からの愉悦で歪み、微笑を作る。
ぱちりぱちりと魔女は手を叩いて称賛する。
「なァに、気付いてたのねェ。商人でしかないと侮っていたわァ?まァ、どォでもいいんだけれどねェ」
「ふ、そうか。......で、早速聞こうか。貴様の目的は何だ。部下を殺していない所をみると、目的は殺戮や復讐ではないな。......何処かの回し者か?どちらにせよ、この私が目的かね?」
「いいえ、違うわ。どちらもね。......私の目的は一つよ。......まず、ここに来ることになった理由を説明しましょうかしら。貴方の息子さんが私を拐うようにこの後ろにいる、今は私の所有物たちに依頼したらしいのよ。で、その張本人を殺そうかと思って来たんだけど、別にもういいわ。この第七地区で高位の商合貴族である貴方と対等な取引がしたいのよ」
「ふむ、私の馬鹿息子が迷惑をかけたようだ。謝罪しよう、君達にもだ。すまなかったね。で、取引とは何をかね?」
「そうね、まずはこれかしら」
アリスは空間に黒い穴を作ると、自分の入手した物を仕舞っておく時間な停止した異空間である次元道具箱に無造作に手を入れると、適当に目的の物を掴むと、中から取り出す。
次元道具箱は、頭の中に所有物の名前が文字の羅列として浮かび上がり、そこから検索をすることで指定物を自在に取り出すことが出来る。それだけでなく、個数もそこには書かれており、幾つ必要なのかも簡単には分かる。
これらの仕様は、転生以前のRPGゲームをしていた時の記憶から、遥か昔に亡くなった夫であるアレスと共同開発したものである。
取り出した物は、そこら辺にも落ちていそうな石っころである。
その石っころをアリスは執務机にコトリと並べ置いていく。
理解不能なこの状況にセフェドリアは、四十代でも衰えることのない鋭い眼差しで髪と同じ灰色の瞳で眼前に立って満面の笑みを浮かべる、一人の女を睨み付ける。
「ふむ、これは唯の石にしか見えないが......まさかとは思うが、これが君の言う取引材料かね?」
眉間にシワを寄せて更にきつく睨むセフェドリアに、アリスは「ええ、そうよ」と、はっきりと答えた。
瞬間、セフェドリアは深い溜め息を吐いて石を一つ掴んだ。それを目の前に掲げて眺めながら、何か隠している物でもあるのかと観察するが、特にこれといったことはなく、唯の石でしかなかった。
落胆に肩を落とすセフェドリアを見てからアリスは、指をパチリと鳴らした。
「......っ!?」
「ふふ、驚いたかしら?そう、これが私の取引材料よ」
「まさか、本当にこんなことが?」
セフェドリアは驚愕して固まっていた。
それだけでなく、周囲の護衛として来ていた冒険者達にセフェドリアを守ろうと動きかけた老執事すら、その一瞬の出来事に驚き、固まってしまっていたのである。
アリスは、セフェドリアの持っている唯の石でしかなかった塊を、物質構成変換魔術の使用によって、金と銀、水晶などの石へと机の石っころと共に変化させてしまったのである。
これは、構成された魔術式が下位生物種の魔術構築を行使する脳内領域の『魔術思考演算領域』では解析不可能で異常な程の構築量に、使用する魔力は膨大な魔力量を必要として、下位生物種では開発すら不可能な神代の代物だった。それを最上位生物種の更に上へと進化した魔女にとっては、当たり前に出来てしまう所業である。
『物質構成変換魔術』は、鉱物だけでなく様々な実験や研究に使えると気付いた彼女がよく多用する魔術でもあり、こともなさげに使ったのである。
それを知らないアリスの回りに居る者達は驚愕から立ち直れずにいた。
しかし、取引材料としてこれ以上ない最高の物を手に持っていた彼は、何とか視線をアリスへと向ける。
「......はっ、ははは。まさか、これほどまでに上位生物種が壊れた生き物だと、知らなかったよ。いや、それ以前に気付けなかったと言うべきかね。よもや、こんなことが出来てしまうなど......今、君のしたことは鉱物や宝石を取り扱う市場を大混乱に陥れることだと、理解しているのかね?」
苦笑しか出ない彼に、アリスは肩を竦めて答える。
