急報
通信の魔導具が、狂ったように震えていた。
レオン・アルヴァンは、倒れ伏した体勢のまま、それを見つめていた。
耳鳴りがひどく、視界の端が暗い。
それでも、その震えがただ事ではないことだけは、はっきりと分かる。
(……王都……)
指先に力を込め、魔導具を掴む。
触れた瞬間、魔力の波が逆流するように流れ込み、脳裏に断片的な映像が叩きつけられた。
炎。
悲鳴。
瓦礫。
そして――魔族の気配。
「……っ……!」
声にならない呻きが漏れる。
通信は、完全な報告ではなかった。
文脈も、整理もない。
ただ、感情と恐怖だけが、切れ切れに流れ込んでくる。
《……王都南区……魔族……確認……》
《……迎撃部隊……壊滅……》
《……数が……想定を……》
途切れる通信。
ノイズ。
そして、決定的な一文。
《……勇者……即時帰還を……》
――撤退命令。
その言葉が、レオンの胸を強く打った。
(……この、タイミングで……)
視線を上げる。
目の前には、まだアレインがいる。
剣を下げ、
何も語らず、
だが、すべてを見通すように。
この存在を前にして、
王都へ戻れと告げられる現実。
(……俺は……)
勇者は、王国の切り札だ。
それは、理解している。
王都が襲われれば、戻るのが当然だ。
だが――
(……ここを……放置して……いいのか……)
問いが、胸を締めつける。
アレインは、動かない。
だが、逃げもしない。
ここにいる。
待っている。
それが、
どれほどの意味を持つのか――
レオンは、もう理解してしまっている。
(……王都を守れば……
この存在は……消えるわけじゃない……)
むしろ、
放置した代償は、後で必ず回ってくる。
通信の魔導具が、再び震える。
今度は、はっきりとした声だった。
《……レオン……聞こえるか……》
剣聖カイルの声。
《……状況は……最悪だ……》
《……魔族の数が……異常だ……》
《……王都防衛が……崩れる……》
聖女リーナの声が、重なる。
《……お願い……戻って……》
《……今の王都は……勇者なしでは……》
その声は、祈りではなかった。
懇願だった。
レオンは、歯を食いしばる。
(……分かっている……)
勇者としての役割。
王国が自分に求めているもの。
それらは、すべて理解している。
だが――
視線が、再びアレインへ向かう。
その存在は、
まるで、すべてを知った上で立っているようだった。
王都が襲われることも。
勇者が戻らなければならないことも。
そして――
それでも、ここを離れることができない理由があることも。
(……俺は……)
一瞬、剣を握り直す。
ここで、全力でぶつかれば、
何かが変わるかもしれない。
だが、
それは“勇者の判断”ではない。
“個人の感情”だ。
通信が、最後の言葉を告げる。
《……レオン……》
《……これは……命令だ……》
その一言で、
全てが終わった。
レオンは、目を閉じる。
勇者とは、
選ばれる存在ではない。
選ばされる存在だ。
目を開く。
アレインと、視線が交わる。
言葉はない。
だが、確かに、理解が交錯した。
――逃げるのか。
――戻るのか。
――それでも、ここは消えない。
アレインは、追わない。
止めもしない。
ただ、
待つ。
それが、
何よりも残酷だった。
レオンは、剣を収めた。
「……必ず……戻る……」
声に出したのは、
自分自身のためだった。
背を向ける。
一歩、踏み出す。
背中に、
圧倒的な視線を感じながら。
撤退。
それは、敗走ではない。
だが――
この瞬間、勇者は確かに“負けた”。
戦いにではない。
選択に。
王都へ向かう道の途中、
レオンの胸には、
消えない感覚が残っていた。
(……終わっていない……)
この戦いは、
中断されたに過ぎない。
そして――
次に剣を交える時、
もっと重い代償が待っている。
それだけは、
確信していた。




