表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/56

民を説得できない

 城壁の上から見下ろす町は、いつもと同じように見えた。


 朝の市場は開かれ、焼きたてのパンの匂いが漂い、子どもたちの笑い声が細い路地に反響している。

 平穏だ。少なくとも、表面上は。


 ――だが、その平穏が、どれほど脆いものかを、アレインは知っていた。


 彼は城壁の手すりに手を置いたまま、しばらく動かなかった。

 指先に伝わる石の冷たさが、現実感を強くさせる。


「……説得、か」


 喉から漏れた声は、独り言にもならないほど小さい。


 王都からの使者が去ったのは、昨日の夕刻だ。

 詰問ではあったが、剣は抜かれなかった。

 問いただされ、忠誠を確認され、そして――何も解決しないまま帰っていった。


 アレインは、民を集めて話すべきだと考えた。

 反乱の意思はない。

 王国に刃向かえば、より多くの血が流れる。


 それを、伝えなければならない。


 だが――。


「……どうやって?」


 彼は自分に問いかけ、答えを出せずにいた。


 町民たちは、彼を信じている。

 それは疑いようのない事実だった。


 魔族の侵攻。

 王国軍の撤退。

 支援の削減。

 それでも町が生き延びたのは、誰の指揮によるものか。


 誰が前線に立ち、誰が魔法を放ち、誰が傷つきながらも退かなかったのか。


 ――すべて、アレインだ。


 彼自身が望んだ形ではない。

 だが結果として、民の視線は王都ではなく、彼に集まってしまった。


 評議会の間で、重苦しい沈黙が流れる。


「……伯爵」


 最初に口を開いたのは、古参の町兵長ロウガだった。

 白髪混じりの男は、アレインを真っ直ぐに見つめている。


「民の不安は、日に日に強まっています」


「分かっている」


 短く答える。


「王都が支援を削った以上、

 次は討伐軍が来るのではないかと……」


 その言葉に、アレインは視線を伏せた。


 それを否定できない自分が、ここにいる。


「だが、だからといって反乱など――」


「分かっています!」


 ロウガの声が、思わず強くなる。


「伯爵が反乱を望んでいないことは、皆、分かっています!

 ……ですが」


 言葉が、続かない。


 別の評議員――若い商人の男が、絞り出すように言った。


「民は、もう王都を信じていません」


 その一言が、重く突き刺さった。


「信じているのは、伯爵だけです」


 アレインは、息を呑んだ。


 それは、忠誠の言葉であり、同時に呪いだった。


「伯爵が『従え』と言えば、従うでしょう。

 『戦え』と言えば……」


 誰も続きを言わなかった。


 言う必要がなかったからだ。


 評議会が終わった後、アレインは町を歩いた。

 護衛はつけなかった。


 通りすがりの民が、頭を下げる。

 感謝の言葉を投げかける。

 期待と信頼が、視線となって突き刺さる。


「伯爵様がいれば大丈夫です」


「王都なんかに、負けませんよね」


 その一つ一つが、胸を締めつけた。


 彼らは知らない。

 自分がどれほど綱渡りをしているかを。

 王都が、すでにこちらを“危険”と見なしていることを。


 夜、執務室で一人になる。


 机の上には、王都からの通達。

 支援削減の正式文書。


「……民を、説得する」


 そう決めていたはずだった。


 だが、今は分かる。


 説得すればするほど、

 民は「伯爵が我々を守ろうとしている」と受け取る。


 従属を説けば、

 「伯爵が苦しんでいる」と感じる。


 どんな言葉を選んでも、

 彼らはアレインの側に立つ。


 ――それが、最も危険だった。


「……詰んでいるな」


 誰に聞かせるでもなく、呟いた。


 民を守るために戦ってきた。

 その結果、民を守るために王国と対立する位置に立たされる。


 選択肢は、ない。


 反乱すれば、民は死ぬ。

 従えば、やはり民は死ぬ。


 どちらに転んでも、犠牲は出る。


 アレインは、額に手を当てた。


「……俺は、何を守ってきた?」


 答えは出ない。


 ただ一つ確かなのは――

 言葉だけで、この状況を収めることは、もうできないということだった。


 外では、夜警の鐘が鳴っている。


 グランデールは、まだ眠っている。


 その眠りが、いつまで続くのか。

 それを知っているのは、アレインだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