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デッドマンレコーダー

作者: 暇庭宅男
掲載日:2026/07/29

自分が生きている現在の記録を残すというのは、ひとつの、人類という種が希求してやまない欲求なのだという。


古くは文字にのみ残っていた記録。文書(もんじょ)にしか残らないので、私たちは例えばイエス・キリストやブッダの声がどんなだったかはわからないし、それから縄文時代に流行っていた歌を知ることはない。


しかし人類の進歩は、西暦1877年、ついに蓄音機を生み出した。記録した媒体が損傷しない限り、人類は過去に発せられた音を現在にいながら聞くことができるようになった。蓄音機の発明者、トーマス・エジソンが人類最高の発明家のひとりと謳われるのは、長い間叶わなかった人類の欲求を見事叶えて見せたからだ。


蓄音機の発明から150年あまり。私たちは過去に作られたありとあらゆる音を耳にすることができる。


クラシック音楽などはその代表だろうか。楽譜が存在するから、今現在演奏されているものも多いとはいえ、特定の指揮者の演出が他のどんな人間も圧倒するような素晴らしさを誇り、その指揮者亡き後にも何十年も愛されたりする。


それから肉声。電波放送が始まってからは特に、有名人の肉声が残ることも多くなった。それこそドラマなどは何十年か前に作られた作品を見ると、現在もう亡くなった俳優がいきいきと演技をみせているなどということは普通だ。


声も、ドラマ撮影時の5年も後になれば病魔ですっかり細く枯れてしまうことを現在にいる私は知っている。それでも、記録されているのだからやはりドラマのそのシーンでハキハキ話す声を聞くことは叶う。明日も明後日も、望めばそれは聞けるだろう。



…………いいのだろうか。それで?



古い古いドラマの再放送を観るともなく観ながら、自分の心が妙に怖じけているのを感じる。なんか、怖いよね。と、私の心のどこかがそう言う。


感じるならばそれに説明はつくのだろうか。私はテレビを消して、冷凍庫で作ってあった氷をグラスいっぱいに入れた。


そうして、酒を減らしたかわりに飲むようになったサイダーを、封を空けてグラスへ注ぐ。サイダーは氷に当たると激しく発泡して、氷も生ぬるいサイダーをかけられて急激に溶ける。泡が落ち着くのを見計らって、一口飲んだ。そのままでは甘すぎると感じるサイダーも、氷が溶けてうまい具合に薄まり、氷でよく冷えて、余計な炭酸がこれまたいい具合に抜けて丁度良い。


「さて」


亡くなった人が出ているドラマを目にすることがなぜそんなに怖いと思ったのだったかな。私は自分でも説明のつかない感覚を、その根を探そうと目を閉じる。


既に亡くなった人に会う……それは、記録がまだ無かった時代には、言葉のまま超常の出来事だった。

すでに荼毘に付された祖父の姿を見るとか、声を聞くとか。珍しくはない。よくある話だ。それがただの怖い話かどうかはともかくとして、あり得ないはずの不思議な話、という括りには()()()()()()


そうして、蓄音機の登場からこちら、死した人間の声を聞くことは、その「不思議な話」から抜け出して、普通の出来事になったのだ。ホームビデオか、あるいはテープレコーダーに、死した人間の声が記録されていて、それを聞くことが容易になった。故人を偲ぶのに、それを何度も再生することは普通にある。


「あり得ないこと、が、当たり前……になった」


メモ代わりにスマホで文字を打ち込みながら、自分でも口に出してみる。

だから怖いのだろうか。死者の声を時を超えて聞くことが。それは本来超常現象の範疇に収まっているべき話で、日常になるべきではなかったのだろうか。


「子、曰く。学びて時にまたこれを習う……」


論語の有名な一節だ。小さい頃覚えさせられたので今でもいくつか(そら)んじることができる。孔子が元は葬儀屋だったのは有名な話だ。

とっくに死んだ誰かの考えを、尊ぶがゆえに次世代にも繰り返し教え込む。それも奇妙だと言えば、奇妙であるような気がした。


「お、雨振ってきた」


梅雨明け間近の空は、唐突に土砂降りを降らせ始めた。窓から雨が入らないように、いくつか家の窓を閉める。


「アイム・シーンギン・イン・ザ・レイン……」


窓を閉めながら、なんとはなく、口ずさんだ。そうして気が付く。ああ、これを歌った俳優も、作曲家も、とうに亡くなっている。『雨に唄えば』の制作に関わった人の、いったいどれくらいが今生きているだろうか。


死んだのに無くならない。それらは、いつまでも無くならない。

数多の流行歌もそうだ、一時期、歌詞のあまりの悲劇の主人公っぷりを冷笑しながら、それでも心が動くものがあって、時々聴いていた「ジュース・ワールド」の鬱々としたエモ・ラップ。彼が亡くなったからといって彼の音楽は無くならない。今になってチャートに上がってきた、「椎名もた」の『少女A』。彼が亡くなってから、いいやもしかしたら、彼が命を絶ったからこそ。あの歌は永遠になるのかもしれない。


「生きてる人の声は?」


そうつぶやいてみる。あるにはある。流行歌の最新チャート、映画、動画、演説……なんでもいい。生きている人の発する声だって私たちはずっと聞いてはいる。


けれど……。たぶん、ここが核心だと思うところにたどり着く。怯える自身の心の奥。それは喚き散らしている。


『みんな、死んだ人の声をばかり聞く。生きている、目の前の人、身の回りのものはぞんざいに扱うのに』


ああ。そうか。


理解する。理解して、その解決の不可能を思って自然に眉間にしわが寄るのを感じた。


私たちの持った時間は有限で、何を好きになっても良いのだけれど、それは、誰かを好きにならないということなのだ。


何を好きになるか。もうすでに死んだ人の歌、もうすでに死んだ人の声、もうすでに死んだ人の思想、もうすでに死んだ人の言葉……。


「蓄音機みたいだ」


死んだ人が残したものを、過去の何かをえんえん、再生するという点において、私たちは蓄音機に似ている。その声のあるじが、とうに死んでいることを、知りながら知らぬふりをして。


これからもたぶんそれは続く。どうなってしまうのだろう。世界には少しずつ、死んだ人の残した何かが降り積もっていく。それらは多分、長く残るくらいだから好ましいもので……そうして、今ここに生きている声を踏み潰していく。好ましくないから。醜い今を、美しい過去で踏み殺し続ける。踏み殺された誰かは死によって清められ、美しかった()()()()()


「死んだものばっかり、愛してちゃそうなるよな」


死んだ人間は自分からは動かない。動かないから自分の好きに愛することができる。死んだ人は都合の悪いことなどもう永遠に言わない。

生きているものは違う。思い通りにならなかったり、自分の好きではない面が見えたり。ひどい話だ、死んだもののほうが、好きになるのに都合がいい。生きている人の居場所を潰してまで、死んだ人が残したものを置く場所を探しているなんて。


デッドマンレコーダー。そんな名前を不意に思いついた。死んだ人の心地よい声、心地よい思い、見目麗しい姿、それを延々、リピート再生する機械。私達は誰もが、望めばそうなれる。そうならない理由を探すよりも、きっとずっと楽に、さらにもっと愉快に。

雨は少しずつ弱まっていて、雲の切れ間から空が見える。グラスに入れた氷が、カランと音を立てた。

結論から言って2026夏ホラーのテーマ内には収まらなかった。

ストーリーも肉付けしようと試みたが2度やって2度失敗した。手に負えないテーマを思いついてしまうということは、実は結構ある。ずっと後にリファインできる可能性を信じて、投稿してしまうこととする。

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