異界の魔女と平民街
ペースはゆっくり進むと思いますので、ご了承くださると助かります!
路地から出ても、そこは貧民街が変わらずに広がっていた。
貧民街の場所による違いをあげるならば、路地の奥には危険な匂いを孕みこの街の生み出した闇が収束された深い部分が澱み溜まる、特に貧民街でも屈指の危険地帯である。裏家業の者達が隠れ潜む棲み家が乱立していると言えば解るだろうか。
それに比べて、路地から出た先に広がっていた貧民街は『大商路』の近場に作られた故に、比較的まだ、安全な地域である。裏家業に入る度胸もない貧民が寄り集まって出来た、交易都市初期に生まれた貧民街である。
だからか、この比較的安全な貧民街には平民に近い暮らしの者達が多く、冒険者に破落戸のたまり場や格安の宿場としても利用されており、それを利用してここに店を建てる者もいる。その風景は貧民が作っていても、交易都市らしいと言えなくもない。
魔女の出で立ちをした美女は、襤褸を被った少女を連れて貧民街の道を歩きながら、思考していた。
(......さァて、これからどうしましょうかねェ?住む場所も欲しいのだけれど、ただ何もせずに住むのもつまらないわよね?何かお店でも始めましょうか......、面倒な店番は所有物にでもさせればいいのだし)
などと適当にこれからの魔女の人生計画を考えながら歩いていると、豊満な胸の下で組んでいた腕の服裾を、くいくいっと後ろから軽く引かれて立ち止まる。
「ん?なにかしら」
少女が魔女を弱々しげに見ながら、時折恐がっているのか俯いたり、震えながらも言う。
「え......と、あの。名前を、教えてくれませんか?あ、私はリリアです!あの、魔女さんの名前、教えてください!」
慌てながら自分の名前を伝え、魔女の名前を聞く少女に魔女は目を丸くして気付いた。
そういえば、名前を教えていなかったな、と。
「そうね、言ってなかったわね。私の名前はアリステラ・エルディザイアよ。まァ、面倒ならアリスかステラとでも呼びなさい」
「あ、はい。アリスさんですね!これから宜しくお願いします!」
「ええ、宜しくね。リリア」
「はい!」
自己紹介を交わしつつ、二人は貧民街を抜けて大商路まで来ていた。
大商路の中央へ向かう道沿いに向けて歩けば、貧民街と隣接する平民街がある。アリスはまず、そこに行くべきと考えていた。
「平民街に着いたら、先ずは家でも買おうかしらねェ。それから、ゆっくりと計画を立てて、実行していけばいいもの」
気軽に家を買うと言ったアリスに、リリアは気になって聞いてみた。
「......あの、アリスさん。家を買うって聞こえたんですけどアリスさんって、お金持ちなんですか?」
聞かれたアリスは、豊満な胸の下に組んで巨乳を強調していた両腕の片手を上げて、細く白い指で顎を摘まみ、小首を傾げた。
「まァ、色々と昔からしてたからね。お金......というか、それなりの物はあるわよ。......見せてあげましょうか?次元道具箱」
アリスは魔術名を一言呟くと、片手を眼前に現れた黒い穴に突っ込み、手首から先が黒い穴に呑み込まれる。
突然に驚き固まるリリア。
そんなリリアの様子に気にもせずアリスは手をごそごそと動かして、何かを掴むと手を抜き出す。
「ほら、これとか高いんじゃない?」
アリスが無防備に見せたのは、装飾が施された高級な宝石類だった。
絶句したリリアは、そのアリスの手に重ねる様に自分の小さな手を合わせて宝石を隠すと、回りを急いで見回した。それから、キョトンとして何も知らないアリスに小声で、出来る限りの強い声で説明した。
「アリスさん、駄目ですよ!こんな、まだ貧民街も抜けてないのに。迂闊な上に危険過ぎます!平民街でもそうですけど、こんな大金になる物を道端で平然と出さないでください!いいですか!」
「え、ええ。了解したわ」
唐突に怒り説教をするリリアに気圧されて、アリスは頷くとすぐに宝石類を黒い穴に仕舞い込んで片手を振るい、黒い穴を消滅させた。
「アリスさんは強いんでしょうが、危なっかし過ぎます。私なんかが出来ることは少ないですけど、教えられることは教えますね?いいですか、アリスさん!」
「ええ、この街に来たのは初めてだし、私が忘れている常識的に必要なことは、教えてくれると助かるわ。よろしくね?」
「はい!」
二人が話ながら歩いていると、目の前には貧民街よりは綺麗な建築物が軒並みを連ねる、平民街と呼ばれた風景に変わり始めた。