「ええ。理解しているからこそ、それを取引材料として持ってきたのですもの。それを一定量、必要な鉱物資源を定期的に貴方の商会へと卸せるとすれば、貴方はどうするかしら?」
「......。くっ、くくく、ははははははははははははっ!!面白い、いいだろう。それを我が商会にのみ卸すのならば、取引は成立としようか。これからの我が商会は商王と同格にすら成れるのだからね。だが、それによる我が商会へと求める物はなにかな?出来うる限りの譲歩はするが」
「そうねェ、単純に貴方の持つコネを私にも融通すること。それから、私がこの街で住むに当たって面倒事や問題が起きた場合に、対処してもらうことかしらね。あァ、後は私の所有物への危害と敵対を一切禁じることかしら......それくらいかしらね」
セフェドリアは顎に手を宛ながら、少し考えた後、頷いた。
「よし、君への配慮と危害を加えないこと。それから、私の持つ貴族や各国への繋がりを供与しよう。それにはそれなりの準備が必要だが、それは後程用意しておくとしよう。以上かね?」
「ええ、満足よ」
「では、契約魔術の書面に記入してもらおうか。万が一、裏切られた場合は契約魔術で君には死を与える枷を着けておかなければ、安心できないのでね」
「別にいいわよ?それで安心するのは人間らしいものね。ふふ、可愛らしいこと」
「若い女性に可愛らしいと言われても、馬鹿にされている様にしか聞こえんがね?」
「あら、言っておくけれど、この場で最も年上はこの私なのよ?百歳にもなってない貴方たちは、私からすれば赤子も同然よ。伊達に数千年も生きてないわよ」
「......うむ、そうだったか。すまないね、人間とは外見を第一とするものでね。まさか、数千年も生きているとは。流石、魔女一族といったところかね」
「まァ、別にいいわよ。それくらいはね」
セフェドリアとアリスが話している内に、横から老執事が魔術契約の書類を一枚、執務机の上へとスッと置いた。
準備が整ったので、セフェドリアは先の話した必要事項を全て記入した後、そこの最後に名前を書き記す。
書いて終わると、机の引き出しからナイフを取り出して、指先をスッと軽く切ると、その傷口を名前の横に判子を押すかの様に押し付ける。
すると、押し付けた傷口から付けられた血液が薄く発光しながら、横にある名前の文字にするすると混ざり合い、黒字を赤い文字へと変化させる。
アリスは同じようにセフェドリアの名の下へと名前を記入して、指先を親指で弾くように小さく傷付けてから、名の横へと押し付けた。
すぐに同じ発光が起こり、アリスの名前が赤く染まる。
やるべき事を終えると、セフェドリアはふぅっと溜め息を吐いた。アリスはそれを眺めて微笑する。
「じゃァ、これで完了ね。あァ、それから、貴方の息子さんにはちゃァんと躾ておくことね?間違えて、私達に手を出せば死ぬのは貴方だものね。ふふっ」
「ああ、解っている。それから、一定量の鉱物資源はこちらが通達するまで、適当に作って保管しておいてくれ。市場の操作と始めるのでな。準備は必要だろう、どちらにもな」
「そうね。こちらとしても、直ぐに渡すにしても、材料として沢山の石っころがいるもの。貴方の方から石や不要となった鉱物資源は集めてくれるかしら?それをこっちで納める分の鉱物に変換するから。いいかしら?」
「構わんよ、別に。それくらいなら然程の浪費にもならん」
「じゃァ、そろそろ帰るわね。......また会いましょう。ゾルディアーク商会会長のセフェドリアさん?」
「ふん、さっさと帰るがいい。こちらはやることが多いのでな」
セフェドリアは皮肉で返すが、アリスはフフンと鼻歌を歌いながら歩き去っていく。扉から護衛を連れて出て行くと、姿が見えなくなった。
嵐の様な怪物との出会い。
セフェドリアは身体中を強張らせていた緊張を解くと、特注の高級品である椅子に深く凭れる込む。深い溜め息と一緒に。
横に立つ老執事は契約魔術の書類を片付けていた。
「どう思う、ボルクス」
「そうですね、あの方は嘘偽りを嫌うように見えました。ですが一方では、一時の快楽にふらりと揺れてしまう恐ろしさもまた、持っているようにも見えました」
