episode7
「どうしてあの日、僕のことを止めたんだ…」
雅の口調は落ち着いた様子だった。だが心の中はランニングの後のように心臓が高鳴り、たまらなかった。
「君には死ぬ価値がないからさ。」
「死ぬ…価値?」
「あぁ。」
蓮葵はカップを静かに置いた。雅の目をしっかりと見つめ話す。
「君はさっき死ぬってどういうことかって訊いたね?」
雅もまた、真剣な趣で頷く。
「じゃぁ君は、水族館ではしゃいでいた時、死にたいと思ったかい?リュウグウノツカイを見た時、どう思った?この世はつまらないと思った?」
そんな事思うはずがなかった。あんなに楽しかったのは初めてだって思えて、同時にこの世界にはまだあんなにも面白いことがあることに驚いた。
「思わなかった。」
「君はまだこの世の中の事を何も知らない。生きることで出会う人も…生きることで学ぶことも、生きることで感じる幸せも…」
一度息を吐き、蓮葵は雅に微笑んだ。
「神奈月雅、君は生きていく上で感じる苦しみを一気に味わったんだ。それは君にとって、決して無意味な事じゃない。君にとって乗り越える価値があるもの…、つまり君にはそれを乗り越えられるだけの力がある。」
「強くあれ!雅!!そして知れ、この世界の楽も苦も、全てを知るんだ。全てを知る尽くしてもなお、この世界に興味がない死にたいと思うのならば……!!!……その時…その時は俺は君を止めないよ?」
蓮葵はそう言って立ち上がり、雅の頭にそっと手を置いた。
「……おやすみ、雅くん。」
「おやすみ…」
蓮葵が奥の部屋へと消えた後も雅はその場を動けなかった。蓮葵の言葉が頭の中をぐるぐるとまわってとても寝れる気分では無く、思わず気付くと海に来ていた。あの、運命を変えた場所に。
「深海…だっけ?」
この海の底深くに…あの神秘の生物が生きてるんだ。波音だけが辺りを包んでいた。
「綺麗ッスよね…」
背後から声がかけられた。…まるであの日のように。
「でも…今日は満月じゃないですよ?涼一さん」
声をかけた涼一は雅の隣に立つと空を見上げ、海に視線を戻した。
「知ってますよ~。でも、だから俺は太陽より、月が好きなんスよ。」
涼一はどこかワクワクしたような表情で言った。
「月って、常に満月じゃないなぁっしょ?自ら光る事は出来なくとも、周りの…太陽の力を借りて自分を輝かせてる。自分は完璧でなくても、それを受け入れて必死に自分を作ってる月が…俺は好きッス!」
涼一の目は活き活きとしていた。
「涼一さんがそんな事考えてたなんて…何か意外だなぁ」
雅が感心していると、涼一は照れたように笑い、雅を見て小声で言った。
「ま、瀬戸さんの受け売りっすけどね」
「なんだよ~僕の感心を返せ」
確かにあの人なら納得がいく。笑いながら応えた雅に涼一は少し驚いた顔をし、それは嬉しそうな表情へと変わった。
「俺の話聞いて笑ってくれた人、久し振りッス!」
そのあまりの喜び様は笑った本人でさえ微笑んでしまいそうなものだったがその前に、ふと疑問を感じた。
「蓮葵さんとか…紅葉さんは?」
「ん~…瀬戸さんは常に笑み浮かべてるんで特別笑ったりとかはあんまりしない人ですし…紅葉さんはその逆で何事めあんまり笑わないんっすよね~」
妙に納得してしまう。
「瀬戸さんは…俺にとって家族、父親とか兄貴のような存在なんすよ」
不意に涼一は真剣な趣で話し出した。
「俺昔荒れてたときに、仲間に裏切られて俺だけ警察に突き出された事があるんすよね…。俺には関係の無いことだったんですよ。俺…確かに荒れてたけど犯罪事には唯一手を出したことなくって…。なのに…。説明しても警察でさえ俺の話なんか聞いてくれなくて…それで刑務所出た後、死のうと思ったんすよ。この海で…。」
