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第一章 邂逅 に

「敵はどう出てくると思いますか」


 ずらりと並んだ楯と槍の後方で、煕幸の縄を握って横に立っている七穂が小声で尋ねてきた。が、すぐに気が付いて苦笑した。


「そういえば答えられないんでしたね」


 僕の口に布を詰め込んだのは君だろう、と煕幸は思ったが、計画の通りになるはずだよ、と念じて見返した。七穂も本当に返事を欲していたのではないらしく、分かっていますという顔だった。


「素直に降伏してくれるとありがたいですけど、難しそうですね。やはり一戦しなければならないでしょうね」


 先程山賊に軍使を送って降伏すれば殺さないと伝えたが、戦いは避けられないだろうと煕幸も思っていた。そんな申し出をあっさり信じて武器を放棄し身柄をこちらに預けるほど甘い連中のはずがない。彼等は罪人として討伐されているのだし、助命すると言われても、首領格の者たちは相応の罰を覚悟するはずだ。

 義狼団はただの山賊ではなく、封主家の正規の武者に戦いを挑むような者たちだ。武芸には自信があるだろうし、包囲されているとはいえ、自分たちが簡単に負けるとは思っていないはずだ。むしろ、このままでは飢えるだけだと覚悟を決めて必死で打って出てくるに違いない。それを撃退し、抵抗は無駄と悟らせた上で、この国を出て行くことを承知させるのが煕幸たちの計画だった。山賊たちを降伏させ、民への狼藉はもうしないと約束させた上で物資を返し、この国を出て垂氷国へ移動してもらうのだ。


 これは一昨日の夜六人で話し合って決めたことだった。山中村の防衛戦で永謙に山賊を殺すなと指示したのは、今までの村々の被害の数や状況から見て、悪事を繰り返しているのはごく一部の者たちだろうと思ったからだ。煕幸が仲間になってもよいと思ったくらいだから、これまで旅した諸国で集めた噂では彼等の行状は義賊というだけあって立派なもので、無辜(むこ)の民から金品を強奪したという話をこの国へ来て初めて聞いたのだ。悪い行いがあれば大げさなくらいに伝わるものだが、耳にしたのはほめる話ばかりだったし、千人もの仲間を養い武装させるには相当な資金が必要で、裏に支援者がいるらしいという噂はもっともに思えたのだ。それに、彼等を全滅させても桃園家に得なことは何もない。村々を襲うのはやめてもらいたいが、灰積軍への攻撃はもっと活発にやってほしいのだ。 


 見伏国から追い出せば灰積家に面目が立つし、別な国で包囲軍が攻撃されても桃園家の責任ではない。それに、山賊とはいえ千人もの人間を殺すのは気分がはなはだよろしくなかった。真愛は山賊への怒りが強かったがやはり処刑は嫌いらしく助命を支持したし、厳しい処分を主張した貴政も、「彼等は基銀を憎む人々から人気があってむごい処置をすれば桃園家の評判が悪くなるので、灰積家と戦うことで罪滅ぼしをしてもらおう」と煕幸が言うと納得し、ほっとした顔をしていた。


「敵をあまり傷付けないようにしながら、抵抗を諦めさせる程度に弱らせなくてはならないんですよね。難しい注文ですけど、海老間様と貴政様ならできると思います」


 初陣の七穂は緊張している様子だった。弓を持つ右手をぎゅっと握って顔を強張(こわば)らせている。昨日ここでは戦闘らしい戦闘はなかったので、今日が初めての実戦だった。もちろん煕幸も戦場に出たことはない。すぐ前には手に薙刀を持った真愛がいるが、三ヶ月前まで小さな農村で暮らしていた少女もまた、肩の上の輝翼丸を撫でながら硬い顔をしていた。

 そろそろ攻めてくるかな。敵の大将が適当なところで諦める分別のある人ならいいけれど。

 数でも装備でも陣形でもまさっているので負ける心配はしていないが、山賊がむきになって攻めてくると双方に多数の怪我人が出るかも知れない。


 そう思っていると、先程門衛を残して洞穴の中へ引っ込んでいった山賊たちが再びぞろぞろと姿を現した。どうやら全員が外に出てきたらしい。総攻撃をかけるつもりだろうか。

 一千の山賊は整列しながら前進してくる。桃園家の武者たちは楯を握る手に力を入れ、槍をしっかりと構え、弓に矢をつがえて引き絞った。

 山賊たちはゆっくりと進んできて、武者たちの二百歩ほど手前で止まった。討伐隊一千五百が油断なく見守る中、白い綿と鬼の角の兜をかぶった山賊の頭らしい二十歳過ぎの男が鼠のような顔をした小男を連れて三十歩ほど前に進み出て、しゃがれたがらがら声で叫んだ。


「俺は義狼団の頭領の山吹善晃だ! 我々は降伏する! そっちの大将と話がしたい!」


 予想外の申し出に、煕幸はびっくりした。


「うそっ?」


 七穂も言葉に出して驚いていた。真愛やその左右にいる貴政や泰綱も、永謙や武者たちも、皆呆気にとられている。


「本気で言っているのか!」


 貴政が大声で怒鳴ると、善晃はかすれた声で叫び返した。


「もちろん、本気だ!」

「大人しく武器を置くと言うのだな?」

「見ろ! こっちは刀を収めている!」


 善晃は両手を開いて前に突き出した。確かに、山賊たちは全員刀を腰の鞘にしまっていた。


「我々は同じように灰積家を憎んでいる! 争えば将邦の思うつぼだ! それに、知っての通り、我々にはもう食料も資金もない! これ以上の抵抗は無意味だ! だから、降伏する! そのかわり、部下たちを殺さないでほしい!」

