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第三章 決意 下

 翌日の朝、灰積家の圧力に屈して二龍逢城へ出兵するという噂に驚き悔しがっていた桃園家の家臣たちの元へ、全員正装して正午に城へ集まれと真棟から命令が届いた。九千三百人の家臣たちはいよいよ出陣かと気を引き締め、泉代家とは家臣同士の交流が盛んで戦いたくはないが、きっとご当主様には何かお考えがおありなのだろうと覚悟を決めて、なぜ正装なのかと不思議に思いながら登城した。

 大広間には入りきらないため、城の下郭(しもくるわ)の広場に部隊ごとに整列した家臣たちが、一体何事が始まるのかと待っていると、彼等の前方に並んでいた四人の家老の中から筆頭の海老間永謙が進み出て、正面の段上に登った。


「諸君、よく集まってくれた。これより、出陣式を始める」


 やはり出陣かと表情を硬くした家臣たちの前に、深緑色の直垂(ひたたれ)に身を包んだ真棟が立った。


「皆、急な呼び出しで驚いたろう。今日は重大な発表が二つある」


 家臣たちの顔をおもむろに見渡した真棟は、彼等が戦場で聞き慣れたややしゃがれた大声で言った。


「わしは本日ただ今をもって隠居し、桃園家当主を下りる!」


 家臣たちはよほどのことが告げられるのだろうと覚悟していたが、さすがに驚愕した。


「何だって! どういうことだ?」

「真棟様が指揮をおとりになるのではないのか」


 動揺する家臣たちを真棟は「静まれ!」と黙らせると、重々しい口調で言った。


「皆、今までよくわしに仕え、盛り立ててくれた。感謝する」


 真棟は深々と頭を下げた。


「わしもこたびの戦に参陣するが、一武将として大将をお助けするつもりだ。そして、その大将となり、わしのあとを継いで桃園家の当主となられるのは、このお方だ」


 真棟が「参られよ」と右手に呼びかけると、そばの建物の扉が開き、真愛が現れた。

 おおう、と再びどよめきが起こった理由は二つあった。一つ目は、真愛が女性の格好をしていたことだ。桃園家の名に合わせたのか、桃色の袴を付けて白い上衣の袖を桃色のひもで(たすき)にかけ、長い髪を首の後ろでまとめて背に垂らし、額にはこれも桃色の鉢巻をしている。手には金色の鞘をはめた愛用の薙刀を持ち、肩に白い鴉を乗せて、ゆっくりと、しかし確かな足取りで歩んでくる様子は、いかにも凛々しい女武者だった。


「真愛様がなぜ女の格好を……?」


 何人かがつぶやいたが、彼等も何も言わなかった者たちも既に答えを悟っていた。女物の服がよく似合って違和感が微塵(みじん)もないことといい、いつものつり上がった眉の描き方をやめて色気と清楚さを強調する薄化粧を施した(かんばせ)の美しさといい、わずかに膨らんだ胸元を見るまでもなく、真愛が実は少女だったことは疑いようがなかったのだ。中には、その姿に真弓姫の面影を発見して涙ぐむ者たちもいた。

 広場を真っ直ぐ進んだ真愛は段上に登ると、緊張した顔で家臣たちを見渡して言った。


「皆さん、今までだましていてごめんなさい。私は見ての通り女です。名前は本当は『まかな』と読みます。そして、白牙大神(しらきばおおかみ)様の巫女姫でもあります」


 家臣たちの目は高く挙げられた左腕に集中し、そこに横を向いて翼を広げた鴉のような形のあざを見付けて一斉に大きく見開かれた。


「私、桃園真愛(まかな)は、真崇(さねたか)叔父様の息子ではなく、本当は祖父真棟の長女真弓姫と高桐澄基公の間に生まれた娘です! 今日この時から、私真愛が桃園家の当主となります! また、こたびの戦も私が総大将として指揮をとります!」


