スモーカースイート
「どうしていつも俺ばっかりに」
里中幸平は出かかったうらみぶしを何とかのみ込んだ。部長のカミナリはいつだって幸平にばかり落ちた。後輩のミスも、取引先でのトラブルも、全部幸平のせいだ。
やってられない。
肩を落として逃げるように自分のデスクに戻ると、ノートパソコンのディスプレイ画面に娘の笑顔が揺れていた。
「パパがんばってね」と、壁紙写真の娘はそう語りかけているようだ。視線をおとすと、キーボードの上に黄色いキャラメルの箱がおかれていた。
「これあげる」と、今朝玄関で娘にわたされたものだ。幸平がいくら言われても禁煙をしないので、妻は娘をつかったのだ。口寂しいならこれで我慢しなさいと、口をとがらす妻の顔が浮んだ。
でも、パパは甘いものだめなんだよ。
幸平はキャラメルを胸ポケットにしまうと、いてもたってもいられず喫煙できるオフィスの休憩室へ向った。
あわててたばこを取り出そうとして、間違って黄色い箱を喫煙テーブルの上に出してしまった。
違う、違う。
たばこを口にくわえ、火をともした。一気に肺に吸い込んだ煙をじっくり味わって、ゆっくりと吐きだした。紫煙がちいさな空間を満たすように広がった。幸平はなにもかも忘れ、薄れ行く煙の動きを追った。その煙の広がりがみだれ休憩室の扉が開いた。
部長だ。
まったくついていない。
逃げてきたのにここでも説教かよ。
部長はたばこを一本取り出して、包装を握りつぶしてくずかごに投げいれた。最後の一本に火をともし、少しだけ煙を吸い込んだと思うと灰皿ですぐもみ消してしまった。
幸平がけげんな表情をすると、部長はむつかしい顔で幸平のほうを見てきた。
幸平は半分ほどになったたばこを急いでもみ消し、音をたてないようにそっと立ち上がろうとした。
「ひとつくれないかな?」
部長に指をさされ幸平は動きを止めた。
はあと気のない返事をしながら、たばこの箱をつかんだ。
「違う黄色いほうだよ。禁煙をはじめようと思ってな」
部長がキャラメルをくれといっているのを理解するのに、ほんの少し時間がかかった。幸平はおそるおそる銀紙につつまれたキャラメルをひと粒渡した。部長は包みを開き、何のためらいもなく口にはこんだ。
「お前は食わんのか?」
「俺はいいっす」
「そうか」と言いながら口を動かす部長は、もごもごと「甘いな」とひとりごちた。いつも険しい顔ばかりしている部長が、キャラメルをなめて甘さにとろけ優しく微笑んだ。幸平はなんだかおかしくなり、キャラメルに手を伸ばした。
銀紙が光に反射しきらめいた。
中からはしっかりと質感をもったキャラメルが現れ、幸平は大事に口へ運んだ。
しみこみように広がる甘みが、口のなかすみずみにいきわたった。
目をつむると、微笑む娘と心配そうな妻の顔が生き生きとまぶたの裏にうつしだされた。
「いけますね」
「だろう」
「戻りましょう」と言いながら休憩室のドアに手をかけた幸平の肩を、部長がポンと叩いた。