「真愛様、どう答えますか」


 貴政は困惑した顔で振り返り、大将の少女に尋ねた。

 本来なら歓迎するべき状況だ。すぐに山賊の降伏を受け入れたいところだが、貴政も他の者たちも素直に喜べなかった。敵があまりにあっさりと降伏したので信じられないのだ。

 おかしい。諦めるのが早すぎる。何か(たくら)んでいるに違いない。

 煕幸もこの降伏は怪しいと思った。

 だが、一人だけ山賊を信じた者がいた。


「もちろん、降伏を受け入れます」


 真愛は即答した。ほっとした表情だった。流血を避けられたことを喜んでいるのだ。


「私は反対です。信用できません。警戒をゆるめずにこのままもう少し様子を見て、相手の真意を探った方がよいのではありませんか」


 貴政が困惑した様子で言ったが、真愛は首を振った。


「山賊たちが抵抗しないと言うのなら、戦う理由はありません。もともと降伏させる予定でしたし、誰も傷付かずにすみます。義狼団の頭領は双方にとって賢い選択をしたのです」

「ですが、あまりに呆気なさすぎます。もっと慎重に事を運ぶべきです。まずはやつらに腰の刀をはずさせましょう。それをこちらに投げさせて回収してから、槍と楯を構えて少しずつ前進し、一人ずつ捕縛していきましょう」


 貴政が提案していると、善晃が叫んだ。


「俺自身がこれからそっちへ行く。お前たちの大将はどこにいる? 出てきてくれ。会って細かいことを取り決め、俺の剣を預けたい」

「向こうはああ言っています。これでも疑うのですか。すぐに交渉を始めましょう」


 貴政は仕方がないという表情で泰綱や永謙と顔を見合わせると、「ここは私が行きましょう」と申し出た。


「何か企んでいる可能性もあります。真愛様がいらっしゃるのは危険すぎます。ここにいてください」

「俺もやめた方がいいと思うな。真愛様に何かあったら取り返しがつかない」


 泰綱も反対したが、真愛はきっぱりと言った。


「いいえ、僕が行きます。彼等は僕たちを信じて降伏すると言っているのです。その信頼に応えなくてはなりません」

「しかし……」


 貴政はまだ渋っていたが、そこへ善晃がまた叫んだ。


「そっちの大将は真愛様っていうんだろ。少年だって聞いてるぜ!」

「ちいっ、知られていたか」


 貴政は露骨に舌打ちしたが、少女に言った。


「やむを得ません。真愛様に出ていただきましょう。私がそばでお守りします」

「いや、俺が行こう」


 泰綱が口を挟んだ。


「貴政は軍勢の指揮をとらなくてはいけないからね」

「海老間様がいらっしゃるだろう」

「だめだ。お前は自分の役目を果たせ。俺は真愛様の護衛隊長だ。行くのは俺の役目だ」


 泰綱が言い切ると、貴政は顔をしかめたが、渋々頷いた。


「分かった。お前が行け。他にも武者を連れて行ってまわりを囲んでお守りしろ。俺たちも何かあったらすぐに駆け付ける」

「大丈夫、十分に用心するさ」


 笑って答えると、泰綱は背後に向かって五人の武者の名を叫んで呼び寄せた。全員見るからに腕が立ちそうな立派な体格の武者たちだった。


「では、参りましょうか」

「行ってきます」


 緊張した様子の真愛は、心配そうな貴政と永謙の顔を見上げると、七穂に輝翼丸を預け、最後に煕幸にちらりと視線を向けてから、泰綱ら六人を連れて歩き出した。

 真愛たちは武者たちが作った隙間を通り抜け、楯の壁の前へ出た。

 真愛が姿を見せると、善晃はうれしそうな顔で声をかけてきた。


「あなたが真愛様ですな! 私が団長です! 降伏の手順について細部の取り決めをしたいので、これからそっちへ行きます! あなたもこっちへ来てください!」


 そう言って、小男と二人で近付いてくる。真愛も頷いて歩き出そうとしたが、泰綱が止めた。


「お待ちください。迂闊(うかつ)に近付いてはなりません」


 少女の前に出て背後に守るようにしながら、抜き身の刀を善晃に向けて泰綱は叫んだ。


「止まれ! 条件はそこで言え!」


 善晃は渋々という風に両軍のちょうど中間の辺りで足を止めると、しゃがれた声で叫び返してきた。


「俺は連日の戦で声が枯れてるんだ。叫び続けるのはつらい。この通り、俺たちは手ぶらだ。腰の刀もはずしてきた。信じてそっちへ行かせてくれねえか」


 泰綱は二人の体をじろじろと眺めて善晃の言葉を確認したが、相手の要求を承知はしなかった。


「確かに武器は持っていないようだな。だが、それ以上近付くな。真愛様を危険にさらすことはできない」

「その気持ちは分かるけどよ。俺はのどが痛てえんだよ」


 かすれた声で叫んだ善晃は、急にごほごほと咳き込んだ。


「持ってた水は全部飲んじまったし、ねぐらにはもう一滴もねえ。これ以上叫ぶのは無理だ」

「だめだ。そこで言え!」


 泰綱は全く動じなかった。山賊に気を許すつもりはないのだ。

 善晃は隣の小男と顔を見合わせたが頷いた。


「分かった。じゃあ、ここで言うぜ。まず、全員の、げほっ、……を……してほしいんだ」

「何? 何と言った?」


 泰綱が耳に手を当てて聞き取ろうとしたが、善晃のかすれた声は届かなかった。


「もう一度言え!」


 泰綱が要求すると、善晃はまた何か叫んだが、やはりよく聞き取れない。


「これでは(らち)が開きません。あちらへ近付きましょう」


 真愛が言った。


「いえ、用心するべきです。(わな)かも知れません」


 泰綱は止めたが、真愛は歩き出した。


「交渉が失敗したらどうしますか。多少の譲歩は必要です」


 真愛は山賊を降伏させることにこだわっていた。どうしても流血沙汰を避けたいらしい。僕の時といい、ここまで嫌がるのは何か理由がありそうだと煕幸は思った。


「仕方がない。お前たちも来い」


 泰綱は五人の護衛に声をかけて、真愛の周囲を固めるように横を歩いていく。それを見て、善晃がにやりとした。見ると、隣の小男も鼠のような顔を笑みに歪めている。

 やはり何か企んでいる。

 煕幸は(わな)だと確信したが、真愛には屈強な護衛が六人もいる。どうするつもりなのかと考えながら周囲を見回すと、善晃たち二人の百歩後ろに並んでいる山賊たちが皆手を握っていることに気が付いた。確かに刀は腰に収めているが、下ろした手は開いていない。何かを隠しているような形をしている。その中で、山賊たちの最前列の大男だけが、手を背に回していて、後ろに太い縄のようなものが伸びている。