「えっ…!?」
涼一さんも同じ…この海で…。
「どうせ生きてたって"俺"を見てくれる人なんかいない…。生きたって何の意味もない。ならいっそのこと終わってしまえばいい…。何もかも、全てがどうでもよかった。」
「どうでもいい…。俺と同じ。」
雅は驚きから絞り出したような声しか出せなかった。涼一は悲しそうに笑った後、話を続けた。
「そう思って海に来たら先客がいたんスよ」
「先客?」
「そう。…蓮葵さんスよ」
蓮葵さんが海に…。
「蓮葵さんが海に向かって泣いてたんすよ。表情一つ変えずに、ただただ目から涙が流れるだけで…それはまるで…そう‥悲しみ尽くしたような…そんな感じ。蓮葵さんは俺に気付かないみたいで、、。今思っても蓮葵さんの涙を見たのはその時だけッス。」
雅はいつの間にか涼一の話に夢中になっていた。
「蓮葵さん、この海で奥さん亡くしてるっす…。原因は不明で、警察は自殺として片付けた。納得のいかなかった蓮葵さんは訴え続けたけど、結局聞き入れて貰えなかった。」
「……。」
「『綺麗な夜だね。』って、蓮葵さんは俺に気付くと涙を拭おうともせずそう言った。あまりにも悲しそうな顔をするもんだから俺はこの海に来た理由さえ頭から飛んで…気付くと抱きしめたんっす。あ、別にそんな趣味とかないっすよ?」
軽く笑う涼一。抱きしめたといという理由は理解できた。きっと蓮葵さんを安心させてあげたかったのだろう。不器用な涼一はそれ以外に方法が見つからなかったに違いない。
「それからこの海で蓮葵さんと度々会うようになったんす。奥さんとかの話も後々聞いたことッス。」
涼一が何故雅に今そんな話をしたかは分からなかった。けど蓮葵さんが雅に声をかけた意図が読みとれた気がした。
「その奥さんと俺を重ねてしまったのかな…」
雅がふと疑問を口にした。
「それはどうかな?」
「え?」
「きっと…瀬戸さんは…」
「雅!!」
涼一が何かを言いかけたところで誰かが呼ぶ声がした。聞き覚えのある声…。
「紅葉さん?どうしてここに?」
「蓮葵さんが捜していた。早く帰ってやれ。」
蓮葵は雅があの家に戻ると直ぐに駆け寄ってきた。
「…最初にした約束、もう忘れたの?」
「約束?」
「出掛けるときは連絡入れなよ。」
最初にこの家に来たときの約束だ。
「あ…。心配かけてごめん…。」
「何処行ってたの?」
「海…あの海…。涼一さんに会って話聞いてた。」
「話?」
「……蓮葵さんの奥さんの話。」
「…………涼一くんは本当お喋りだね。でもまぁいつかは話さなくちゃいけないんだろうね…。」
蓮葵は諦めたように目をふせ、落ち着いた口調で話し出した。
「旧姓、新田結愛。俺の奥さんだよ。」
蓮葵はあくまで冷静だった。それはまさに涼一が言ってた『悲しみ尽くした 』顔だった。
「君が死のうとしたあの海は…彼女が死んだ海だった。君が死のうとしたあの日は…彼女が死んだ日だった。」
「…!!」
「偶然かも知れない。けど俺は彼女が君に会わせてくれたんだと思ってるよ。」
「僕は…」
「今日は寝た方がいい。色々あって疲れてるだろう。ゆっくりでいいよ。ゆっくりでいいから、君の答えを聞くのは」
部屋に戻り、普段着のままベッドに横たわる。体はすぐに眠ってしまいそうな程に疲れているのが分かった。けど心中はいくつもの荒波が押し寄せているかのように、ざわついていた。
僕はこれから、どうするべきなのか…。
どう、したいのか…。
同じ問いかけが何度も頭の中を回るのだ。