魔王軍の決断
戦場の匂いが、薄れていく。
それは勝利の静けさではない。
戦争そのものが、移動した気配だった。
エルディオは馬を止め、剣を肩に担いだまま、空を見上げる。
夜の雲を押し流すように、魔力の流れが一方向へ引き延ばされていた。
「……主力だな」
誰に向けた言葉でもなかった。
後方部隊を潰したあと、彼は休まなかった。
斥候の断片的な報告。
焼け残った地面に刻まれた魔力痕。
それらを繋ぎ合わせて、ようやく見えた答え。
魔王軍は、南部を捨てた。
勇者がいる戦線を“処理”の対象とし、
王都を最優先目標として主力を動かした。
(間に合うか……)
計算は、冷静だった。
距離、速度、疲労。
そして――自分一人で、どこまで削れるか。
答えは一つ。
「削るしかない」
エルディオは、踵を返した。
⸻
主力に追いついた瞬間、
魔王軍の隊列がざわめいた。
異常な魔力反応が、後方から迫ってくる。
しかもそれは、軍ではない。
「……一個体だと?」
魔族の兵が振り返るより早く、
天が裂けた。
高位雷撃魔法。
詠唱短縮、威力最大化。
稲光が縦に走り、
後衛の魔族部隊が、まとめて吹き飛ぶ。
悲鳴は短く、
次の瞬間には剣が走った。
エルディオは馬上から跳び、
空中で一回転しながら剣を振る。
高位剣技《蒼断》――
魔力を刃に重ね、鎧ごと切断する技。
一太刀。
二太刀。
三太刀。
魔族の指揮官が、言葉を失う。
「人間……だと?」
さらに魔法が重なる。
氷結、火焔、圧縮風刃。
連発される高位魔法は、もはや“詠唱の間”という概念を無視していた。
味方――南方諸侯軍の残兵たちは、
遠巻きにそれを見ていた。
「……一人で、軍に……」
畏怖が先に立つ。
だが、次に湧いたのは――
「……行けるかもしれない」
尊敬と、
そして期待だった。
あの剣士が前にいる限り、
この戦争は、まだ終わっていない。
魔王軍主力は、明確に“遅れ始めた”。
後方が削られ、
隊列が乱れ、
進軍速度が落ちる。
その報告が、
ついに――第三大将のもとへ届く。
⸻
「……後方処理部隊、壊滅?」
カイゼル=ロドゥスは、報告書を一瞥しただけで、理解した。
「原因は?」
「単独行動の人間です。
高位剣術と高位魔法を併用。
規模は……個人です」
一瞬の沈黙。
それから、低い笑い。
「はは……なるほど。
想定外だが、無視はできんな」
彼は進軍を止めさせる。
「このまま王都へ向かえば、
後ろから削られ続ける」
副官が問う。
「迎撃を?」
「いや」
カイゼルは、ゆっくりと立ち上がった。
「私が出る」
その一言で、空気が変わる。
「第三大将が……?」
「相手は“個”だ。
だが、軍の進路を歪める“個”だ」
踵を返す命令が下る。
魔王軍主力の一部が反転し、
巨大な魔力が、逆流する。
その瞬間を、エルディオは感じ取った。
(……来たな)
追撃していた足を止め、
剣を構える。
夜の平原で、
二つの強大な魔力が、真正面から向き合う。
一人は、人間。
一人は、魔王軍三大将。
この対峙が、
王都防衛戦の裏で起きたことを、
まだ誰も知らない。
だが確かに――
戦争の流れは、ここで一度、止まった。