 まさか、と思って上を見ると、ねぐらの上の見張り台に山賊が二十人ほど出てきていた。

 しまった。その手があったか。

 敵のねらいは分かったが、猿ぐつわで言葉が話せない。煕幸は七穂へ顔を向けて、可能な限りの声でうなった。


「どうしたの?」


 歩いていく真愛を不安げに見つめていた七穂が振り返った。じっと目を見返してうなり続けると、煕幸の要求に気が付いたらしかった。


「猿ぐつわをほどいてほしいの?」


 煕幸が何度も大きく頷くと、七穂は困った顔になった。


「ほどくには貴政様の許可が必要なんですよ」


 それどころじゃない!

 必死でうなりつつ、真愛の背中と七穂を見比べるようにすると、貴政が首を向けて「どうかしたのか」と尋ねた。


「猿ぐつわを取ってほしいようなんです」

「何か気付いたのか」


 貴政は考える顔になったが、七穂に頷いた。


「分かった。一瞬だけ取ってやる。俺にだけ話せ」


 と歩み寄ってきた。七穂はすぐに煕幸の背後に回り、結び目をほどき始めた。

 早く、早くしてくれ。

 護煕幸は焦ったが、猿ぐつわはなかなかはずれなかった。


「ちょっと待ってください。動いたから固くなっちゃって取りにくいんです」


 七穂が手間取っている間に、真愛と泰綱たちは善晃の十歩ほど手前まで近付いていた。


「はい、ほどけましたよ」


 煕幸は口から布が取り除かれるのももどかしく、出せる限りの大声で叫んだ。


「真愛さん、戻って! 罠だ!」

「なにっ?」


 貴政が目をむき、周囲の武者たちが一斉にこちらに注目し、真愛と泰綱が振り返った。


「すぐにこっちへ走って! 山賊に近付いちゃだめだ!」

「罠とはどういうことだ?」


 貴政が首をひねり、はっとした泰綱が真愛に声をかけようとした瞬間、それは起こった。


「今だ! それっ!」


 山賊の最前列で副頭領らしい二十代半ばの男が叫んで右手を振り上げると、数十人の山賊が叫び声を上げながら一斉に泰綱と護衛の鎧武者五人に握っていた石を投げ付けた。泰綱は咄嗟に腰を低くし腕で頭と顔をかばってこらえたが、五人の武者たちは煕幸の方を振り返っていて、背後の雄叫びに慌てて前を向いたところへ十個近い石を肩や胸や頭にぶつけられ、その衝撃と兜内に響き渡った轟音に耐えきれずにひっくり返った。真愛は何が起こったのか理解できない様子で立ちつくしている。

 石を投げた山賊たちはすぐに左右に割れ、その間から三十歳前後の大男が走り出てきた。


「やれ、万之助!」


 副頭領が叫ぶと、大男は十歩ほど走って、「そりゃあ!」とかけ声をかけながら両腕を右から大きく振り上げた。すると、太い藁縄のようなものが宙に舞い、ふわりと広がりながら、真愛と泰綱の上に落ちていった。


「ちいっ、獣網か!」


 泰綱の呪うような叫び声が聞こえた。恐らく、食料となる動物の捕獲や近付く者を捕らえる罠に使っているのだろうそれは、十分に真愛と泰綱を覆うに足る大きさがあった。網のひもは細かったが、手では破れないだろう。


「あの男は山中村を襲撃してきた連中の首領だ。気を付けろ!」


 永謙が叫んだ。見事な網さばきだったので、万之助という大男は恐らく以前は漁師だったに違いない。


「よし、縄を引け!」


 大男は縄をたぐり寄せながら背後に叫んだ。山賊たちが握っていた長い縄の続きを一斉に引っ張り始めた。からんだ網の重みに真愛が倒れ、泰綱も膝を付いた。同時に、先程脇によけた山賊たちが腰の刀を抜いて真愛たちの方へ走ってくる。


「まずい! 真愛様をお守りしろ! 楯を開け!」


 貴政は叫ぶと真愛の方へ向かって走り出した。


「はい、従兄上! みんなも来てくれ!」


 俊政が真っ先に続き、武者たちも慌ててあとを追って楯の隙間から一斉に駆け出そうとした。だが、それを見越していたのか、再び敵の副首領が叫んだ。


「もう一度、それっ!」


 合図を待っていた他の山賊たちが左右の手に持っていた石を次々に放り投げ始めた。


「うわっ!」


 全力で加速していた武者たちは飛んでくる大量の石に驚いて足を止めそうになったが、先頭を駆ける貴政が叫んだ。


「ひるむな! 敵に時間を与えてはならん! 山賊より早く真愛様にたどり付け!」


 山賊たちが先に少女を確保しようと足止めを図っているのは明白だったので、武者たちは危機にある大将を救おうと、雨あられと石の降る中、顔をかばいつつ真愛のそばへ駆け付けようとしたが、そこへ、頭上から大きな麻袋が落ちてきて、ぎょっとして跳び下がることになった。ねぐらの入口の上の見張り場から、二十人ほどの山賊が土を詰めた麻袋を次々に投げ付けてきたのだ。正面の山賊たちも、体を回転させて麻袋や俵を放り投げてくる。ねらいはでたらめだが、そんなものをまともに食らったら鎧を着ていても無事ではすまない。運悪く当たった数人がひっくり返り、武者たちはさすがに足をゆるめたり迂回したりせざるを得なかった。その上、地面には丸い大きな石が大量に転がっていてうっかり踏んだら転んでしまう。石は武器であると同時に足を止める道具でもあったのだ。最前列の武者が十人ほど転倒したため、その後ろの武者たちも巻き込まれて混乱が起きていた。

 煕幸はただ一人、桃園軍の中で眼前の光景を予想していたが、焦ったのは同じだった。

 まずい。なんとかしなくては。

 左右に目を走らせると、驚きに目を見張っている永謙に叫んだ。


「海老間さん、弓で牽制を!」


 煕幸の声で家老は我に返り、さすがにすぐに意味を理解して大声で命令した。


「山賊の前方へ矢を射よ。真愛様に近付けさせるな!」


 五百の弓が一斉にうなり、あえて低い弾道で飛ばされた矢が真愛たちの頭上を超えて山賊たちの目の前へ次々に突き刺さった。山賊たちは盾も鎧もないので当たったら大変なことになる。さすがに前進をためらう者が多く、足が止まった。


「輝翼丸、主人を守れ!」


 叫ぶと、白い大鴉は承知したというように、かあ、と大声で鳴き、七穂の肩から飛び立って上空へ舞い上がり、白い火の玉のように少女目がけて飛んでいった。

 今のうちに真愛さんを救い出さないと。貴政さん、急いで!