 静まり返った広場に、肩の上の白い鴉の、かあ、という大きな声が響き渡った。


「皆さんはきっと、初陣でわずか十六歳の私が総大将では不安でしょう。でも、大丈夫です。私たちには強い味方が付いています!」


 そう真愛が言うと、家臣たちが驚いた二つ目の理由が前に進んで少女の横に立った。建物を出た時から真愛と並んで歩いていた見知らぬ少年だ。


「この方こそ、龍営が全国に手配書を回している桜満煕幸様、桜の大軍師様です!」


 今日の煕幸はいつもの行商人風の旅着ではなく、胸元が四角く開いた珍しい形の襟の真新しい着物を着ていた。薄い青が基調になっていて、背中に胸の刺青とほくろを拡大したものが濃い桃色と黒と薄紅で描かれている。手には同じ絵が描かれた大きな青い団扇(うちわ)を持っているが、これには鉄の芯が入っていて、軍勢の指揮の他、万一の時の防御にも使えるようになっている。真愛の戦装束は少女が城に来てすぐ、こういう時のために真棟が密かに用意させていたが、煕幸の着物は昨夜七穂と小鈴が徹夜して襟を直してくれたものだ。


「巫女姫様と大軍師様だって?」

「二龍逢城を攻撃するんじゃないのか」


 期待と不安の入り交じった顔の家臣たちに、真愛は言った。


「では、新当主として命令を発します。桃園家はただ今より灰積家と断交し、長年の友好関係にある泉代家を救援するため、明後日の朝、九千で出陣します!」


 続いて煕幸が言った。


「ねらいは灰積将邦の首、ただ一つです。作戦は既に立ててあります。必ず勝利して将邦を討ち果たし、皆さんを無事にこの国へ帰すことをお約束します」


 二人は声を合わせて叫んだ。


「最終目標は、吼狼国の乱を治め、高桐基銀を倒すことです。手始めに、首の国の民に平和な暮らしを取り戻しましょう!」


 二人が腕を振り上げると、辺りはしんと静まり返った。


「えっ……?」


 家臣たちが黙り込んでいるので、一緒に(とき)の声を上げてくれると思っていた煕幸は不安になった。真愛も青ざめ、よく見ると上に伸ばした腕が震えている。


「やはり、いきなり当主交代はまずかったのでは……?」


 と斜め後ろにいる真棟を見やった時、家臣たちの方から大きな叫び声が聞こえてきた。


「本当に、本当に巫女姫様と大軍師様でいらっしゃるのですか!」


 顔を戻すと、列の間から二十歳前後の家臣が一人、段の真下へ転がるように飛び出してきた。

 煕幸は真愛と視線をかわすと、腰をかがめて胸を見せた。少女も腕を差し出した。


「これが証拠です」


 二人の刻印をこれ以上ないくらい目をまん丸くして凝視(ぎょうし)した若者は、くるりと家臣たちの方を振り向くと、「本当に本物だあ!」と絶叫し、いきなり泣き出した。

 すると、おおおおう、とものすごい雄叫びが涌き起こって、家臣たちが段の前に殺到してきた。


「俺にも、俺にも見せてください!」

「こちらにもお願いします!」


 九千三百人の家臣が押し合いへし合いしながら二人の前へ来て、あざとほくろを見て皆同じように目を丸くし、そして泣き出した。

 煕幸と真愛は意外な反応にわけが分からなかったが、請われるままに刻印を見せ続けた。すると、家臣たちの泣き声がどんどん大きくなり、いつの間にか全ての家臣が涙を流していた。家老四人や真愛たちと一緒に建物から出てきた七穂たち侍女三人までもらい泣きしている。どういうことかと驚いていると、真棟がやはり目に涙をにじませて言った。


「皆、ずっと耐えてきたのだ。灰積家の命令で罪のない封主家を攻めさせられ、それが自分たちの首をじわじわと絞めていると知っていながらなお従わざるを得ないことに、いらだち、悔しがり、己の無力を情けなく思ってきた。だからこそ、彼等はうれしいのだ」


 そう言われてよく見ると、家臣たちは泣きながら笑っていた。これから厳しい戦いが始まるというのに喜んでいるのだ。煕幸は少女に言った。


「やっぱりこの人たちと共に戦う決意をしたのは間違っていなかったね。僕たちがしようとしていることは、きっと首の国の人々から支持されるね」

「はい!」


 真愛は大きく頷いた。

 やがて、永謙に元の場所へ戻るように命じられ、泣くのをやめて再び列を作った武者たちは、真棟の口から真愛の生い立ちを聞かされ、山賊退治の作戦が煕幸の発案だったことを知ると、歓呼の声を上げて新しい当主と軍師を承認し、二人の指示に従うことを誓った。敵の強大さは皆よく分かっていたが、士気は高く、若く美しい主君のために命をかける覚悟を決めていた。

