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勝利の中の敗北


剣を抜くたび、確かな手応えがあった。


斬れば倒れる。

突けば崩れる。

魔族の血は、重く、熱く、地面に吸い込まれていく。


――勝っている。


それは、否定しようのない事実だった。


「右、三体!」


剣聖の声に応え、勇者は身体をひねる。

踏み込み、横薙ぎ。

二体が同時に崩れ、残る一体は剣聖が断った。


「後方、魔導反応!」


聖女の警告と同時に、光が走る。

魔術が打ち消され、敵の魔導士が喉を押さえて倒れる。


完璧だった。

連携も、判断も、速度も。


「……よし」


勇者は、短く息を吐いた。


周囲には、魔族の死体が積み上がっている。

数え切れない。

百は超えているだろう。


南方諸侯軍の残兵たちが、遠巻きにその光景を見ていた。

恐怖と、畏怖と、かすかな希望。


「勇者様がいれば……」


誰かが、そう呟いた。


勇者は、聞いてしまった。


胸の奥が、僅かに痛む。


(……違う)


否定の言葉は、声にならなかった。


「前線、静かになりました」


剣聖が、周囲を警戒しながら言う。


「斥候も、いない」


「……逃げたのか」


「いや」


剣聖は、首を横に振った。


「進んだ」


その言葉に、勇者は顔を上げた。


視線の先。

丘の向こう。


黒煙が、立ち上っている。


「あれは……」


聖女が、息を呑む。


「……町の方角です」


その瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。


(……そうか)


剣を握る手が、わずかに緩む。


「ここで、これだけ倒しても……」


勇者は、呟いた。


敵は、こちらと戦っていない。

こちらを避けて、進んでいる。


「……俺たちは」


言葉が、続かない。


戦果は、ある。

確実に、魔族を殲滅している。


だが――


「……戦場が、違う」


勇者は、理解してしまった。


自分たちは、主戦場に立っていない。


ここは、敵にとっての“余白”。

削り役を置き、注意を引き、

本隊が通過するための空間。


「……勝っているのに」


勇者は、空を仰いだ。


「……負けている」


その言葉は、誰に向けたものでもなかった。


「勇者様……」


聖女が、近づいてくる。


「回復は、間に合っています。

 まだ、戦えます」


「……分かっている」


勇者は、彼女を見なかった。


「問題は……戦えるかどうかじゃない」


剣を下ろし、地面に突き立てる。


「……ここで、どれだけ倒しても」


勇者は、静かに言った。


「守れないものが、ある」


南方諸侯軍の兵が、恐る恐る近づいてくる。


「勇者様……次の命令を……」


その声には、期待があった。

まだ、信じている。


勇者は、その目を見てしまった。


(……言えない)


ここで「勝っている」とは、言えない。

ここで「大丈夫だ」とは、言えない。


「……撤退準備を」


勇者は、低く命じた。


「負傷者を優先。

 固まらず、散開して下がれ」


「で、ですが……敵は!」


「……来ない」


勇者は、断言した。


その言葉の意味を、

兵たちは理解できない。


だが、事実だった。


敵は、もうここに用はない。


「……勇者」


剣聖が、勇者の隣に立つ。


「俺たちは、最善を尽くしている」


「……ああ」


勇者は、答えた。


「でも、それが……

 正解とは限らない」


遠くで、さらに黒煙が上がる。

一つ。

また一つ。


町が、落ちている。


「……王都は」


勇者は、歯を食いしばる。


「これを、どう報告する……?」


魔族を倒した数か。

戦線を維持した時間か。


どれも、意味がない。


「……俺は」


勇者は、剣の柄を強く握った。


「“勝っている”という報告で、

 何かを失わせている」


それが、何なのかは分かっている。


信頼だ。

時間だ。

そして――

国そのものだ。


夕暮れが、戦場を覆う。


勝利の光は、どこにもない。


あるのは、

戦果の山と、失われ続ける地図だけだった。


勇者は、背を向けて歩き出す。


戦いながら、

負け続けているという現実を、

ようやく――

完全に理解してしまった夜だった。


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