 七穂は煕幸の縄を離し、弓を捨てて刀を抜いて、全力で少女の方へ駆けていく。そのあとを、両手を体に縛り付けられた不自由な体勢で懸命に追いながら、真愛が無事であることを祈った。

 一方、善晃と鼠顔の小男は投石で武者たちの足が止まっている間に網に駆け寄っていた。

 だが、網の端を持ち上げ、真愛を引き出そうと腕を伸ばした善晃は、慌てて手を引いて跳び下がった。泰綱が刀を横一文字に振るったのだ。


「おおっと、危ねえ」

「よけられたか」


 泰綱は油断なく善晃に刀の先を向けたまま、後ろの少女へ叫んだ。


「真愛様、頭を地面に付けて!」

「は、はい!」


 少女が頭を抱えて身を低くすると、網は背中の上を滑って引っ張られて抜けていき、真愛はようやく解放された。泰綱も少女と同じようにしゃがんで網が背中と頭の上を越えていくのを待ち、立ち上がって刀を構えた。


「思ったよりしぶといやつだな」


 善晃は泰綱とにらみ合いながら懐から短刀を取り出して鞘を払うと、小男に言った。


「おい、半七郎。その子供をさっさと捕まえろ。この男は俺が止める」

「させるか!」


 網は抜けたもののだまされた衝撃で座り込んでいる真愛を背に守りながら、泰綱は刀を善晃に向けて牽制し、半七郎を目で威嚇(いかく)した。

 残りの護衛武者五人は投石にやられて起き上がれないでいる。貴政や武者たちが到着するまでまだ少しかかりそうだが、山賊たちも矢による牽制が効いて足が鈍っている。双方がたどり着くまでのわずかな時間が、少女の運命を決めそうだった。


「大人しくしろ。そうすれば殺さん。お前の主君にも手荒な真似はしない」


 言いながら、善晃は半七郎に後ろへ回れと合図した。


「断る! 真愛様は命にかえてもお守りする」


 泰綱は半七郎に油断なく目を向けながら言い切った。

 真愛は主君の跡取り息子であり、赤ん坊の頃から知っている親しい少女であり、さらには腕に天命の刻印を持つこの国の救い主かも知れぬ存在でもあるのだ。決して山賊などに渡してはならなかった。もし、腕のあざを見られたら、桃園家の運命が変わってしまうかも知れない。泰綱はたとえ自分一人でも守り切るつもりだったが、貴政がすぐに駆け付けてくることを微塵も疑っていなかった。

 泰綱の覚悟が伝わったのか、善晃が舌打ちした。


「ちいっ、面倒なことになった。急がねえと武者どもが来ちまうぜ」


 その時、頭領の後方から、意味の分からぬ長い雄叫びが聞こえてきた。万之助がものすごい速さで向かってくる。網を投げ終わると同時に駆け出したので、一人だけ矢よりも前に出ることができたのだ。


「まずい。真愛様、走れますか」


 泰綱に言われて真愛は慌てて辺りを見回して状況を思い出したらしく、「はい」と答えて立ち上がった。どうにか気力が戻って来たようだった。


「では、合図したらすぐに味方の方へ全力で走ってください」

「で、でも、泰綱さんは?」


 真愛が心配そうに尋ねると、泰綱はやさしい声で言った。


「大丈夫、山賊どものねらいはあなたです。私を殺しても彼等には得がありません。あなたが逃げればそちらを追うでしょう。その邪魔をしながら私もすぐ後ろを逃げます」

「分かりました」


 真愛は頷いた。自分の甘い判断のせいでこんな事態になっているのだ。この上、自分が捕まったら大変なことになるし、自分がここにいる限り泰綱は逃げられない。まずは逃げ切って身の安全を確保するのが大将として必要なことだと理解したらしい。


「準備はいいですか。では、行ってください!」


 叫ぶと同時に、泰綱は大きく踏み込んで善晃に斬りかかった。善晃が刀をよけて後ろへ下がると、泰綱はくるりと向きを変え、自分も真愛のあとを追って走り始めた。


「逃がすか!」


 善晃も叫んで駆け出したが、既に少女とは距離が開いていた。必死で逃げる少女にやや遅れて泰綱が付いていき、その背後に半七郎が迫っているが、前方からは貴政たちが投石の雨をかいくぐって真愛に近付きつつあった。

 煕幸は、これなら間に合いそうだ、とほっとしたが、その時、先程まで真愛たちがいた辺りまで到達した山賊の万之助という大男が、倒れた武者の一人に駆け寄ったのが見えた。武者の手から槍をもぎ取っている。

 いまさら槍を奪っても、もう間に合わないだろうに。

 そう思った次の瞬間、煕幸は大男のねらいに気が付いた。


「真愛さん、後ろに気を付けて!」

「えっ?」


 走りながら背後を振り向いた真愛は、目の前に迫った槍に硬直した。万之助は真愛の足を止めようと、拾った槍を投げ付けたのだ。


「きゃあ!」


 真愛が叫び、当たった、と煕幸が思った瞬間、少女は前につんのめるように宙を飛んで地面に倒れ、ごろごろと数回転がった。と同時にずぶりと嫌な音がして鮮血が辺りに飛び散った。万之助の投げた槍は、真愛と槍の間に割り込んで少女を思い切り突き飛ばした泰綱の背に突き刺さったのだ。