貧民街が全体的に汚いからか、平民街は然程綺麗でもないのに、物凄く綺麗に見え、アリスは物珍しげに街並みに視線を向ける。
大商路沿いには様々な店が軒並を列ねており、平民街中心部の円形広場に近い程、大きな商店も建ち並ぶ。
二人の向かう目的地は、これから住む家を買える商業組合で、商業組合ともなれば大店の並ぶ中央広場にある。そこにあれば行き来がし易いと言う理由もあるが。
歩く人々も身形がリリアの様な貧民街の人間とは違い、少しは身綺麗にしているのが見てとれる。修繕跡がある衣服を着てはいるが、全体的に髪も肌も泥や傷の汚れが所々に着いたリリアや貧民街の人間と違い綺麗にされていた。
貧民街の汚さが目に見えて理解出来る貧富の差であった。
リリアはそれに少し腰が引けているのか、アリスの一歩後ろで隠れ歩いていた。
アリスは別に気にもせず堂々と優雅に歩き、目的地に到着した。
「ここかしらね」
アリスはそれらしい建物を見て言った。
リリアに視線だけ向けて聞くと、コクコクと何度も頷いて答える。
商業組合の建物は三階建ての木造建築で、長い歴史を感じさせる古い建物だった。しかし、入り口を通って入ると、組合の中は新しい家具や芸術品が置かれ、古くからある歴史的な部分を維持しながらも、新しい組合の在り方を組み込むと思わせる、存外に考えられて調和を合わせ、良い雰囲気が醸し出していた。
組合の中は役所などに近い、確りと整った雰囲気で、受付のお姉さん方も美人な者が多く揃えられ、相手をしている商人達は身形を綺麗に整えた服装を着込んでいた。
冒険者組合と違って商業組合は酒場ではなく、喫茶店に近い店が受付のある場所から反対側に設置されている。
店内では商人同士の情報交換や商品のやり取り、交渉などを行いつつ、手軽な軽食や飲み物を飲み食いしているのが見てとれる。
悪くない雰囲気をアリスは気に入り、人が居ない受付嬢の所に向かった。
リリアも慌ててアリスの後を小走りで歩き追従する。
組合の商人や受付嬢達は少しの間固まってしまっていた。何故かといえば、それは余りにも美しい魔女の出で立ちをした美女が現れたからだ。その後ろには不釣り合いな貧民街の少女が付き従い、主従を明確にさせていた。
人の居ない受付嬢は、そんな美女が自分の所に向かって来て半ば混乱していた。
(......え、ちょっ、えぇ!?見たこともない美人さんがこっち来てる!やばいやばいやばい、凄く緊張するんですけど!)
そんな心中など知らんと言っているかの様な、圧倒的な上位者として上から目線でアリスは受付嬢に話し掛けた。
「こんにちわ。私、今日初めてこの街に来たのよ。この街で問題なく過ごす為に必要な情報を聞かせてもらえるかしら?それと、身分証を発行して欲しいわね。後は、住む家を買いたいからそれもお願いね?」
「あ、えと、はい。では先に身分証を発行しますね。それから、この街で生活する上での必要なことをお話しします。それと、家の買い取りでしたら不動産業務を行っている商会に連絡して買い取るということになるので、それも後から行います。よろしいでしょうか?」
「えェ、それで構わないわよ」
受付嬢は笑顔を頑張って張り付けて、受け答えする。
アリスはそんな受付嬢の心中を察してか、にやにやと見ながら言った。
受付嬢はカウンターの下にある戸棚から書類を出すと、ペンと共にアリスへ渡す。
「これが必要書類となります。氏名、年齢、種族の記入をお願いします。一応、得意な事や職業等も記入していただきますと、その得意分野を扱う商会から人材として求められる場合もあるので、何処かの商会で働きたい場合のみ、記入してください。希望の商会からの人材紹介にはこちらで書類を送りますので。商会で働くことが無い場合は書かなくても大丈夫です。あ、それと、代筆は必要ですか?」
「いいえ、いらないわ。文字くらい書けるもの」
そうして、渡された身分証発行書類に氏名、年齢、種族を書いていくアリス。
受付嬢はちらりとアリスが書く書類を見ると、そこには驚愕の内容が描かれていた。
(ふむふむ、氏名アリステラ・エルディザイア。年齢六千七百八十二歳......6782歳!?っえ、ちょっと!この人って人間じゃないの?!種族は......っ、魔女一族!?え、魔女一族って言えば最上位の生物種族じゃないのよ!なんで、そんな魔女がこんな所に来てんのよ!)
