王都は処理中と判断
王都の政務庁舎は、今日も滞りなく機能していた。
白い石造りの建物の中、執務机には書類が整然と積まれ、廊下には急ぎ足の官吏が行き交う。南区が焼け落ちた痕跡は、すでに外壁の外へと押し出され、ここでは「復旧計画」と「予算配分」という言葉に置き換えられていた。
そんな中で、ラグナート男爵領に関する報告書は、三つの部署をたらい回しにされていた。
最初の書類は、地方監察局から提出された簡易報告だった。
――エルムハイン交易町、連絡不能。
――男爵自ら討伐に出立、帰還せず。
それ自体は、珍しい話ではない。地方ではよくある。魔族残党、盗賊団、疫病。王都は、それらをすべて「地方案件」として分類する。
問題は、その次だった。
「……領都も、ですか?」
若い官吏が、困惑した声を漏らす。
「正確には、“状況不明”だ」
上官は淡々と答えた。
ラグナート男爵領は、決して小さな領地ではない。
領都は人口およそ二万。周辺の農村と町を合わせれば、五万近い民を抱えている。街道を押さえる要衝であり、王都への穀物供給の一部も担っていた。
男爵家も、由緒は浅いが忠実だった。
代々、中央に逆らわず、税を滞納せず、軍役も果たす。目立たないが、王国にとって「都合のいい」家だった。
だからこそ、報告は扱いづらかった。
「領軍が全滅した、という記述がありますが……」
「“全滅”は言い過ぎだろう」
上官は書類を指で叩く。
「地方の混乱期には、誇張が混じる。確認が取れるまで保留だ」
確認。
その言葉が、すべてを止めた。
次に提出されたのは、周辺領からの断片的な急報だった。
――夜間に不審な集団が移動。
――ラグナート領から難民が来ない。
――街道が途絶。
だが、それらは「証拠不足」として束ねられ、別の箱に入れられた。
「被害数は?」
「……推定では、領軍百七十、領都住民二万前後」
その数字を口にした官吏自身が、眉をひそめた。
「推定、です。実数ではありません」
「なら、書類には“未確定”と記す」
机の上で、現実が削られていく。
男爵家についての扱いも、同様だった。
「ラグナート男爵の安否は?」
「戦死、もしくは行方不明」
「断定は?」
「できません」
「なら、“消息不明”だ」
男爵家当主、戦死。
その一文が書かれれば、継承問題が発生する。領地の管理責任が生じ、王都が動かねばならない。だから、その言葉は避けられた。
「代理統治は?」
「現地から要請がありません」
「なら、不要だ」
誰も、「要請できる者がもういない可能性」を口にしない。
会議は、淡々と進む。
王都は、忙しい。
魔族の動向、南区の復興、勇者の処遇、北方公爵家の沈黙。
その中で、一地方男爵領の“消失疑惑”は、優先順位が低かった。
最終的に決まった処理は、こうだ。
――ラグナート男爵領:状況確認中。
――被害規模:未確定。
――軍損耗:調査待ち。
――領主:消息不明。
それ以上でも、それ以下でもない。
書類は束ねられ、封がされ、棚に収められた。
それで、この件は「片付いた」ことになる。
だが、現実では――
一つの男爵領が、完全に消えている。
都市は陥落し、人口は途絶え、男爵家は断絶し、土地には死者しか残っていない。だが、それを正確に認識している者は、王都にはいなかった。
「次の議題に移ります」
議長の声で、会議は続く。
王国は、まだ自分が何を失ったのかを知らない。
いや、知ろうとしていない。
ラグナート男爵領は、この日をもって、
書類の上でだけ、存在し続けることになった。
そしてその“処理”こそが、
次の破滅を呼び込む最初の一行だった。




