魔王への報告
魔王城は、夜を必要としない。
天井のない大広間には常に赤黒い魔力の雲が漂い、光源はそれ自体が発している。昼夜の区別はなく、時は議題によってのみ区切られる。
その日、招集されたのは軍務会議ではなかった。
外務・情報・軍政の合同評議。
それ自体が、事態の異常さを示している。
円卓の中央に立つのは、魔王軍第六軍団・外務統括官
ゼルヴァ・アル=ディオス。
彼は、膝をつくことも、頭を垂れることもなかった。
それは無礼ではない。
彼の地位が、それを許されている。
「――以上が、ラグナート男爵領における接触の全記録です」
ゼルヴァの前には、魔導映像が展開されている。
焼け落ちていない城。
沈黙するアンデッド。
そして、玉座の前に立つ一人の存在。
映像が消えると、しばし沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのは、軍政官だった。
「……五万規模の人間領を単独で消滅させた、だと?」
「はい。領軍を含め、生存者は確認されていません」
「それは……通常のアンデッド使役では説明がつかん」
情報局の上級魔族が、低く唸る。
「術式は?」
「確認できません。魔法陣、詠唱、媒介――いずれも使用されていない」
その言葉に、場の空気がわずかにざわついた。
「つまり……」
誰かが、言葉を選びながら続ける。
「自然発生的に統率されたアンデッド軍ということか?」
「近いですが、正確ではありません」
ゼルヴァは、淡々と否定した。
「統率されているというより――
彼を中心に、勝手に揃っている」
その表現は、魔王軍の常識から逸脱していた。
「従属交渉は?」
別の声が問う。
「失敗しました」
即答だった。
「拒否、か?」
「……拒否という概念自体が、通じていません」
ゼルヴァは、少しだけ言葉を探した。
「彼は、我々の提案を“理解”していない」
「理解していない?」
「はい。地位、命令、指揮系統、支配領域……
そうした概念が、彼の判断基準に存在しません」
ざわめきが、今度は明確に広がった。
「では何を基準に?」
ゼルヴァは、一瞬だけ目を伏せた。
「……憎悪です」
静まり返る。
「王国への、純度の高い憎悪。
それ以外の要素は、すべて副次的です」
「魔王軍への敵意は?」
「ありません。興味も、恐怖も」
それは、敵視よりも厄介な反応だった。
「……つまり」
軍務卿が、重々しく口を開く。
「彼は、我らを“通過点”としてすら認識していない」
「その通りです」
ゼルヴァは、はっきりと肯定した。
「彼の進行方向に、王国があります。
その途中に、我々が立つかどうか――
それだけです」
誰かが、苦笑した。
「魔王軍が、地形扱いされるとはな」
だが、笑いは続かなかった。
「危険度は?」
「……測定不能」
ゼルヴァは、正直に言った。
「彼は軍を率いていません。
ですが、彼の存在が軍を生みます」
「ならば、排除は?」
「推奨しません」
即答だった。
「理由を述べよ」
「接触時、彼は戦闘行動を取っていません。
ですが、護衛の上級魔族が、
“生き延びられる確率”を瞬時に計算し、後退しました」
その一言で、空気が変わる。
「……それほどか」
「はい。
少なくとも、通常の軍団をぶつければ、
“勝敗以前に、意味を失う”と判断しました」
沈黙。
魔王軍は、強大だ。
だがそれは、戦争の論理が通じる相手に対してである。
「結論を述べます」
ゼルヴァは、最後に言った。
「アレインは、我々の同盟者にも、部下にもなりません」
「敵か?」
「現時点では……いいえ」
「では何だ?」
ゼルヴァは、はっきりと答えた。
「災厄予備軍です」
誰も、否定しなかった。
「我々ができるのは、三つだけです」
指を一本ずつ立てる。
「第一、彼の進行方向から、魔王軍を退かせる」
二本目。
「第二、彼が王国を破壊する間、
“触れない”という選択を維持する」
三本目。
「第三――
彼が魔王軍に向いた瞬間に備え、
犠牲覚悟で止める準備をする」
「……厄介だな」
誰かが呟いた。
ゼルヴァは、静かに頷いた。
「はい。
ですが、これが現実です」
会議は、それ以上続かなかった。
結論は、すでに出ている。
魔王軍は、初めて――
世界を壊す“別の力”を前に、様子見を選んだ。
ゼルヴァは、退出する前に、最後に一言だけ残した。
「……彼は、まだ“始まったばかり”です」
それが、どれほど重い言葉か。
その場にいた全員が、理解していた。