 槍は鎧を貫通し、先端が胸から飛び出していた。串刺しになった泰綱は左右に大きくよろめきながら数歩進むと急に膝が崩れ、横向きにばたりと倒れて動かなくなった。


「泰綱!」

「兄さん!」


 貴政と七穂の悲痛な叫び声が洞穴の上の岩壁に反射して付近の山々に響き渡った。悲鳴を上げて倒れた真愛は急いで振り返って、目の前の惨状に言葉を失った。


「なんてことだ!」


 煕幸は思わずうめき、地面に横たわる泰綱を見つめる真愛の顔を見て驚いた。少女の浮かべた激しい絶望と恐怖と悔恨(かいこん)の表情にただならぬものを感じたのだ。


「い、今のうちにこの子供を捕まえて……って、ひいっ!」


 身動きを忘れたように固まっている少女に半七郎が駆け寄って手を伸ばしたが、目の前へ白い光の塊が飛び込んできて鼻先を引っかかれ、仰天して尻餅を突いた。いったん上昇した輝翼丸が大きな声で鳴いて再び襲いかかると、半七郎は顔から血を流しながら逃げ出した。

 そこへようやく貴政たちが駆け付けてきた。貴政が泰綱を抱き起し、数瞬遅れてたどり着いた俊政や他の武者たちが真愛たちを守るように周囲を固めると、それを見た善晃と他の二人は諦めたらしく、足を止めた。

 やがて、それぞれの周囲に双方の仲間が集まってきた。


「泰綱、しっかりしろ! 気を確かに持て!」


 友人の腕に抱かれた泰綱は貴政の呼びかけに答えず、胸を真っ赤に染めて目を閉じていた。口から赤い血が流れ落ちている。


「泰綱さん!」


 貴政の声で我に返った少女は慌てて起き上がると駆け寄ったが、胸に刺さったままの長い槍と、泰綱の死人のように白くなった顔を見て悲鳴を上げかけて慌てて飲み込んだ。

 そこへ七穂が駆け付けてきた。


「兄さん!」


 武者の輪をかき分けて前に出た妹は、兄の様子を目にして絶句した。


「早く、早く手当てを!」


 叫びながら兄へ手を伸ばした侍女を、貴政が止めた。


「もう、無駄だ」

「まさか……」


 信じたくないという表情で七穂が周囲を見回すと、武者たちは皆悔しげに顔を伏せた。


「そんな……」


 七穂は力が抜けたようにその場にへたり込んだ。

 全員が言葉もなく友人の腕に抱かれている泰綱を見つめていた。

 と、泰綱がうっすらと目を開いた。


「貴政……、七穂もいるのか」

「兄さん! しゃべらないで! 体力が……」


 言いかけて涙をあふれさせた妹をやさしい目で見つめた泰綱は、貴政に尋ねた。


「真愛様はご無事か」

「ああ、ここにいらっしゃる」


 泰綱の顔を眺めて呆然としていた真愛は名を呼ばれてはっとし、苦しげに顔をゆがめた。


「怪我がないようで安心しました」


 泰綱が微笑むと、真愛は恐ろしいものを見るようにその笑みに見入ったが、急に勢いよく頭を下げた。


「ごめんなさい!」


 真愛の声は震えていた。


「僕のせいで……」


 それ以上言えず、うつむいてしまった少女に、泰綱はいたわるような笑みを向けた。


「謝ることはありません。これが私の仕事ですから」

「でも、僕が判断を誤ったから……。ごめんなさい。本当にごめんなさい!」


 真愛はぼろぼろと涙をこぼしていた。次々にしずくが頬を伝って乾いた地面に落ちていった。


「僕は大将失格です」


 自責の念に震える悲痛な声に少女を正視し得ず、皆が視線を逸らした。その中で、泰綱だけがその泣き顔から目を離さなかった。


「真愛様。あなたの人生には、これからも苦しいことやつらいことがあるでしょう。それでも、決して歩むことをやめてはいけません。それは人として誰もが同じですが、特にあなたにとってそれは義務です」


 泰綱は苦しそうに肩で息をしながら語り続けた。


「あなたの印は本物です。私はそう信じています。運命から逃げてはいけません。桃園家のみんなのためにも、吼狼国の全ての民のためにもです」


 いつもと違う丁寧な口調が、泰綱の本気を表していた。


「あなたは前に進まなくてはなりません。こんなことで立ち止ってはなりませんよ。……貴政」

「ここにいる」


 涙は浮かべていなかったが、必死で冷静さを装おうとしている声は、かえって聞く者の胸をえぐった。


「真愛様を頼む。七穂や母さんのことも」

「分かっている。必ずお守りする」


 貴政は深く頷いた。冷たく見えるほど無表情な顔の中で、口だけが何かをこらえるように固く結ばれていた。


「七穂、真愛様を恨まないと約束してくれ」


 七穂は一瞬口ごもったが、すぐに頷いた。


「分かりました、兄さん。約束します」

「母さんを頼む」

「はい」


 七穂は耐えられぬように横を向いたが、すぐに思い直し、目を涙でいっぱいにして、死に行く兄の顔を心に刻むようにじっと見つめていた。


「煕幸君」


 最後に、泰綱はすでに開けているのもつらそうな目を探すように動かして煕幸に向けた。先程ようやくそばまで駆け付けた煕幸は、武者たちにまじって様子をうかがっていたのだ。


「これからも真愛様を助けて差し上げてくれ。君も運命に立ち向かってほしい。これが俺の最後の頼みだ」

「はい。任せてください」


 煕幸はきっぱりと答えた。自分の今後はまだ考えていなかったが、この状況で頼みを断ることはできなかったのだ。


「言うべきことは言った。さあ、みんな、戦に戻りなさい」


 泰綱はすっきりした顔をしていたが、それが一層見る者の心を締め付けた。


「もう心残りはないが、ただ一つ、あの人には申し訳ないことをしたな……」


 そうつぶやく声は急に消えるように弱くなり、目をつむって体を苦しげに震わせると、がくりと首から力が抜けた。


「兄さん!」


 七穂が叫び、その場の全員が目を伏せた。


「お前との約束は守る」


 貴政が友人の遺骸に誓うと、武者たちは皆(こうべ)を垂れ、七穂が大声で泣き出した。煕幸も目をつむって頭を下げた。ただ一人、少女だけが身動きを忘れたように泰綱の死に顔を食い入るように見つめていた。