混乱する受付嬢はアリスに書類を返され、誤って言ってしまう。
「えと、はい。アリステラ・エルディザイアさんですね。えと、魔女一族って本当ですか?」
受付嬢の言葉に周囲に居た全ての人間の視線が殺到する。
受付嬢にというよりは、アリステラ・エルディザイアに対する魔女一族への興味や関心からの視線である。
半分は欲望混じりではあるが、アリステラ・エルディザイアははっきりと答えた。
「ええ、そうよ?何か問題があるのかしら?半分は人間の血も引いてるから、私としては人間である意識も少しはあるのよ?」
周囲の者達や受付嬢は一斉に同じことを思ってしまった。
(いやいやいや!不老不死の魔女一族が人間なわけないでしょうが!)
そんな組合の空気を余裕の笑みで無視するアリスは、話をさっさと進めてしまう。
「それで?書類は書いたのだから、早く身分証をくれないかしら」
「あ、はい!これをお持ちください。これが組合証となります」
渡された組合証は、後ろに書類情報が記された青色の手の平程度の魔術板で、表にはメルカトール第七地区アリバランシア商業組合の文字と、金貨や銀貨が絵を彫り込んだ緻密な絵柄の商業組合専用身分証カードである。
「そ、ありがと。で、この街での必要なことを教えてくれるかしら?」
「はい、分かりました。それと、組合証は魔術刻印が成されておりまして、紛失した場合には組合から広域探知の魔術を使用して、この都市国家内であれば探し出すことも可能ですので、直ぐに言ってくだされば問題ありません。それから、この街での生活する上で必要最低限知っておかなければならないことを教えますね。」
受付嬢はコホンとわざとらしく咳払いしてから、話はじめる。
「私達の住まうこの街は、交易中立都市国家メルカトールにある第七地区都市アリバランシアと呼ばれております。アリバランシアでは、大商会アリバランスの自治下に置かれて統治されており、問題が起こる場合アリバランス商会の者が衛兵と共に処理を行います。なので、まず覚えるべきなのはアリバランス商会を的に回さないようして下さい。アリステラさんの場合、敵対して危険に陥る可能性は無いですが、その少女が狙われかねません。気を付けてください。この街はアリバランス商会の傘下にある中規模の商会がアリバランス商会の統治補佐を行っており、アリバランス商会が『商王』と呼ばれ中規模の商会連合が『商合貴族』と呼ばれておりまして、他国における王と貴族の在り方を大商会と商会連合が再現して、第七地区都市を統括しており、他の地区都市も同様の統治機構を有しています。商王と商合貴族には敵対せず、友好関係を築くことをお勧め致します。それから、この街にあるその他の商会、商店は殆ど全てが商王又は商合貴族の傘下と成っております故、ご理解下さい。これで終わりですね、何かご質問はおありですか?」
アリスはにっこりと笑顔で返し、
「いいえ、何もないわ。有り難う、長々と話させてしまって」
「はい。それから、アリステラ様のご要望にあった家なのですが、どの様な物件をお買い求めなのでしょうか。それによっては紹介する物件も変わりますので」
「そうね、庭付きの一軒家で二階建ての実験用の地下室がある方がいいのかしら。あァ、それから私も自分のお店をやるから、一軒家の横には商店用の三階建て位の建物も一つ欲しいわね。これぐらいかしら」
受付嬢は横のカウンター上に置かれた本棚から書類を探して、四枚程抜き取るとアリスに渡す。
「アリステラ様、この物件でしたらどうでしょうか?この四件とも二回建ての一軒家で、地下もあり、隣には空き家があります。どれもグラナキム不動産商会の物件でして、私からもお話を通しておけます。それに、どれも格安となっております。これからお選びになるのはどうでしょうか?」
受付嬢の無駄に強い押し売りに、引き気味になってアリスは四枚の物件書類を見る。良い感じに自分の求める物件が四つもあり、気になりはする。だが、それらの優良物件を見て一つ気付いた。
アリスは受付嬢の眼を直接合わせて問い詰めた。
