罪が人を裁く時 〜消えない時効〜
市議会議員を辞職し、市長選挙へ立候補した一人の男。広い知名度とクリーンな雰囲気が売りで、将来は国会議員を嘱望される存在でもある。市長選も勝利は堅いと思われていた彼を、いつも見つめる女性がいた。何の目的で。彼女の正体は。
私は市議会議員を3期務め、今年市長選へ立候補するため、市議を辞職した。無所属での立候補だが、実際には政権与党の推薦がある。この市長選を足掛かりに、2から3期務めたあとは、選挙区が用意され、国政への出馬が約束されている。
この市には、あらゆる課題がある。少子高齢化は当市においても課題であるが、知事の政策が功を奏し、異例に子育て世帯が急増していた。選挙において、教育と福祉は欠かせない。ニーズに合わせた公約を掲げることは、当然のための第一歩だ。
市議として耳にした問題の一つは、学校でのいじめだった。急速に増えた生徒の数に、教員数も学校の整備も追いついていない。何処かが改善すれば、何処かに歪みが来る。私は選挙での大きな訴えは「教育環境の整備」「いじめ撲滅」と決めた。
選挙戦に際して、選挙事務所やポスター、ビラの手配、選挙カーのレンタルなどやるべきことはいくつもある。人の手配は3名の秘書が動いてくれた。幸いにも私は3期市議を務めたことで、知名度には事欠かない。
[教育現場を見てきた知事が、約束します!]
[いじめゼロの約束!]
[3期12年の実績]
選挙カーからウグイス嬢が声高に訴える。崇高な思いは大切だが、候補者は当選しなければ意味がない。選挙はテクニックだ。多少誇張しても、当選すれば良いのだ。
街中を歩いて、市民と握手を交わす。当選のためには、どれだけ歩き、人と会ったかが重要である。
いよいよ駅前ロータリーで演説をする。選挙カーは、屋根の上に上がれる仕様になっているライトバンだ。
「直面する市の課題を理解しているのは、市議経験のある私だけ!」
「お子さんが安心して勉強出来る学校、いじめゼロを必ずやります!」
反応は悪くない。私の知名度だけで、かなりの聴衆を集めることができた。おまけに私はこの市で生まれ育ち、同級生も多い。序盤にも関わらず、報道各社は私を「優勢」と伝えている。他に4人の候補者がいるが、泡沫候補に過ぎない。
「出来もしない公約は口約束!そういう政治にNOを!」
何箇所かの駅での演説を終えてから、私には気になることがあった。それは、いつも同じ少女が聴衆に居たことだった。
「そんな子いたかなぁ」
秘書は全く覚えていない。私は人の顔を覚えるのが得意だ。三期も市議をやれば、それくらいの癖は身につく。
今日の夕方は、利用者数が当市で一番多い駅での街宣だ。聴衆が多くなるため、警備員を配置し、さらには警察官も警備に当たっている。それには、理由があった。
夕方になり、これから帰宅ラッシュの時間を迎える。アピールには最高の環境だ。車の屋根に上がると、黒山の聴衆が目に入る。
今回応援には政権与党の三役が来た。警察の警備が厳しい理由はこれだ。党三役とは、幹事長、総務会長、政務調査会長を指す。マスコミでも見る顔が揃い、一層聴衆の声が大きくなる。党三役は警護対象者でもあり、SPが周囲を固めている。
「これほど信頼の厚い人材はいません!
「やがては、国を任せられる逸材です!」
私は手を振る。その時、目に入った。あの子だ…いつも来ている女の子。小学生くらいだろう。私はその子にも満面の笑みで大きく手を振ってみた。しかし、その子は表情を変えない。
私は隣にいる秘書に耳打ちした。演説が終わったら、その女の子とぜひ握手がしたいと伝えさせた。
演説が終わり、黒山の聴衆が動きだす。選挙カーから降りても、私は次々と握手をし続けた。
「まぁ、このまま行けば大丈夫でしょうな」
政調会長は私にそう言って、車に乗り込んだ。
私は先程の秘書を見つけたが、秘書は一人で立っていた。
「女の子はどうした」
「先生が仰る子はいませんでしたが…」
「そんな筈はない。お前何を見ていたんだ」
「先生!誰が見ているか分かりません。ここは穏やかに」
私は選挙カーの助手席に座った。秘書が幟やポスターを片付けた後、出発した。午後8時を過ぎた為、この時点で選挙活動は出来ない。
「先生、その子がいつも居るということですが…」
「あぁ、いつもいる」
「後援会のご家族ということはありませんか。小学生じゃ、選挙に関心はないでしょうしね」
「お前ら、その子知らないか?」
「知ってるも何も、その子を確認出来ていないので」
選挙事務所に着いてからも、私はその子の事が頭を離れない。じっと私を見据える表情。
翌日も、その翌日も、その子は演説会場に現れた。ただし、姿を見たのは特定の場所に限られた。それは、私が育った地域だった。
