エルディオ視点
――格を知る
風が、止んだ。
それまで背後から吹いていた追い風が、唐突に消えた。
いや、正確には――
押し返された。
エルディオは剣を構えたまま、ゆっくりと視線を上げる。
遠く、魔王軍の隊列が左右に割れていく。
整然と。
恐慌も混乱もなく。
それだけで分かる。
(将が出る)
ただの強者ではない。
“象徴”が前に出るときの動きだ。
彼は深く息を吸い、肺の奥で魔力を循環させた。
先ほどまで連発していた高位魔法の余熱が、血管の内側に残っている。
だがそれでも、冷える。
空気が。
圧が。
世界そのものが、わずかに重くなる。
「……これか」
現れた影は、巨大ではない。
むしろ人型としては均整が取れている。
過剰な威圧も、誇示もない。
ただ歩いてくる。
だが一歩ごとに、地面の魔力が沈む。
(違う)
これまで斬ってきた魔族とは、根本が違う。
強い個体はいた。
魔力の多い者もいた。
技を持つ者もいた。
だが目の前の存在は――
軍そのものを背負っている。
それが分かる。
背後の魔王軍が、静まり返っている。
畏怖でも、緊張でもない。
信頼だ。
「あれが……」
南方諸侯軍の残兵が、小さく呟いた。
「三大将……?」
名は聞こえない。
だが意味は理解した。
エルディオは剣を下げない。
だが、無意識に足幅を広げていた。
重心を低く。
踏み込みの距離を最適化する。
それでも、直感が告げる。
(届くか……?)
距離ではない。
格だ。
対峙する前から分かる。
あれは“倒せば終わり”の敵ではない。
あれを斬るということは、
戦争の一端をもぎ取ることだ。
同時に――
あれに斬られるということは、
こちらの“象徴”が消えるということ。
自分が何者か、
エルディオはよく分かっている。
勇者ではない。
王族でもない。
軍の総帥でもない。
ただの剣士。
だが今この場で、
魔王軍主力を止めているのは自分だ。
ならば。
(ここで退く選択は、ない)
恐怖はある。
それを否定しない。
むしろ、その震えが教えてくれる。
――本物だ。
第三大将は、足を止めた。
距離、約五十歩。
それ以上近づかない。
それ以下にも来ない。
絶妙な間合い。
エルディオの喉が、わずかに鳴る。
(測られている)
魔力の波が、触れずに触れてくる。
威圧ではない。
観察。
獲物を見る目ではない。
敵将を見る目だ。
それだけで理解する。
この存在は、
自分を“障害物”ではなく、
戦術目標として認識している。
胸の奥で、何かが静かに燃える。
光栄だ、と思った自分に、少し驚く。
だが同時に、理解する。
(ここで俺が折れれば)
主力は、再び王都へ向かう。
王都。
民。
まだ剣を持たぬ者たち。
勇者が間に合う保証はない。
だから。
エルディオは、剣先をわずかに上げた。
挑発ではない。
宣言だ。
――ここから先へは行かせない。
背後で、味方の気配が揺れる。
畏怖。
尊敬。
そして、祈り。
自分に向けられる視線の重さを感じる。
(……背負う、か)
それは初めてではない。
だが、ここまで明確なのは初めてだ。
第三大将が、口を開いた。
声は低く、静かで、無駄がない。
その一音で、分かる。
(格が違う)
技量の話ではない。
戦場で積み上げた重み。
命令を下し、軍を動かし、
勝敗を背負ってきた者の声音。
エルディオは、剣を握り直す。
手汗はない。
心拍は、むしろ落ち着いている。
恐怖は、消えない。
だが、それ以上に明確な感情がある。
(斬りたい)
強者を前にした剣士の、本能。
だが同時に――
(勝たなければならない)
これは試合ではない。
誇りの競い合いでもない。
時間を奪う戦いだ。
自分が立っている限り、
王都へ向かう主力は動けない。
ならば、十分だ。
第三大将の魔力が、わずかに高まる。
空気が裂けるような圧。
エルディオの足元の草が、伏せる。
(来る)
だが、まだ動かない。
お互いに、理解している。
この一歩が、
この戦争の流れを再び動かす。
静寂。
夜の平原に、二つの影。
軍勢は、息を殺している。
エルディオは、最後に一度だけ王都の方向を見た。
遠い。
だが、守るべき距離は、今ここにある。
視線を戻す。
第三大将と、真正面から目が合う。
その瞬間、確信した。
(こいつは、俺を殺せる)
同時に、
(俺も、こいつを斬れる)
根拠はない。
だが、剣士の直感が告げる。
――同じ土俵だ。
格を知った。
差も知った。
それでもなお、退かないと決めた。
エルディオは、静かに息を吐いた。
「……来い」
その一言で、空気が切り替わる。
次の瞬間。
世界は、動く。
――続く。




