殺人の音
ちょっと暗いかも知れないです。
午前1時、バイトが終わり自転車を走らせ帰路につく。
街灯や街明かりが柔らかに街の輪郭を浮かび上がらせている。真っ暗だという印象はないが、明るいとも言い難い。物陰は濃く、いつ何が飛び出してくるともわからないのだ。そんな道を、自転車を漕ぐ力を利用して光るライトが、申し訳程度に行く先を照らす。
ゆるい坂を登っていくと、急な下り坂が始まる。
自転車の流れるままに坂を下り坂始めると、夜風が心地よく、加えてペダルを踏む。数十メートル先、信号は赤く光っている。さすがに深夜、車はもう走ってはいない。故に、ブレーキを掛けずとも、車に轢かれることはないだろう。
だが、もしも、と想像する。私が流れるままに身を任せ、赤信号に一時停止しなければ、そのことを知らない車が走ってくるかもしれない。そうなれば、私は自転車もろとも吹き飛び、いろんな箇所に傷を負って、地面に叩きつけられることだろう。死んでしまうかもしれない。
はたまた、車なんぞ来なくとも、これだけ鋭い坂道であるなら、勢い余って私と自転車は簡単に飛び上がって、いつの間にか降下し、奈落の底まで転がり落ちて、遂には、死んでしまうだろう。
刹那の間に、その事を考える。
何故自分が生きているのか、自分には到底理解出来ない。生きるのは恐ろしいことだ。恥の多いことだ。それならいっそ死んだ方が楽である。自殺したら、霊にまでなっても自殺を繰り返すと聞いたことがあるが、生きるなどという恐ろしい事に比べれば、死に続ける事など優しいものだろう。死ぬ理由はある。生きる理由はない。ブレーキを握らなければ、きっと死ねる。
「まあ、どうせ生きるのだけれど」
閑静な夜中に、空気を裂くような甲高い音が響く。私が私を殺す音だ。
握りしめたブレーキがタイヤに擦れるか何かして出た音である。
私を殺そうとした私を殺す音。
信号の前で止まっても、車は一つも通らない。赤から青へ色が変わると、自転車を進ませ、緩くブレーキを掛けながら、この長い下り坂を下りていく。その甲高い殺人の音を、毎晩毎晩自分の住む町に響かせて、私は生きているのだ。
私が死ぬまでに、私は一体何人の私を殺さねばならないのだろう。
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