表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

雨と傘と帰り道

雨と傘と君と

『雨と傘と彼と』のアナザーストーリーです。男の子目線の話。『雨と傘と彼と』を読まなくてもわかるようになっています。甘酸っぱい話のつもり。

「げっ、マジかよ……」

 昇降口を出ようとした上田裕は思わずそう漏らした。地面は濡れている。黒い雨雲のせいで外は暗かった。

本日の降水確率は30%。それゆえに裕は傘を持ってこなかった。

外に手を出し、雨の強さを伺う。雨粒は大きく、びしょ濡れになるのは必至だった。

「はぁ…」

小さくため息をつく。進めば濡れるが、待ったところで雨が弱くなる保証はない。

 裕の髪は短く、濡れてもすぐに乾くが、それでも強さを増してきた雨の中走って帰るには少し勇気がいった。

「はぁ……」

知らずにため息が再び出る。

「…上田くん」

 声に振り向けば、そこにはクラスメイトが立っていた。

「田島?」

 ストレートの黒髪が似合う彼女は、田島紗英。裕とは同じクラスではあるが、特別親しいという訳ではない。

「あ、あのさ…途中まで入っていく?」

 そう言って紗英は、傘を少し持ち上げた。突然の申し出に、少し驚き、すぐに首を横に振った。

「いいよ。濡れて帰る」

「でも…雨強くなってきてるよ?それに、上田くんメガネだから、雨に濡れたら前が見えなくなるんじゃない?」

 裕は自分の黒縁メガネを軽く触る。裸眼ではほとんど見えないため、メガネを外して帰ることはできない。

「ああ、確かにね」

 そう言いながら、裕は半歩前に出て、空を見上げる。

「この雨じゃ、前見えなくなるかな?でも、その小さな傘じゃ、2人は無理じゃない?」

 紗英の持つ傘を指さした。

花柄のシンプルな傘は、女性が一人収まるサイズ。

「でも…」

「それに、田島って家どこ?」

「大井」

「俺、中川」

 正反対の地名。裕は苦笑を浮かべる。ありがたい申し出であるが、一緒に帰ることはできないだろう。

「で、でも…あの…」

 もごもごと口を動かす紗英を見て、裕は笑った。仲がいいとは言えない間柄の紗英がここまで言ってくれることが嬉しかった。

「田島ってあんまり話したことないけど、優しいんだな」

「え…いや、そんなことないよ!ただお節介なだけ」

 裕の言葉に、紗英は慌てたように首を横に振る。

「そうか?」

「そうだよ。よく友達にもそう言われるし。あ、そうだ!私の家ここから近いから、家から傘を持ってくるよ」

「そこまでしてもらわなくていいよ。一言声をかけてもらっただけで十分嬉しかったし。ありがとう」

「でも、雨に濡れて帰ったら風邪を引くかもしれないし、それに、声をかけちゃったからには、やっぱなんとかしたいって思うし」

「優しいんだな」

「だからそういうんじゃないって。どっちかっていうと自己満足?」

「謙遜することないのに。そうだな…じゃあ、お言葉に甘えようかな?」

「じゃあ、すぐに取ってくるね」

「いや、俺も行くよ」

「え?」

「家近いっていうし、少しの間だけ一緒に入れてよ」

「え…あ、うん」

 狭いとわかった中で頷くことを居心地悪く感じたようで、傘を開く紗英の動作は遅かった。「ほら、早く」と傘を出すことを急かす。

かすかに頬が赤くなった紗英に裕は楽しそうに笑った。


 土砂降りの外を前に、傘を広げた。

広げた傘はやはり、2人で入るには少し、小さい。

「ごめんね」

「なんで、田島が謝るの?俺の方こそ、ごめん。それから、ありがとう」

 傘は背が高い裕が持つことになった。

紗英は女子の中では背が高い部類に入るだろうが、それでも、裕からすれば小さかった。

こちらを見るたびに、見上げる紗英に、小さく心臓が鳴る。

「あ、あの…」

 沈黙を先に破ったのは、紗英だった。

「ん?」

 歩きながら、裕は紗英を見た。顔が思ったより近くて、手のひらに変な汗をかく。

「上田くんって、サッカー部だったよね?」

「ああ。そうだよ」

「サッカーってよくわかんないんだけど、ほら、なでしことか活躍したでしょう?それから見るようになったんだよね、私」

「面白いだろ?」

「…それが、ルールとかよくわかんなくて。あ、でも、点が入ったとかはわかるよ」

「ぷっ」

 紗英の言葉に、思わず吹き出す。

そんな裕の反応に、紗英は怒ったような表情を見せた。

「あ、ごめん、ごめん。点が入ったとかは誰でもわかることじゃないのかなって思ってさ」

「…だって、本当にそれくらいしかわかんないんだもん。オフサイド?とか全然わかんないし」

「なら、今度教えてやるよ。ルールわかったら、もっと面白いから」

 裕はそう言うとにこりと笑った。こちらを見ていた紗英が顔を逸らすように前を向く。自分のサッカー好きを押し付けるような発言を不快に感じたのかと裕は紗英の表情を伺った。

 どこかを見るような紗英の視線。それを追うと、小さな小道が見えた。

「…」

「どうかした?」

「……ううん。なんでもないよ?」

 裕の問いかけに紗英は首を横に振り、笑う。

その反応に、裕は安堵の息を吐いた。

「ところで、田島は何部?」

「あ……えっと、茶道部」

「なんか、似合うな」

 紗英の癖のない黒髪は、「和」という言葉が似合った。

「でも、さっきのでちょっとイメージ変わったかも」

話したことはあまりなかったが、裕は紗英を落ち着いている人だと思っていた。いわゆる「お嬢様」のような容姿や前回のテストの結果からそう感じ、自分とは合わないだろうと感じていた。