 そこへ、背後から声がかかった。


「そろそろいいかい。話があるんだが」


 皆がはっとして振り向くと、善晃が頭をかいていた。


「臨終の時間を邪魔するつもりはないんだが、和平交渉をしたくてね」

「なにっ? 和平だと?」


 貴政が耳を疑う口ぶりで尋ねた。


「また我等をだますつもりか!」


 善晃が困った顔をした。


「今度は本気だよ。これ以上の戦闘は無意味だ。もはや俺たちに勝ち目はないし、そっちももう犠牲者を出したくないだろう。だから、話し合いで解決しないか」


 貴政は泰綱の遺骸を抱いて立ち上がった。歯を食いしばって怒りの衝動に耐えている。


「交渉だと? そんなものは必要ない。お前たちは全員殺す!」


 無理に感情を抑えた口調で、貴政は武者たちに言った。


「おい、隊列を組み直せ。槍隊、楯隊は突撃準備。弓隊にも用意をさせろ。総攻撃を行う」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。仲間が死んで怒ってるのは分かるけどさ、ここで争うことは、もうどっちにとっても得がねえんだ。俺たちには灰積家という共通の敵があるはずだ」


 善晃はなだめるような口調で言った。


「この戦はあんたらの勝ちでいい。俺たちはこの山を出ていくよ。桃園家の領内にはもう立ち入らないし、灰積家の小荷駄隊の襲撃もよそでやる。それで文句はないだろう。ただ、食料と金は返してほしい。俺たちは灰積家が城を落とすのを諦めるまで戦うつもりなんだ。あんたらとしても、俺たちがいなくなって泉代家が滅んだら困るだろう。だから、ここは和平を結んで、互いに手を引こうじゃないか。それが双方のため、桃園家と泉代家のため、ひいては天下のためだ」

「言わせておけば、勝手なことを!」


 貴政がこらえきれなくなったように叫び、武者たちが怒りのうなり声を上げた時、それをさえぎるように若い女の声が響き渡った。


「和平ですって? 冗談ではないわ!」


 刀を両手で握って構えながら叫んだのは七穂だった。


「汚らわしい山賊のくせに! 人殺しのくせに! あんたたちみたいな民の敵となんか交渉するつもりはないわ。どうせよその国へ行っても悪さをするんでしょう。全員殺して吼狼国の民に平和な暮らしを取り戻すわ!」


 怒りと侮蔑(ぶべつ)に満ちた声に、さすがの善晃も顔をひきつらせた。


「おいおい、義賊の俺たちを山賊呼ばわりかい。汚らわしいとは、いくらなんでも言葉がひどすぎるぜ。なあ、みんな」


 と後ろを振り返ると、頭領の周囲に集まってきていた義狼団の仲間たちは、皆心外だという表情だった。


「義狼団は正義のために戦っているんだ。天下の大悪人高桐基銀に味方する灰積将邦に立ち向かっている俺たちを、連中が怖くて縁戚の封主家を裏切った者たちが非難するなんておかしくないか」


 副頭領らしい二十代後半の男がむっとした口調で言うと、山賊たちは口々にそうだそうだと叫んだ。

 だが、七穂は見下した口調で言い返した。


「何が正義よ。村人を脅して食べ物やお酒を強奪し、若い娘さんを襲うような人たちに義賊を名乗る資格はないわ!」


 これを聞いた山賊たちは、驚くよりも呆れたらしかった。


「ちょっと待ってくれ。俺たちはそんなことは絶対にしないぜ」


 善晃はあくまで交渉用のおだやかな口調を崩さずに文句を言ったが、副頭領は正直な商人のような顔にもっとはっきりと怒りを表した。


「ひどい言いがかりだな。嘘をついてまで俺たちをおとしめたいのか」


 七穂の言葉がよほど気に障ったらしい。だが、それを聞いた貴政は暗い冷笑を浮かべて言った。


「お前たちは義賊などではない。俺たちは民に山賊の被害がひどいと訴えられて討伐に出てきたのだからな。証人もいる」


 と、こちらを見たので、煕幸は一歩進み出た。


「僕は義狼団の者が近くの村の前で若い娘を三人で取り囲んで連れて行こうとしているのをこの目で見たよ。その時の賊の一人がそこにいる。鼠のような顔のその男だ」


 煕幸が視線で示すと、貴政もそう言えば、という顔になった。


「そうだ、思い出したぞ。お前は一昨日捕まって、俺がわざと逃がしたやつだな。そいつは山中村で村人を脅して酒と飯を出させ、村長の娘に酌をさせて飲んで酔っ払い、俺の部下に捕まったのだ。まさか、忘れたとは言わないよな」


 貴政の言葉に頭領二人は驚いた顔をして、半七郎を振り返った。


「なんだと。どういうことだ」

「そ、そんなことをおいらがするはずがありませんぜ。仲間よりあんなやつらの言うことを信じるんですかい?」


 半七郎は慌てて誤魔化そうとしたが、それを見て善晃は眉をひそめ、ねぐらの守備に残していた者たちを見回した。


「おい、てめえら。半七郎とあいつらと、どっちの言ってることが正しいんだ」


 三百人は互いに顔を見合わせていたが、一人が思い切った風に言い出した。


「じ、実は、そいつは本当に捕まって逃げてきたんです。それに、半七郎たち三十人ほどがふもとの村々を騒がせてたのは本当です。酒や食い物を奪ってきて万之助さんに献上し、自分たちも飲んでました。酔ったそいつらの話では、村の娘に手を出したこともあった様子でして……。もっと早く頭領にお知らせしたかったんですが、ばらしたらただじゃすまさねえと万之助さんに口止めされてましたんで」

