後方部隊損失の報
――後方部隊損失の報**
天幕の中は、静まり返っていた。
夜の帳が降りた戦域にあって、
この場所だけは異様なほど整然としている。
地図は正確に広げられ、魔導灯の光は必要最低限。
感情も、装飾も、無駄はない。
その中心に立つのが、
魔王軍第三大将・カイゼル=ロドゥスだった。
「……報告を続けろ」
低く、抑揚のない声。
跪く伝令兵の喉が、わずかに鳴った。
「後方処理部隊・第七、第九、第十一……
三個隊、連絡断絶」
カイゼル=ロドゥスは、
すぐには反応しなかった。
地図の上に置かれた指が、
ゆっくりと一つの街道をなぞる。
「断絶、という表現は不正確だ」
「……は?」
「通信不能、撤退失敗、全滅未確認。
それらを一括して“断絶”と呼ぶのは、
人間の言語だ」
天幕内の空気が、わずかに冷えた。
「正確に言え」
伝令兵は、息を整え直す。
「……はい。
魔力反応、消失。
現地には、戦闘痕。
後方処理部隊は、戦闘を強いられた形跡があります」
その言葉で、
カイゼル=ロドゥスの指が止まった。
「……戦闘?」
「はい。
斬撃痕は人間の剣。
踏み荒らしは、騎兵規模」
「規模推定」
「……五百前後」
その瞬間、
天幕の中に、完全な沈黙が落ちた。
だが、それは驚愕ではない。
カイゼル=ロドゥスは、
一度、ゆっくりと目を閉じただけだった。
「……勇者ではないな」
「はい。
勇者は南部戦線に拘束中。
位置も一致しません」
「南方諸侯軍の残存か?」
「迎撃軍はすでに壊滅、
散発的抵抗はあれど、
部隊行動を取れる規模ではありません」
「……別口、か」
その言葉には、
苛立ちも、怒りもない。
ただ、
帳簿に存在しなかった数字を見つけた
経理官のような口調だった。
「若い」
カイゼル=ロドゥスは、独り言のように言った。
「判断が早く、無駄を恐れない。
だが、決定的に“戦争全体”を見ていない」
副官が、慎重に口を開く。
「……危険視すべき存在でしょうか」
「いいや」
即答だった。
「危険ではない」
副官は、一瞬だけ戸惑う。
「では――」
「問題なのは、
“彼が勝った”ことではない」
カイゼル=ロドゥスは、地図上の一点を黒く塗った。
「彼が、後方を戦場にしたことだ」
それは、
魔王軍にとって初めての事態だった。
後方は、
処理される場所であって、
戦う場所ではない。
「……対処は?」
「変更は不要」
淡々とした声。
「勇者回避。
主力進軍。
別ルート侵攻。
全て、予定通りだ」
副官が、わずかに眉をひそめる。
「後方処理部隊は?」
「編成を変える」
カイゼル=ロドゥスは言った。
「今後、後方部隊も
“戦闘を想定した存在”として扱え」
「……騎兵に?」
「いや」
彼は首を振る。
「誘導用だ」
副官は、理解した。
五百の騎兵が、
後方を荒らし、
人間を救うために走る。
ならば、
その進路は、ほぼ確実に――
「勇者の戦場へ、ですね」
「そうだ」
カイゼル=ロドゥスは、
初めて地図から目を上げた。
「彼らは、
“戦場がそこにしかない”と誤認している」
「ならば、そこへ戻してやる」
その声は、どこまでも静かだった。
「魔王軍は、
戦争を急いでいない」
「人間が、
自分から正しい場所へ集まるなら、
それを拒む理由もない」
伝令兵が、恐る恐る問う。
「……魔王様への報告は?」
「上げろ」
「内容は?」
カイゼル=ロドゥスは、
少しだけ考え、答えた。
「後方処理部隊、損失あり」
「原因:人間の局地行動」
「影響:軽微」
それだけだった。
天幕の外では、
魔王軍主力が、
音もなく前進を続けている。
五百の騎兵が戦場を走ろうとも、
戦争そのものは、
まだ――
彼の掌の中にあった。