 最後にそれぞれの部隊の隊長に出陣の準備について具体的な命令を伝えると、永謙は解散を命じた。ところが、そこへ市中の警備をしていた武者から急報が入った。山賊が全員で町の門の前に来ているというのだ。罪人の引き渡しと食料や資金の受け取りにきたようだが、真愛が新たな当主になったと聞いて、ぜひ会いたいと言っているとのことだった。


「どうしますか」


 真愛に問われた煕幸は少し考えて、「義狼団の全員をここに呼ぼう」と答えた。


「やつらを城に入れるのか」


 貴政は顔色を変えたが、真棟は「軍師殿の判断に従おう」と言った。

 やがて、義狼団一千人がぞろぞろと城門をくぐって広場へ入ってきた。町の中で人々の憎悪の視線にさらされ、ここでも九千三百人の警戒のまなざしを浴びて皆びくびくしている。


「よくやってこられたものだわ」


 七穂が冷たい口調で言い、貴政も敵意を隠そうとしなかった。


「約束通り、罪を犯した者たちを調べて連れてきたぜ」


 山吹善晃と朝岸友延は周囲の視線にも平然としていたが、さすがに真愛の変身ぶりには驚いているらしかった。既に町に広まっている噂で真愛と煕幸のことを知っているようだが、まだ信じられないという顔をしている。

 善晃は罪人二十八人を引き渡すと、万之助が死んだと聞いて眉をひそめ、半七郎の行き先に心当たりはないかと聞かれて「俺たちの所には来てねえよ。もしのこのこ戻ってきやがったら、半殺しにして引き渡す」と答え、しばらく真愛と煕幸の顔と格好をじろじろと眺めていたが、七穂に「さっさと帰りなさいよ」と言われると、決心した顔で「天命の刻印を見せてもらいてえ」と言った。

 煕幸が頷き、近付いて胸を見せると、真愛も左腕を伸ばした。善晃と友延は目を皿のようにしてそれを眺めていたが、顔を見合わせると尋ねた。


「あんたたちは本気で将邦や基銀を倒すつもりなんだな?」

「もちろんです」

「当然です」


 真愛と煕幸が即答すると、善晃と友延は頷き合ってその場に平伏した。他の山賊たちも一斉にそれにならった。


「だったら、俺たちを仲間に加えてくれ!」

「なにっ!」

「ええっ!」


 貴政と七穂が驚きの声を上げたが、煕幸は分かっていたという表情で尋ねた。


「理由を聞いていいかい?」


 善晃は顔を上げて言った。


「俺が義狼団を立ち上げたのは基銀を倒すためだ。家族のかたきなんだ。俺は以前は武家だったが、一族で生き残ったのは俺一人だけだ」


 真愛と七穂が目を大きく見開いた。貴政はふんと鼻を鳴らしたが、二人を見る目つきが少し鋭くなった。


「副頭領の朝岸友延は元商人だが、結婚して三年目の妻と子供を殺されてる。うちの団員はみんな似たり寄ったりの境遇なんだ。団を大きくしたいと万之助や半七郎のような連中を入れちまったが、ほとんどのやつは本気で基銀を倒したいと思ってる」


 後ろに並んでいる者たちが一斉に頷いた。友延が額を地面にこすり付けて言った。


「万之助たちのしたことは本当に申し訳のしようがない。俺は商用で留守にしている間に龍営派の武将の配下の武者に家を襲われたんだ。あの恨みは決して忘れない。だから、狼藉は絶対にしてはならないと仲間に口を酸っぱくして言ってきたし、ほとんどのやつはそれを守ってた。俺たちの義狼団からあんなやつらを出しちまったことが悔しくてならない。被害にあった人たちに俺たちができることがあったら何でもするつもりだ」


 善晃は悔し涙を流す副頭領にいたわりと共感の目を向けながら言った。


「俺たちは基銀を倒すためにずっと龍営と戦ってきた。だが、相手は強大でなかなか勝てねえ。資金を援助してくれる者たちもいるし、できる限りの抵抗をしてきたが、手下の一人にすぎねえ将邦にさえ手が届かねえのが現実だ。だが、あんたたちは本気であいつらを倒すつもりらしい。ならば、俺たちも協力する。将邦との戦いを手伝わせてくれ。どんなことでもするからよ」