「半七郎! 万之助! てめえら本当にそんなことをやったのか!」


 善晃が怒りに声を震わせ、友延が顔色を変えると、貴政が軽蔑し切った口調で言った。


「全て事実だ。疑うのならの山中村へ行って聞いてみるがいい。襲われた村は既に八ヶ所、ひどい目に遭って自殺しかけた娘までいるんだ。お前たちの討伐は民の希望なんだよ」


 今度は武者たちがそうだそうだと口々に言った。


「なんてことだ! お前たち、それでも義狼団員か! あれほどくどく民へ狼藉を働くなと言ってきただろうが!」

「し、しかし……」


 激高した副頭領に怒鳴り付けられても半七郎はまだ言い返そうとしたが、いつものおだやかさから一変したつり上った目でにらまれ、襟首をつかまれて揺さぶられると黙り込んだ。


「分かったでしょう、山賊ども!」


 七穂が叫んだ。


「あんたたちは、村人を困らせ若い娘さんたちを怯えさせておいて、罪に問われるのを避けようと抵抗して私の兄を殺したのよ。どこにも言い訳する余地なんてないわ。あんたたちは悪党でただの人殺しよ。民の敵よ。天下の大悪人なのはあんたたちの方よ! 何が義賊よ。笑っちゃうわ。あんたたちは見伏国の人々にとって灰積家以上に迷惑な存在なのよ!」


 七穂の啖呵(たんか)に山賊たちは静まり返った。それを憎々しげに見ていた貴政が命じた。


「全員、武器を構えろ。突撃準備!」


 既に隊列を整えていた武者たちが、ざっ、と足音をそろえて槍と弓を山賊へ向け、攻撃態勢を取った。七穂も刀を胸の高さで横にして先端を前にし、出会った相手に体当たりして突き刺してやろうと合図を待っている。海老間永謙は困った顔をしていたが、反対はしなかった。友人の遺体を武者の一人に渡した貴政は、刀を抜いて高く掲げた。

 山賊たちはどうしたものかと戸惑っていたが、苦い顔で沈黙していた善晃が、「仕方がねえ。むざむざ殺されるわけにはいかねえんだ。ここを突破して垂氷国へ逃げるぞ!」と言うと、のろのろと動いて刀を構えた。


「ふん、山賊どもに身の程を教えてやる」


 貴政が攻撃命令を下そうとした時、煕幸は走り出てその前に立ちふさがった。


「待って! これ以上の戦闘に意味はない!」


 立ちふさがったといっても両手を体に縛り付けられているのでよたよたとよろけながら前に出ただけだが、逆にその恰好が周囲の目を引くことになった。


「邪魔だ。どけ!」


 貴政はいらだたしげに叫んだ。


「こいつらに自分のしたことの報いを受けさせてやる!」

「だめだ!」


 煕幸は必死で大声を張り上げた。


「一昨日決めたはずだ! この人たちを殺したところで、桃園家に得なことは何一つない! ここは和平を受け入れよう!」


 七穂が叫んだ。


「兄さんを殺した山賊を許すなんて私は納得できません! こんな人たちには死罪がふさわしいんです!」


 武者たちが一斉に頷いた。仲間の死に怒り心頭なのだ。


「怒っているのはよく分かる。僕にもその気持ちには覚えがある。でも、ここは冷静な判断をするべきだ!」

「ばかを言うな! お前にこの気持ちが分かると言うのか!」

「分かるよ! 俺も目の前で父さんと妹を殺され、姉さんを連れ去られたんだから!」


 貴政と七穂が目を見張った。


「貴政さん。あなたは家老で指揮官だ。そういう立場の人が、その場の感情で物事を判断してはいけない。桃園家のために最善の方策を考えて行動するべきだ!」

「こんなやつらを生かしておいては民のためにならんのだ!」


 貴政はわめいた。煕幸の意見が正しいことを頭では分かっているが、感情が収まらないのだ。そんな貴政を哀れに思いつつ、煕幸はあくまで理屈で答えた。


「ここは交渉で解決しようよ。先程の反応から、やはり多くの者は民の被害に無関係なことが分かった。義狼団の者たちも非道なことをした仲間を許せないはずだ。彼等に犯人を見付けさせ、こちらに引き渡してもらおう。悪事を行っていない者たちまで殺す必要はない」

「こいつらが本当に犯人を引き渡すと思っているのか! 到底信用できん!」

「だから全員を殺すのかい。それは正義ではなく、ただの虐殺だよ」


 虐殺という言葉に武者たちがひるんだ。


「それに、大将は貴政さんではない。真愛さんの判断をあなたはまだ仰いでいないはずだ!」


 煕幸が叫ぶと、武者たちははっとして少女を振り向いた。


「真愛さん、あなたはどう思うんだ!」


 呼びかけられて、地面に手を突いてうなだれていた少女はゆっくりと顔を上げて涙の浮かんだ目で煕幸を見た。そして、貴政を見、七穂を見、息を飲んで注目している武者たちを見、義狼団の面々を見、最後に担架に乗せられた泰綱の遺体を見ると、もう一度煕幸を見てから、目を伏せてつぶやくように言った。


「攻撃は許可しません」

「真愛様!」


 貴政と七穂が同時に叫んだが、真愛は首を振った。


「和平を結びましょう。煕幸さんの言う通り、これ以上の戦闘には害しかありません」

「しかし……」


 まだ承服しがたいらしく貴政が反対しようとすると、少女は悲鳴のような苦しげな声で叫んだ。


「もう流血はたくさんです!」


 真愛は顔を上げて赤い目で貴政の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「戦えば双方にさらに死者や怪我人が出ます。泰綱さんは自分のために大勢が死ぬことを望まないはずです。貴兄様や七穂が怒りに我を忘れて殺戮(さつりく)に走る姿を見ても、きっと喜ばないでしょう」