裕はあまり勉強面が得意ではなく、外で身体を動かす方が好きだからだ。

 けれど、今回のことで、紗英の印象は変わった。

「え?」

「ほら、ちょっと強引な勧誘?」

 片頬を上げる。

「勧誘じゃないよ」

「いや、そこで落ち込むなよ。冗談だからさ。…なんか田島って面白いわ」

「面白いなんて初めて言われたよ、私」

 驚いたように言う紗英。確かにそうかもしれない。きっとただのクラスメイトというだけではわからなかっただろう。

「面白いよ。なんかさ、お嬢様ってイメージでちょっと近寄り難かったけど、普通なんだな」

「普通ってほめ言葉じゃないと思うけど?」

 そう言って、頬を膨らませる紗英の様子に、裕はまた笑った。

「ほら、そんなことしないイメージだった。なんか、ラッキーだな、俺」

「ラッキー?」

「新しい田島、知れたし」

 本当にそう思う。あの時、紗英が声をかけてくれなければ、今後も少し苦手なクラスメイトという存在だっただろう。それが、違うとわかったのは幸運なことだ。

照れたように顔を赤く染める紗英の表情に、裕の心臓は音を上げる。密着した状況では音が聞こえてしまいそだった。

「あ、あの赤い屋根が私の家」

少し早口でそう告げる紗英。200メートルほど先に、赤い屋根の家があった。

 狭い傘の中で彼女といる時間が終わることに、ほっとし、けれど、どこか寂しさがあった。

「赤い屋根か。それもなんかぽいな」

 裕は、ごまかすように、前の赤い屋根の家を眺めた。

 

 家に着くと、紗英は鞄から鍵を取り出す。

「田島って鍵っ子なんだな」

「そうだよ。両親共働き」

「ふ~ん」

「上田くんのところは?」

「うるさいおばさんがいつもいるよ」

「本当に迷惑」と愚痴のような言葉を漏らすと、紗英は笑った。その笑顔に体温が上がるのがわかる。

 鍵が開く音。紗英がドアを開き、中に入った。

別に手を出すつもりはないが、親がいないとわかっている中で、家に入るのは躊躇われた。玄関先で待っていようか迷う裕に「どうしたの?早く入りなよ」と声がかけられる。

 信頼されていることを喜べばいいのか。意識されていないことを悲しめばいいのかわからなかった。そして、そこまで考えて、男として意識されたいと思っている自分に驚いた。


 紗英は、傘立てから大きめの傘を取り出した。色合いから見て男物であろうそれは、父親のものだろうと裕は推測する。

「はい。これ、傘」

「ありがとう」

「あ、肩」

 紗英の言葉に、裕は視線を斜め下に向けた。ワイシャツは揺れて、肌の色が見えていた。

どおりで冷たいはずだ。

「え?ああ。…ちょっと濡れたかな」

 軽く撫でるように肩を触った。その手もすぐに濡れる。けれど、一部であり、気にするほどではない。

「ごめん」

 俯き謝る紗英。狭い傘に2人で入った割には、紗英の肩が濡れていないのは、裕が紗英の全身が入るように、傘を差していたからだ。

謝る紗英に、裕は首を横に振る。

「肩だけですんだのは、田島のおかげでしょ?」

「…ちょっと待ってて」

 傘を借りた側としては当然のことをしただけなのに、紗英は心底悪いという表情を浮かべ、家の中に入ると、タオルを持ってきた。

「これで拭いて」

「ありがとう」

 差し出されたタオルをありがたく受け取る。柔軟剤だろうか、花のいい匂いがした。

「ごめんね」

「だからいいって。傘入れてもらえて嬉しかったし。…それに、靴を脱ぎ捨てるなんてめったに見られないだろう田島を見れたしね」

 そう茶化すように裕は視線を下げた。

左の靴は、玄関の中央に、右の靴は逆になって、ドアの傍に落ちていた。

「あ、…えっと、…」

 赤面し、言葉を濁す紗英に裕がまた声を上げて笑う。その声に、紗英は赤い顔をさらに赤くした。

 ひとしきり笑ったあとに、裕はタオルを肩にかける。

「このタオル借りて行っていい?洗って返すよ」

「別にいいよ、洗わなくても」

 そう言う紗英に首を振る。

「いや、ここまで世話になったし、そのくらいさせてよ。いっぱい笑わせてもらったし」

「それ関係ないでしょ!」

「いやいや。それのお礼も兼ねて」

 学校では見られない紗英の反応が嬉しかった。調子に乗り過ぎたのか、紗英が口を閉ざす。

「…」

「怒った?」

「別に」

 すねています、と訴える言い方。それに笑いがこみ上げるが、嫌われたくはないので、こらえながら、言う。

「今度、サッカーのルール教えてやるから」

「…約束だよ」

 伺うように首を傾げる紗英。裕は大きく頷いた。

「ああ。それじゃあ、明日、また学校で」

「うん。気を付けて帰ってね」

 裕は傘を開き、雨の中に戻っていく。振り返ると、紗英がまだ、こちらを見ていた。

手を振ると、笑いながら振り返してくれる。それが嬉しかった。

裕は、胸に手を当ててみた。ドクンドクンと音が聞こえる。

 明日、学校で、サッカーのルールを教えようと思う。紗英からは、茶道のことを聞こうか。

色んな話をしてみたいと思った。今日のように、新しい紗英のことをもっと知りたいから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