教会の反応
聖教会の大聖堂には、夜でも人がいた。
祈る者。記録する者。沈黙を守る者。
だがその夜、中央祭壇に集められた者たちは、誰一人として祈ってはいなかった。
蝋燭の火が、静かに揺れている。
その光が照らすのは、白い大理石の床と、長机の上に置かれた一通の書簡。
王都印。
公式文書。
「……“偶然ではないと認める”」
聖教会最高位の一人、大司教エル=カリストは、その一文を低く読み上げた。
声は震えていない。だが、重さがあった。
「王都が、ようやくですか」
若い司祭が、息を詰めるように言った。
「遅すぎる」
別の老司教が、短く断じる。
教会は、最初から“知っていた”。
勇者の警告。
北方公爵家の沈黙。
そして、グランデール旧領から伸びる、消失の道筋。
それらは、最悪の形で整合していた。
「被害は、どこまで?」
「確認されているだけで、十を超えます。
小領、交易町、男爵領……」
司祭が、言葉を詰まらせる。
「……信徒名簿が、追いついていません」
その一言が、場を沈黙させた。
信徒名簿。
それは、教会にとって“数字以上のもの”だ。
名前。家族。祈りの履歴。洗礼の日。
それが、まとめて途切れている。
「……奇跡は?」
誰かが、すがるように問う。
大司教は、首を横に振った。
「報告は、ありません。
癒やしも、聖域も、意味を成していない」
聖属性が、機能していない。
それは、決定的だった。
「……アンデッド、なのですか?」
「違う」
エル=カリストは、ゆっくりと言った。
「アンデッドであれば、まだ救いはある」
アンデッドは、異常だが、分類できる。
浄化できる。
対処できる。
「これは……」
言葉を選び、続ける。
「死が、信仰を拒んでいる」
その表現に、司祭たちが息を呑む。
祈りが届かない。
聖句が意味を持たない。
祝福が、跳ね返される。
「……魔王軍は?」
「距離を取っています」
その報告に、誰も驚かなかった。
「でしょうね」
老司教が、目を閉じる。
「魔王軍が手を出さない存在……
それが、何を意味するか」
誰もが理解していた。
教会の沈黙は、これまで“保留”だった。
だが、この夜、それは覚悟に変わった。
「……聖女は」
その名が出た瞬間、空気が張り詰める。
「リーナは、既に察しています」
司祭が答える。
「まだ、現地を見ていないにもかかわらず……
“もう止められない”と」
エル=カリストは、深く頷いた。
「見なくても分かる段階に来た、ということです」
教会が頼ってきたのは、
奇跡。
祈り。
選ばれし者。
だが、今回の“それ”は――
選ばれてなどいない。
ただ、残された結果として、そこにいる。
「……王都は、我々に何を求めている?」
「調査協力と、公式声明です」
「公式声明、か……」
エル=カリストは、しばらく黙り込んだ後、言った。
「出さない」
即断だった。
「教会が声明を出した瞬間、
人々は“神が認めた脅威”と理解する」
それは、恐慌を招く。
「……では?」
「沈黙を続ける」
それは、逃げではない。
「これは、神の領分を越えている」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
祈りが通じない相手に、
教会ができることは、もはや限られている。
「……覚悟を決めましょう」
エル=カリストは、静かに言った。
「これは、災厄です。
英雄でも、魔王でもない」
名前を与えることすら、危険だ。
「聖女には、どう伝えます?」
「……正直に」
大司教は、目を閉じた。
「“神でも止められない可能性がある”と」
その夜、教会は祈らなかった。
祈りが、意味を持たないと知ってしまったからだ。
代わりに、記録を整理し、名簿を閉じ、
来るべき終わりに備え始めた。
王都が“偶然ではない”と認めたその時、
教会は一歩先で、こう結論づけていた。
――もう、始まってしまった。
止める段階は、
すでに、過去にある。