「ねェ、聞きたいのだけれど。これだけの優良物件を、何故、こんなにも格安で売りに出しているのかしら?ねェ、受付嬢さん?少ォしだけど私気になるのよね?曰く付きとかじゃないのかしら?」
直後、受付嬢の瞳がぐるぐると回り始める。
顔から脂汗がダラダラと流れ出し、カウンターに置いていた両手を肘先から持ち上げ、両手の五指を上下に動かして、完全に挙動不審と化していた。
「あぁーっと、その、ですね。いえ、だいじょーぶですよー?......多分」
「そォなの。そ、それじゃァ何かあった場合は貴女に責任を全て、押し付けるけれどいいかしら」
「すいませんでした!嘘です!この四つとも、全部事故死と自殺と悪霊が棲み着いた不良物件です!でもでも、魔女一族のアリステラ様なら大丈夫かなー?って思ってですね?......すいませんでした」
カウンターの上に頭を全力で下げる受付嬢に、溜め息を吐くアリス。
「まァ、いいわ。許してあげる。でも、次に隠し事をすればどうなるか、分かるかしら?」
「はひぃい!分かりますぅ!もう隠し事はしませんですはいぃい!」
「それと、この中から住む家は決めるわ。他を探すのに時間を掛けたくないもの」
「......え?あ、はい。分かりました。これでいいのでしたら、この書類を持って商業組合から出て左側に建物沿いで歩くとあります、ドリムトス商会でお話下さい。それで話が通る筈ですので」
ガタガタと震えて怯えた身体をなんとか押さえ込んで、冷静な対応と態度を取り繕って話を進める受付嬢。
アリスは懐から出したように見せて、次元道具箱を見えない様にしてから中にある宝石を取り出す。
受付カウンターにコトリと宝石を置いて、にこりと笑顔を作り言った。
「ありがとう。自分の店を作る時にでも、また来ることにするわ。これは色々と楽しませてくれたお礼よ?次いでに、貴女も私の楽しみになったから、それも含めてかしらね?貴女、名前は?」
「あ、はい。私はクレア・マルクィンテと申します。今後とも宜しくお願い致します、アリステラ様。それから、そちらの女の子も、宜しくね?」
受付嬢のクレアはアリスの言った言葉に対して、内心では絶望と恐怖と驚愕に彩られていたが、それでも表情は欠片も出ないように何とか完璧に装うと、受け答えした。
まさかの、商業組合に入ってからは完全空気と化していたリリアにも挨拶をしたほど、完璧に取り繕っていた。
「......あの、はい。よろしくです、クレアさん。私はリリアって言います」
「ふふふ。可愛らしい女の子ですね?まさか、アリステラ様のお子さまでしょうか?」
「......ん?いいえ、違うわよ?私には別で娘が一人と、孫が確か......四、五人位居たかしら。......どうだったかしらねェ?」
「わぁ、アリスさんって子供が沢山いるんですね!」
「ええ、まァね。......さてと、組合での用事も済ませたことだし、そろそろ行きましょう?リリア。クレアも、それじゃあね」
「はい!またのお越しをお待ちしております」
それから、アリスとリリアは組合を出ると直ぐにクレアが伝えたドリムトス商会へと向かう。
次の目的地は、商業組合を出て左側に建物沿いで歩いていくと、ドリムトス商会は直ぐに見つけられた。
回りと同じ造りの建物で扉が中央にあり、扉の左右には壁一面に広がる透明な窓ガラスによって、店内が見える。
店内に入ると、扉の上に付いた鈴が綺麗な音色を奏でる。
店内は左右に立てられた商品棚に様々な家具や小物が小型の模型として置かれており、不動産業の商会としては提携する建築・家具職人達の作品は展示しているらしい。
店の中心には机と椅子が三つほど設置されて、話し合いが出来るようになっている。
誰かが来たことに気付いた店員が、奥からぱたぱたと足音を鳴らしながら現れる。
奥のカウンターから、年若い十代半ば位の少年が現れ、アリスの前に来た。
「いらっしゃいませ。えぇと、当商会に何をお求めでしょうか?」
「えェ、これを見てほしいのよ」