 手下たちも一斉に「お願いしやす」と頭を下げた。


「ふん、お断りだ。信用できんな。こいつらは所詮山賊、正規の武者ではない。肝心な時に臆病風に吹かれて逃げられでもしたら俺たちが迷惑する。さっさと帰れ!」


 貴政が言った。七穂も同じ意見らしい。真棟と他の家老三人は真愛と煕幸に任せるという顔だった。

 真愛が問うように煕幸を見たので、「好きにすればいい」と言った。


「君に任せるよ。でも、答えは決まっているんだろう?」


 真愛は頷き、平伏して答えを待っている義狼団員たちに言った。


「分かりました。手伝ってください。仲間に加えましょう」

真愛(まかな)様!」


 もう「さねちか」と呼ぶのはやめた貴政が反対しようとしたが、少女は言った。

「軍師様も同じお考えだと思います」

 煕幸は微笑んで首肯し、理由を説明した。

「敵は大軍だ。少しでもこちらの兵力は多い方がいい。義狼団の人たちは腕も立つし、戦慣れしている。充分戦力として当てになると思うよ。それに、これは桃園家だけの戦いではないからね」


 と少女を見ると、真愛も頷いた。


「朝の軍議でおじい様が私に家督を譲るとおっしゃった時、その理由を『お前なら反龍営の勢力をまとめることができるからだ』と説明なさいました。それがこのあざの意味なのだと。今、私たちには将邦や基銀を倒すという大きな目的があります。その前では、感情の対立など小さなことだと思います。もちろん、泰綱さんを殺されたことを忘れはしません。貴兄様や七穂や八重さんがすぐにこの人たちを許せるとも思いません。でも、今は協力する時だと思います」


 貴政は驚いた顔をしたが、すぐに主君の判断を受け入れた。


「分かりました。真愛様のおっしゃる通りです。大事の前の小事ということですね。確かに我々も兵力は欲しい。彼等を仲間に加えましょう」

「仕方ないですね」


 七穂も言った。八重も頷いている。


「貴兄様、七穂、八重さん、ありがとう」


 真愛は三人に頭を下げると、善晃の手を取って立たせた。


「仲間に加えていただいて感謝します。必ずやお役に立ってみせましょう」


 善晃と友延は深々とお辞儀をし、義狼団員もそれにならった。


「さあ、これで戦力はそろいました」


 真愛は桃園家の武者たちを振り向いて叫んだ。


「出陣は明後日です。皆、準備を整えておいてください。悔いの残らぬ戦いをしましょう!」


 おう、と桃園家と義狼団合わせて一万人が答えた。白い鴉が少女の肩から舞い上がり、彼等を(よみ)するように頭上をゆるやかに飛び回りながら声高く、かあ、かあ、と鳴いた。


「では、城内の道場をこの方たちの宿所にしましょう」


 八重が言って真愛と真棟の承諾を得ると、小鈴と一緒に山賊たちを案内していった。貴政も実務の方へ頭を切り換えたようだった。


「早速軍師殿の策の準備を手配しましょう。なあに、巫女姫様と大軍師様のためなら、皆喜んで飼っている動物を差し出しますよ。もちろん、適正な代金を支払いますからご安心ください」

「いよいよ始まりますね」


 真愛が煕幸を振り向いた。笑顔だったが少し疲れが見えた。やはり緊張していたのだろう。


「うん。始まるね」


 煕幸は騒がしくなった広場を見回しながら答えた。

 いよいよ戦だ。普通に考えたら勝ち目のない圧倒的に優勢な敵と戦うことになる。煕幸が初めて立案した軍勢同士の戦いだった。もちろん、煕幸の基本構想をもとに、具体的な戦場や部隊の動きは真愛や真棟や四人の家老たちと話し合って決めたのだが、責任者は自分だ。そう思うと膝が震えそうだった。

 だが、運命が天から降りかかってくるのを待つのではなく、自ら切り開いていこうと自分で決めたのだ。この戦いはその第一歩だ。

 少女も同じ気持ちらしく、頬をほのかに紅潮させて武者たちを見守っている。そんな真愛の横顔は美しかった。やはり、戦装束でさえ、この人には女物の着物の方が似合うな、と煕幸は思った。肩に戻ってきた鴉も主人の美しさが誇らしいようだ。この可憐な少女と一緒に戦っていくのだと思うと気分が高揚するのを感じる。勝利の予感さえ胸に広がってくる。

 その一方で、煕幸は一つだけ気になることがあった。


「でも、灰積将邦はどうやってあざのことを知ったんだろう。この城でも一握りの人しか知らなかったことなのに」


 結果はよい方に転んだが、誰かが真愛や桃園家に悪意を持って情報を流したに違いない。用心した方がよいと思ったが、それは真愛には言わなかった。

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