選挙戦は間もなく終盤に差し掛かる。依然として私は優勢で、2位の候補者にダブルスコアをつけている。
「先生!今日は先生の地元ですよ。同級生の方々が応援に行こうって、SNSで集合かけていますよ」
「そうか…ありがたいことだな」
「女の子の事ですね。先生、考え過ぎですよ。では、今日私がその子を捕まえますから、握手ってことで」
当日は、私の母校の中学校で演説会となった。体育館には懐かしい同級生の顔や、その保護者。お世話になった先生も揃っていた。
「市長!」
「次は総理大臣!」
私が体育館に入ると、掛け声と割れんばかりの拍手に迎えられた。私は両手で手を振り、通路に近い同級生や支援者に握手をし、舞台へ上がった。見渡したが、件の少女はいなかった。
「いじめという、人の尊厳を脅かす重大な問題が、残念ながら当市で起きています。私は隠しません!洗い出し、命懸けで必ず解決します!」
大きな拍手が上がった。私は演台で礼をした後、手を振った。演壇から離れ、もう一度深く頭を下げた。
頭を上げて、聴衆を見た。あの少女が最前列に目に入った。拍手をするわけでもなく、ただじっと、私の目を見据えている。私は固まってしまった。
「おい、どうした!新市長!」
その声で我に返った私は、すぐに舞台を降りてその子に駆け寄ることにした。
「逃がすわけにいかない」
先程の少女の居た場所には、全く違う女の子が居た。
「き、今日は来てくれてありがとう…」
その子は満面の笑みで握手を返してきた。
「違う、この子じゃない…」
演説会が終わり、帰りの車の中で私は少女の事を思い出していた。
「どこかで会ったことがある…」
私は自宅に帰ってから、小学生時代、中学生時代の卒業アルバムを取り出した。久しぶりに開いたので、少しカビたような匂いがする。
中学の卒業アルバムのページをめくる。
「この子だ!」
同じクラスにいた、「まさみ」という同級生だった。あまり明るい印象の娘ではなかった。それよりも、私は彼女に対して忘れ難い過去がある。
私は彼女をいじめのターゲットにしていた。
彼女に何かされたわけではない。私が一方的に仕掛けたのだ。彼女はいじめられる理由など何もなかった。ただ、毎日学校に通っていただけ。
平穏に過ごす日々を壊して良い権利など、誰も持っていない。それを私は、遊び半分で無惨に破壊したのだ。
振り返ると妻が立っていた。顔色がどす黒く、表情がない。
「そうよ。あなたがとっくに忘れていた私は、ずっと心に傷を抱えて生きてきた。私があなたに何かした?」
私は恐怖に恐れ慄き、床に土下座した。
目の前にいるのは妻のはず…違う、妻ではない。まさみの顔だ。
「すまん!俺が悪かったんだ!」
「謝って済むのかしら。謝ったら、あなたの過去の所業は消えるの?犯した罪は、生きている限り消えないの。被害者も、加
害者も」
妻は私をじっと見据え、淡々と言う。怒るわけでも、泣くわけでもない。
「今さら謝って、何が変わるの?あなたがこの先どんなに反省して後悔して、心を入れ替えても、私には何も響かない」
「犯した罪は消えないの」
「私の人生を返して」
「今度はあなたの番」
私は土下座したまま、頭を抱えた。恐怖で声が出なかった。
「た、助けてくれ…」
私の背を誰かがさすっている?
「助けて…くれ…」
ゆっくり顔を上げると、妻がわたしを覗き込んでいた。
「どうしたのよ、顔が真っ青じゃないの」
「ま、まさみさんは…」
「は?誰の話?疲れてるのよ、早めに休んだ方が良いわね」
気づくと私は、そのままリビングで朝を迎えた。悪い夢を見たような気がして、目覚めは最悪だ。
選挙事務所へ出勤すると、秘書やボランティアの人々が心配そうに駆け寄った。
「先生、顔色が…隈も出来ています。何かあったのですか…」
「俺…出馬を辞退しようと思う…」
「は!?先生、今さら何を仰いますか!」
「悪いな…健康上の問題だ…」
「いや…ここまで来てですか…」
私は結局、市長選挙の立候補を辞退した。罪のないクラスメイトを虐めた過去のある人間が、市長になって虐めを撲滅するとは、冗談にもならない。
[市長候補・体調問題を理由に選挙戦脱落]
[優勢だった候補に何が!?]
翌日の新聞の見出しには、そんな見出しが載っていた。
まさみがまた現れること。虐めの件がマスコミに知られ、追及されること。全てを恐れた。それが辞退の理由だ。
私は裁かれたのだ。裁いたのはまさみではない。過去の私だ。そして、私が犯した過去の罪だ。
誰も傷つけず、罪のないまさみがどんな思いで毎日を過ごしていたか。謂れのない誹謗中傷に暴力。子供の悪ふざけで許されることではない。例え時効であっても、被害者の心に時効はない。
それが虐めだ。
終