アリスは話を進める為に受付嬢から受け取った、商会で見せるように言われていた不良物件の書類を渡す。
少年は書類を受け取り、見る。
すると、怪訝な表情を作り、アリスへ答える。
「えーと、お客様。これは不良物件ですがよろしいので?」
「ええ、かまわないわよ。それに、棲み着いた怪物か悪霊でも従えるのも楽しそうじゃなァい?...で、これの中から平民街と貴族街の中間辺りに在る、丁度良い物件を選びたいのよ。頼めるかしら」
「はい、ではこれですね」
少年は書類の一枚を取ると、アリスに渡す。
渡された書類は、同様の書類が商会にもあるから買い取り側で保管して置くらしい。それによって、どちらかの不備を無くし、騙すことも防ぐ。
少年はカウンターに戻り、書類と幾つかの紙を取り出して店内に置かれた机に向かい、アリスへ椅子に座ることを勧める。
「あぁっと、すいません。どうぞ、椅子にお座り下さい。これが、記入する書類ですね。これを書いてから買い取り金を払えば完了になります」
アリスはリリアと一緒に椅子に座ると、机の上に置かれた記入書類を見る。
幾つかの記入事項を書き込むと、少年に返す。
少年は記入された内容を確認して頷く。
「はい、後は買い取りの支払いですが、どうします?即金か分割か、選べますが」
アリスは大粒で高級な宝石を幾つも出すと、机の上に置いた。
「これでお願いするわ。私、ここの貨幣をまだ持っていなくてね?で、多分これなら余る程だと思うのよ。それで、余った分は宝石を渡した手数料でいいわ。これでどうかしら」
キラキラと輝く上等で高級な宝石類を山と積んだアリスに、驚愕に目を丸くして少年は見いってしまう。
「あ、のですね。それは構わないのですが、多分、すごく余りますよ。良いんですか?」
「ええ、構わないわ。それ位ならまだあるもの」
「ちょっ、アリスさん!あんまり風潮し過ぎない方がいいですってば!」
少年は少女のリリアが大人のアリスに注意している光景を見て、苦笑する。
「ええ、そうですね。アリスさんでしたか、世間に疎い様ですが気を付けて下さい。それだけの大金を見た輩が何を考えるかなんて、言わなくてもわかるでしょう?」
「そうね、注意しておくわ。まァ、私としては絡んできても良いのだけれどね?逆に無一文になるまでむしり取れるし」
笑顔で恐ろしいことを言うアリスと、疲れた表情のリリア。
少年は、はははと笑うと持ってきていた袋に宝石類を詰め始め、書類も纏めて片付ける。
「これで終わりですね。では、家に案内をしますから、着いて来て下さい。行きましょう」
「ええ」
「はい」
三人は、ドリムトス商会から出て中央広場を抜けた更に先の、貴族街方面に歩き出す。
貴族街へ向かう中で、左右に建ち並ぶ建物や歩く人々が高級そうな衣服を纏い、綺麗な街並みを見せ始める。
少年の話によれば、ここら一帯は貴族街ではないものの、貴族街にある大商会の傘下である中規模商会が軒並みを連ねているらしい。
迂闊に問題も起こしてはいけない、安全な場所でもある。
警備の兵士や衛兵が巡回する姿も多く見られた。
「そう、で。私の買った家はこの先なのかしら」
「はい。でも、こんな良い立地の表通りではないですけど、表通りから七本程裏の路地にある場所ですね」
少年の言う通りに、大商路の横に途中で曲がり、そこから七本ほどの十字路を真っ直ぐ進んで、今度は貴族街のある方に前に進むと、路地裏や裏通り程ではないが、少し暗く綺麗ではない路地が表れる。
貴族街に近く、中規模商会が表には軒並み列ねていながら、少し裏に来たら平民街らしくなった。
そんな場所に、アリスの買った家は存在した。
大きな二階建ての一軒家で、庭も前面に広がり、後ろにも家庭菜園用の庭があるらしい。そして、一軒家の隣には三階建ての空き家が建てられていた。
雰囲気は悪くはなく、曰く付きと言われているとは思えない程である。
清掃も定期的に行っていたのか、案外綺麗にされており、庭も雑草まみれではなく、アリスは人目見て気に入っていた。
「うん、いいんじゃない?この家、気に入ったわ」
