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たとえばもののはじめとて  作者: 辻原貴之
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【はじめてのきおく】

 ―――― 一九××年十二月二十六日


 多少なりとも私を知る人には改めて語るまでもないのかもしれないが、それが私の生まれた日だ。

 下世話な話になるが、或る程度大人になってから知った話によると、両親の結婚記念日ベイビーだったらしい。

 十月十日とは言うが、実際には九ヶ月ちょっとだそうな。

 実際にはその予定で行くと私は十二月の半ばに誕生する予定であったはずなのだが、私は生来の自由人っぷりを生まれる前から発揮していたそうで、やたらと母親の腹を蹴る割には表に顔を出さない子で、予定日を十日も超えてようやく生まれたのだと聞いている。

 三年前に姉を生んだ経産婦である母は、この現象を『男の子特有の現象』だという程度に認識して、気楽に構えていたらしい。実際にどうなのかは、家庭唯一の男児たる私には確認のしようがないのだが。

 ところで、失礼千万な話だが、この性格は後に、友人たちからも指摘され、私は『オウンペース(マイペースの行き過ぎ)』とか『フリーダム』とかいう二つ名で呼ばれるようになるのだが、それはまた別の話。


 時折、『子供には生まれてきた時の記憶が残っている』という話がある。


 実は私もそのクチだったそうで、三歳頃には『眠たかったのに足の方から押し出された』とか、『途中でつっかえて首をグイッとした』とか言っていたらしい。

 私自身の記憶とは少々違う上に、今更どうこう言っても仕方ないのではあるが、後にテレビに出ていた産婦人科医によると、実際に子供が生まれる時、首を捻らないと出て来られない部分があるそうで、母は『あら、アンタ昔それ言ってたわ』と驚いていた。

 まぁ、やはり当人にはその記憶はないのだが。


 では、私自身が明確に持っている『はじめてのきおく』が、どのようなものであるのかというのは、あやふやながら二つの候補がある。

 風呂での記憶と、初めて『裏切り』というものを知った瞬間の記憶だ。

 どちらがより先であったのか、もはや家族の誰も覚えていないのだが、今の家に越してきた三歳手前よりも更に前の記憶であることには間違いない。


 先ずは風呂。

 純粋に、溺れた。

 父親に風呂に入れられるときに、母が父に私を手渡す。

 浴槽の高さは当然私の当時の身長より高いから、母は私を抱いたままだ。

 そして、手渡すその手を誤り、あっさりと頭から突っ込んで、後は言うまでもない。

 ――――正直、死ぬと思った。

 突然襲ってきた理不尽に必死に抵抗したものだから、却って救出が遅れ、父親が逆さまのままの私を足から引っ張りあげた時には、泣きながら父親を殴打していた記憶がある。

 因みに、『野生の人間』であるところの私は、しっかりその事を根に持ち、そこから再び風呂というハードルに挑戦するには、多少の日数を要したこともしっかり記憶に残っている。


 次に、人生で初めて『裏切り』というものを知った瞬間。

 まぁ、話としてはこちらの方が多少耳目を引くであろう。

 こちらもまぁ、至って下らない話なのだが、当時我が一家が住んでいた家の目の前は、緩やかな坂になっており、或る日、家族四人(先にも述べたが、私には姉がいる)で大人の脚で十分ほどの公園へ行こうとしていた。

 直前まで昼寝をしていた私は、自分で靴を履くことを覚えている最中だったのだが、眠さも相俟って一人遅れ、私より後に出て鍵を閉めた筈の母にも追い抜かれてしまった。

 慌てて追いかけたのだが、そこは下り坂。

 頭の重い、加えて眠い状態で朦朧としている子供が、『コケる』には十分な条件が揃っていた。

 ――――うん。まぁ、コケますわな。

 だが、問題なのはそこからである。

 普段何かにつけ世話を焼く家族が、誰も助けにこないのだ。

 父も、母も、姉も、大爆笑。

 家族の採ったあまりに不可解な行動に戸惑う私を見て、改めて爆笑。

 どうしようもないアウェイ感。

 今まで『無条件に助けてくれる』と思っていたものの、崩壊。

 今まで寄せてきた信頼の総ては、その瞬間に無に帰した。

 あぁ、これが人なのか。

 人というものは転んだ時に誰の助けも借りず、一人で生きていかねばならぬのだ。

 やがて、あまりのことに嘆き、伏せたまま全く何の行動も起こせない私に向かって、父が『自分で立ち上がれ』と発破をかけ、『どうして誰も助けてくれないのだろう』と、悲嘆に暮れながら、幼子たる『私』は涙混じりに立ち上がった。

 膝から血が滲んで、小石が食い込んでいた。

 その膝を引きずるものだから、痛みに泣き、そのまま母親に駆け寄ろうと走ったところで、再びコケる。

 そこまで来ると、もはや爆笑は止まらない。

 嗚咽としゃっくりで正しく息も絶え絶えに母親の元に辿り着いて『よく頑張ったね』と声を掛けられたところで、私は彼らの誰をも、全く信じられなかった。

 実の所、自ら駆け寄った母親でさえ敵に見えたのだが、他にマシな人間がこの場に存在しない以上、仕方なく母の元へ行ったのだ。

 出来れば、子供の頃非常に懐いていた近所のおばさんの元へ駆け寄りたいところだったが、生憎と目の前に居なかった。

 埃や小石を払われ、血の出た膝に絆創膏を貼って母親に抱きかかえられた訳だが、不信感は全く拭えなかった。

 一頻り笑って満足したのか、『よーし、じゃぁ、公園に行こう』と張り切った父の掛け声をよそに、私は一人『行かない! ここに残る!』と叫び続けたのだが、その主張は無残にも却下された。

 ――――これは後で知ったことだが、あの時、私が最初に母から遅れた時点から、父は『これは転ぶぞ』と予言してカメラを構え、転倒の瞬間を写真にまで残していたのだ。

 つまりあの爆笑は、『まんまとハマった』と喜んでいたということである。

 誰も助けてくれないことに戸惑い、狼狽え、恐怖に泣いていた子供を前にして、あまりではないか。

 ……まぁ、そこがまた、大人の自分として思い出せば、笑いのツボにハマるのだろうが。

 写真は今もアルバムの中で、やや茶色掛かった状態ながらも残っており、何年かに一度、家に親戚が集う度に開かれる。そこには、ヘッドスライディングをするオーバーオールの私が崩れた表情で写っていて、その話題になる度に私は家族にこう言うのだ。


『……あぁ。アレこそ正に、世界の真理を一つ知った瞬間だったよ』


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