表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/140

男爵領

ラグナート男爵領の領都は、交易町エルムハインよりもはるかに大きかった。

石造りの城壁に囲まれ、中央には男爵家の居城がそびえ、常備兵も抱えている。地方領としては十分な規模であり、魔物や盗賊の襲撃に屈したことはない。領都の住民も、それを誇りにしていた。


だが、その日、城の玉座は空だった。


男爵は討伐のため領軍を率いて出立し、戻っていない。

代行する者はいた。家宰、騎士団長、文官たち。だが、決定権を持つ者はいない。彼らは互いに責任を押し付け合い、最終判断を先延ばしにしていた。


「エルムハインが……連絡不能です」


「男爵様の部隊も、戻っていない」


報告は、断片的に届く。

だが、それを繋げて考える者はいなかった。


「魔族の残党だろう」

「討伐軍が遅れているだけだ」

「王都に使者を送れ」


その間にも、異変は進んでいた。


領都の外縁部、墓地の地面が、夜半に膨らみ始める。

古い戦没者の埋葬地。疫病でまとめて葬られた区画。かつての反乱の死者たち。忘れ去られていた場所から、静かに、しかし確実に、死が立ち上がる。


最初に気づいたのは、夜警だった。


「……なんだ、あれは」


月明かりの下、城壁の外を歩く影。

数は少ない。

だが、動きが不自然だ。


警鐘が鳴る前に、第一の門が内側から開いた。

理由は単純だった。門番が、すでに死んでいたからだ。


アンデッドは、戦術を知らない。

だが、流れを止めない。


門が開く。

影が流れ込む。

路地へ、広場へ、居住区へ。


領都の常備兵は応戦した。訓練も受けている。聖印もある。初動だけは、成功した。数十体を倒し、進軍を止めたかに見えた。


だが、その時点で、すでに遅かった。


「……後ろだ!」


背後から、同じ数が湧き上がる。

城壁の内側、地下水路、倉庫街。

守備側が「安全」と思い込んでいた場所から、次々と現れる。


「数が合わない……!」


騎士団長が叫ぶ。

斬っても、斬っても、減らない。

倒れた兵が、数分後には立ち上がる。


恐怖が、秩序を壊した。


住民は逃げ惑い、門へ殺到する。だが門はすでに突破されている。家々に立て籠もる者もいるが、アンデッドは扉を壊すことに躊躇しない。子どもの泣き声も、命乞いも、彼らには意味を持たない。


そして――

領都の中央広場に、彼が現れた。


アレインは、城門の影からゆっくりと歩み出た。

戦場の中心で、彼は浮いて見えた。

血に濡れてもいない。

息も乱れていない。


彼の存在に気づいた兵が、数名、突撃を試みる。

だが、近づく前に足が止まる。

理由は分からない。

ただ、本能が「近づくな」と叫ぶ。


(……ここは……)


アレインの意識に、領都全体が広がる。

人の数。

死の数。

恐怖の濃度。


(……グランデールではない……)


その認識が、彼の行動を決めていた。

迷いはない。

ためらいもない。


城への道を、アンデッドが開く。

城門は、抵抗する暇もなく破られた。


居城の中では、家宰と文官たちが最後の会議を開いていた。


「王都に、再度使者を――」


言葉は、途中で途切れる。

扉が、内側から押し倒された。


逃げる時間はなかった。


剣を持たぬ者も、武装した者も、同じように倒れ、同じように沈黙した。玉座の前で倒れた家宰の手には、未完成の書状が握られていた。


夜明け前、領都は陥落した。


鐘は鳴らなかった。

旗は、下ろされなかった。

ただ、人の営みだけが止まった。


城壁の上に立つアレインは、薄明の空を見上げる。

新たに生まれたアンデッドたちが、城下を満たしていく。


(……領主がいない……)


その事実が、静かに理解される。


(……王国は……空白を放置した……)


彼は、そこで初めて、わずかに感情の揺れを覚えた。

怒りではない。

哀れみでもない。


確信だった。


――この国は、自ら崩れる準備ができている。


ラグナート男爵領は、この夜をもって消えた。

だが、それを正確に把握できる者は、まだいない。


世界は、依然として沈黙している。


そして沈黙は、

アレインにとって、最も都合のいい味方だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