 そう言うと、真愛は急に勢いを失って、力なく下を向いてしまった。だが、その背中からはこれ以上の戦闘を拒否する強い意思が感じられた。


「くっ……」


 貴政は苦しげにぎゅっと目をつむったが、やがて刀を持った手を下した。


「分かりました。真愛様のおっしゃる通りです。泰綱は無益な殺生が大嫌いでした。俺たちに復讐など求めていないでしょう。さすがは真愛様、大将らしいご判断です」


 七穂が刀を取り落として膝を突き、大声で泣き始めた。武者たちも槍や弓の構えを解き、悔しげに自分の武器を握り締めていた。


「では、交渉を始めようか」


 永謙が進み出て貴政の肩を叩くと、若い家老は頷いた。


「軍師殿にも来ていただこう」


 煕幸もそのつもりだった。この状況では、負けたとはいえ余力を残す義狼団と感情的になりがちな桃園家の双方から距離を置いている自分が、客観的な立場で話し合いに加わった方がよいだろうと思ったのだ。


「交渉にいくつか助言ができると思う。でも、その前にこの縄をほどいてもらってもいいかな」

「そうだな。もう縛っておく必要はないだろう。七穂殿、はずしてあげなさい」


 七穂は涙を拭いて立ち上がると、体の縄を取ってくれた。

 自由になった煕幸は、山賊の方へ行く前に、まだ地面に手を突いてうなだれている少女のそばへ行った。


「真愛さん」


 そばにしゃがみこんだ煕幸は、うつむいたままの少女に語りかけた。


「よく頑張ったね。立派な大将ぶりだったよ」


 真愛は力なく(かぶり)を振った。


「全部私のせいなのに、それを棚に上げて貴兄様と七穂に随分ひどいことを言いました。きっと許してくれないと思います」

「そんなことはない。二人は怒ってないよ。それに、武者たちも君を見直したと思う。この状況で正しい判断を下せたのだから」

「正しくなんてありません。もっと的確な判断ができていれば、泰綱さんは……」

「涙を拭きなよ。さっき君が言った通り、泰綱さんも和平を支持したと思う。君は泰綱さんの期待に応えたんだよ」

「いいえ、私はただの人殺しです。次々に誰かを犠牲にして生き続ける卑怯者なんです。また大切な人を自分のせいで死なせてしまいました。私は大神様ではなく死神の巫女なのかも知れません」


 真愛は声を震わせて答えたが、それでも涙を拭き、煕幸の手を取って立ち上がると、七穂と共に武者たちに囲まれて交渉を見守った。もう涙は乾いていたが、しがみつくように輝翼丸を胸に抱き締めた姿にいつもの凛々しさや明るさはなく、そのはかなく弱々しげな姿が気になった煕幸は、交渉の間、何度も少女を振り返った。

 和平はすぐに成立した。どちらもこれ以上の戦闘は避けたかったし、山賊たちが力を失うことを望んでいなかったからだ。義狼団は三日以内に見伏国を出ていくこと、民へ狼藉を働いた者を調べて目元(めのもと)城へ連れて行くことを約束し、こっそり逃げようとしていた万之助と半七郎を善晃と友延が自ら取り押さえて引き渡した。桃園家側は三日分の食糧をまず返し、他の罪人を受け取る時に残りの兵糧と資金を渡すことになった。


「最後に一つだけ教えてくれ」


 話し合いの終わりに善晃は尋ねた。


「俺たちが朝一番で襲撃するとどうして分かったんだ。完全に奇襲に成功したと思ったんだが」

「お前たちの接近を事前に知っていたのだ。街道を見張らせていた者たちの知らせでな」


 永謙が答えると、善晃は不思議そうな顔をした。


「だが、俺たちの移動は夜だった。狼煙(のろし)を上げても暗くて見えないだろうし、あからさまな合図があれば俺たちも気付いたはずなんだが」


 皆の視線を受けて、煕幸が説明した。


「ねぐらを包囲した時にわざと数人を逃がしたので、義狼団の主力が知らせを受けて垂氷国からこの見伏国へ戻ってくるのは分かっていた。それもできるだけ急いで引き返してくるはずだ。ねぐらの仲間やしまってあった食料と軍資金が心配だろうからね。となれば、整備されていて歩きやすい遠国街道を通ってくるだろう。山の中を移動すれば発見されずにすむけど速度はぐっと遅くなる。それに、夜なら大きな通りを堂々と進んでも見付かりにくい。だから、僕らは遠国街道沿いの村々に武者を配置し、山賊の姿を見たら村の中心で大きな焚き火を燃やすように指示しておいた。この山は高いから、ふもとの村の火がよく見える。そうやって君たちの接近を知って、罠を張って待っていたんだ」

「なるほど、そこまで読まれていたのか。勝てないわけだ」


 善晃は感心した様子だった。


「確かに、途中の村々には大きな焚火があったが、合図とは思わなかったぜ」


 やがて、真愛を大将とする討伐軍は帰途に就いた。もう山賊の被害の心配はないし、まだ昼前だったので、明るいうちに城へ着けるだろうと相談がまとまったのだ。河原の陣地にいったん戻って撤収作業をすると、討伐の結果を聞こうと集まっていた村長たちに義狼団は見伏国を出て行くと説明し、喜ぶ彼等に見送られて遠国街道を西へ戻っていった。

 その道中、真愛はずっと無言だった。村に預けてあった栗毛(くりげ)の愛馬の背の上でうつむいたまま、()(うみ)に映る夕日の美しさも目に入らぬ様子だった。貴政や七穂も言葉を発せず、粛々とした武者の群れは、広い湖水のすぐそばを通る平坦な街道を長い列を作ってのろのろと進んでいった。


 煕幸は少女の打ちひしがれた様子が気になった。村長たちの感謝を受けた時も笑みがなく心配させていたし、悲しみに沈み込んだようにずっと顔を伏せてほとんどしゃべらない大将に武者たちも随分気を使っていた。だが、こういう時に最も真愛に気を配るべき貴政と七穂がそれどころではないし、相手がまだ出会って数日の少女なので、煕幸も接し方が分からなかった。

 それに、真愛が最後に口にした言葉が煕幸にはどうにも引っかかっていた。真愛は「また大切な人を自分のせいで死なせてしまった」と言ったのだ。知り合ってまだ三日目の自分が過去に何があったのか尋ねるのは無神経だし、そんなことができそうな雰囲気でもなかったが、自分と同じように天命の刻印を持つこの少女が気落ちしていると、煕幸もなぜか溜め息を何度も吐きたくなってしまうのだった。

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