「......そうか。だが、一応は今のところ取引相手として繋がっておける。これを利用して出来る限り搾り取る。その後ならば問題にはなるまい。まぁ、商合貴族である私に逆らえば、この街で住み辛くなってしまうのは理解しているだろう」
「はい。ですので、彼方の機嫌を取り持ちつつ深い仲となれば、彼女も此方を裏切ることはなくなるのでしょう」
「......ふむ。ならば、丁度いい。ラムニアドを躾の代わりに手伝いに行かせるか。それで成長してくれたら儲け物と言った所だ」
にやりと笑いながら、アリスの面倒臭がる顔を思い浮かべたセフェドリアは、早速、原因にして張本人であるラムニアドを呼ぶことにした。
アリスの知らぬ間にことは進んでいく。
帰宅したアリスとその護衛である冒険者達は、室内に入ると暴れ回る黒猫とタオル一枚のリリアと冒険者の女性二人と遭遇した。
玄関の外や庭でたむろしていた冒険者仲間達は何も言っていなかったから、バルキオ達はその現場に遭遇してしまい、アリスは溜め息一つを吐く。
冒険者の女性二人は怒りと羞恥で顔を赤面させると、叫び声と共に鍛え上げた【魔技武闘戦術】――魔力を纏い強化した身体能力とそれに併せた近接戦闘である――と下級・中級魔術の連射連撃を繰り出した。バルキオ達を滅多打ちにしてリリアが開けていた窓から庭先に叩き出した。
言い訳を一言も語る間もなく、外に吹き飛ばされた彼等は、庭で倒れて無惨にも力尽きた。
リリアとシュバイツは呆然とその一連の流れを見ていた。その隙を突いてアリスは黒猫をつまみ上げると、リリアに渡した。
「はァ、下らないことをしてないでさっさと風呂に入ってきなさい。それと、叫ぶくらいなら風呂場から出なければ良いじゃない。たく、これだから若い子は難儀ねェ」
「えっと、すみませんアリスさん。直ぐに入ってきますね!あ、アリスさんもこの後で入りますか?」
「いえ、今日はもう魔術で洗浄するからいいわ。さ、入ってきなさい。猫畜生が臭くて堪らないわ」
『な、な、な、なんだと!ぼ、僕は水浴びを毎日欠かさずしてる、綺麗な猫だぞ!そこらの野良猫と同じにされてちゃ堪らないよ!』
「......へェ。の、割には風呂に入りたくないから逃げ回っていたのではなくて?もう、面倒だからさっさと入りなさい。じゃなきゃ、その毛皮を全て剥ぎ取ってから売り払うからね」
アリスの恐ろしい宣言にシュバルツは恐怖で毛を逆立てると、リリアと共に風呂場に向かって行く。その後ろからまだ赤面している女性冒険者の二人組も着いていった。
ことが終わってやっと落ち着ける、とアリスは深い溜め息を吐いてから、リビングにある大きめのソファーに腰掛けた。
キッチンの方からカチャカチャと物音がして、珈琲の芳ばしい香りが漂ってくる。液体をカップに注ぐ音が聞こえると、熱い珈琲の入った湯気の立つカップを持ってくる白髪白眼の美青年。
執事が着るような整った服装に、短く切った髪型の似合う美青年がアリスの横に立つと、カップを渡してくる。
アリスはにこりと微笑みカップを受け取る。
「ふふ、ありがと。久しぶりの姿ね、リヒテン・ゾルダートNo.01?......いえ、そうね。長くて面倒だから、貴方の名前はリヒトでいいわ」
「はい、アリステラ様。ありがたくその名、頂戴致します」
「この家の家事や雑務はお願いね、リヒト?」
「お任せを」
珈琲の香りを堪能してから、ゆっくり飲み、落ち着いた自由な時間を楽しむ。
今日は到着初日から色々と楽しめたが、代わりに面倒事が起こり過ぎて疲れたのか、アリスは飲み終わると、すぐに二階にある自室へと上がる。
後の指示は適当にリヒトへと伝えてあるので、今日は眠りたい気分だと告げてから、二階の勝手に決めた自室に入ると、埃臭い部屋全体に浄化の魔術をかけて一瞬で綺麗で快適な状態に戻すと、ベッドに潜り込んですぐに瞼を閉じて眠りに就いた。
明日から、また、刺激的で楽しい日々が始まることを楽しみに夢想しながら、今はこの心地好い疲労感を全身で感じて、深い眠りに誘われて意識を沈めていく。