王都会議
王城中枢会議室は、外の喧騒を完全に遮断するように厚い石壁に囲まれていたが、室内に満ちる空気は、南区の焼け跡よりも重く、息をするたびに肺の奥へ沈殿していくようだった。長卓の中央、玉座より一段低い位置に王が座し、その左右に宰相、軍務卿、財務卿、外務卿が並び、さらに後方には魔導士団代表と王都防衛の責任者たちが控えている。その壁際に、勇者レオン・アルヴァンは立っていた。発言権はない。ただそこに立つこと自体が、この会議の重心であるかのように。
「……では、改めて整理しよう」
宰相の声は冷静だった。王都襲撃から半日も経っていないというのに、感情を排した言葉遣いは、この男がどれほど多くの災厄を処理してきたかを物語っている。
「魔族は撤退した。王都は落ちなかった。勇者は帰還し、被害は最小限――とは言えないが、最悪は免れた」
その「最悪」という言葉に、誰も頷かなかった。南区の惨状を思えば、それを最悪でないと言い切れる者はいない。
「だが問題は、その“間”だ」
宰相の視線が、資料の端ではなく、会議室の空気そのものを切り裂くように向けられる。
「北方公爵家が、一切動いていない」
その一言が落ちた瞬間、はっきりとした沈黙が生まれた。誰かが息を吸い、誰かがそれを止める。その程度の音すら、やけに大きく感じられるほどの静けさだった。北方公爵家――王国最古の貴族の一角であり、代々北境を預かり、魔族や蛮族の侵入を食い止めてきた防波堤。王国軍の主力が前線に出払っている今、即応可能な最大戦力を有する存在。その北が、王都が炎に包まれた夜、沈黙を保った。
「伝令は届いています」
外務卿が淡々と告げる。
「魔導通信による緊急連絡は、王都襲撃の発生から間もなく送られ、受信確認も取れている。北が知らなかった、という線はありません」
「ならば、なぜ動かない?」
軍務卿の声には、抑えきれない苛立ちが混じった。
「北が兵を動かせば、魔族は王都に踏み込む前に叩けたはずだ。あるいは、せめて圧力をかけることはできた」
「北境防衛を優先した可能性は?」
財務卿が、慎重に言葉を挟む。
「魔族の本命が北だと見て、王都は囮だと判断した――そう考えれば、理屈としては成立します」
確かに、その推測は合理的だった。王都襲撃が陽動である可能性は、軍事的に否定できない。だが、その説明に頷く者はいなかった。
「それならば、なおさら報告があるはずだ」
魔導士団代表が低く言う。
「北境での戦闘、異変、あるいは警戒態勢の強化。どんな些細な情報でもいい。だが、北からは何も来ていない」
沈黙が、再び会議室を満たす。
「……静かすぎる」
誰かの呟きが、床に落ちる。
その時まで黙っていた王が、ゆっくりと口を開いた。
「北方公爵は、寡黙な男だ」
その一言で、全員の背筋が伸びる。
「軽々しく発言せず、軽々しく動かない。だが、動くべき時を誤る男ではない」
その言葉が意味するところを、誰もが理解していた。動かないのではない。動けないのではないか。あるいは――動く必要がないと判断しているのではないか。
「何かを……掴んでいる、ということですか」
宰相が、慎重に問いかける。
王は答えなかった。だが、その沈黙が、最悪の可能性を肯定していた。
壁際に立つレオンは、そのやり取りを黙って聞いていた。だが、胸の奥では、別の確信が静かに形を成しつつあった。自分が森で対峙した存在。追わず、止めず、ただ待っていた沈黙。その異質さ。その圧倒的な理解の深さ。
(……北は……知っている……)
もし、北方公爵家が、あれを“理解した”のだとしたら。王国よりも先に、答えに辿り着いたのだとしたら。だからこそ、動かない。
「現時点で、北を咎める材料はない」
宰相が、会議の結論をまとめる。
「援軍要請は継続する。だが、強制はしない」
それは、政治的な敗北だった。王都は焼かれたが、王国は北に強く出ることができない。
「では……」
軍務卿が、歯噛みする。
「このまま、勇者を王都に縛り付けるしかないのか」
王は答えなかった。その沈黙が、次の不安を生む。北の沈黙。教会の歯切れの悪さ。勇者が勝てなかった存在。それらはまだ一本の線にはなっていないが、確実に同じ方向を指している。会議は結論を出せないまま終わり、王都はまだ立っているにもかかわらず、その中心にあるはずの意思決定は、すでに大きく揺らぎ始めていた。そして北の沈黙は、この国にとって、最も不吉な答えになりつつあった。