「そうですか、それは良かった。それとこれが、この家の鍵ですので紛失しないようにお願いしますね。では、私はこれで失礼いたします。何か問題や不備があった場合の相談は承っておりますが、それによる責任は受け付けませんのでそれはご了承ください。それでは」
少年は家の鍵を渡すと、最後まで商人らしくしてからにこりと笑顔で一礼し、去っていった。
家の外側にある柵付きの門を開けて、リリアは庭の方へと小走りに中へ入っていく。
「わぁー!すごいですね、アリスさん!こんな凄いお家に住んでも良いんですか、私!」
リリアの後をゆったりと歩きながら、アリスは一軒家の玄関を渡された鍵で開けると、中へと入って行った。
「あ、ちょっと待ってくださいよ、アリスさん!私も一緒に行きますから!」
リリアも後ろから慌てて着いて来ると、中へ入ってくる。
買い取った家は、玄関口から真っ直ぐに廊下があり、その奥には二階へ上がる為の階段が見える。玄関前の廊下で直ぐに右側にはリビングルームと思われる広い部屋があった。
二人はリビングルームには大きなテーブルや椅子等の家具がそのまま置かれており、次に来た住人が使えるように綺麗にされてある。
リビングルームの奥には、キッチンがあり、覗けるようになっていた。
リビングルームから庭が見えるように窓ガラスが張られ、中々に見映えは良かった。
リリアが窓ガラスを左右に開けると、外から見える落ち始めた夕陽を眺めて言う。
「そろそろ、夕方になるね。アリスさんに会ってから数時間もたってないのに、なんだかすごい長くいたように感じる。なんでだろ?」
「さァ、多分あれじゃないかしら?急に起こった様々な出来事に対して、貴女の小さくて未熟な脳が展開への対処が間に合っていなくて、それで長々と感じるのではないかしら?」
アリスは椅子に腰かけると夕陽を眺めつつも、リリアへと笑いながら答える。
「ちょっ、アリスさんってば、今の完っ全に馬鹿にしてたよね!?知り合って知ったけどさぁー、アリスさんって意外と性格悪いでしょ?」
リリアの言葉にアリスは肩を竦めて、ニヤリと微笑んで答える。
「ふふっ、そうかしら?そう感じる程に貴女の心が狭いのではなくて?」
「いや、だから今のも馬鹿にしてるよね!もぅいいよ、アリスさんは頭も無駄に良いから、口で勝てる気がしないから諦めるよ」
そうして、二人はやっと落ち着ける場所でのんびりと会話を楽しんでいると、二階からごとりと物音がする。
「あら、やっと来たのからしら」
「......え、ちょ、えぇっ!悪霊かなんかだよね!?......アリスさん、アリスさんなら大丈夫なんだよね!ね!?」
突然の物音に、リリアは此処が不良物件の悪霊か怪物等が巣食う、危険な場所だと思い出す。
体がカタカタと震え出したリリアは、立ち上がったアリスの後ろにピタリとくっつくと、ローブの裾をはしっと掴み、大丈夫なのか震える口から絞り出して聞く。
アリスは怯えたリリアに怖い笑顔を向ける。
「さァ、それはどうかしらねェ?」
「ちょっと、アリスさん!今は遊ばなくて良いから!」
「だって、ねェ?貴女の怯えた姿が子鼠の様で、見てて楽しかったのよ。うふふっ」
「ううぅーっ!アリスさんの馬鹿ぁ!」
怯えながらも叫び返すリリア。
アリスは楽しみながら、リビングルームの入り口の方を見る。
すると、そこには二階の方から来た黒く禍々しい物体が、廊下の上を這いずりながら此方へと向かって来ていた。
リリアは声にならない悲鳴を上げ、アリスはつまらない物を見た顔になり、指をパチリと鳴らす。
刹那、黒い禍々しい物体は吹き飛び、その場所には可愛らしい金色のつぶらな瞳をした黒猫が一匹いるだけになる。
アリスはきょとんとした黒猫の首根っこを摘まみ上げ、リリアへと放り投げた。
リリアは投げられた黒猫を反射的に抱き止め、眼を丸くして聞いた。
「......え?これが、今の怪物の正体ですか?」
「そうよ、この黒猫が怪物にでも成り済まして居たのでしょうね。はァ、つまらない」