攻防
剣を構えたまま、レオン・アルヴァンは呼吸を整えようとした。
だが、整わない。
肺に空気は入っている。
心臓も、まだ規則正しく動いている。
それなのに、体の内側が、静かに削られていく感覚だけが消えなかった。
(……長く……持たない……)
理解は、すでに始まっている。
だが、理解したところで、状況は何も変わらない。
目の前に立つアレインは、相変わらず動かない。
剣を下げ、無防備に見える姿勢のまま。
それでも、こちらから踏み込めば、必ず“そこにいる”。
距離という概念が、意味を失っている。
レオンは、再び踏み込んだ。
今度は迷いを切り捨てる。
剣筋を最短にし、殺意を排する。
技だけを、純粋に叩き込む。
――だが。
剣は、届かない。
正確には、
「当たっているのに、結果が生まれない」。
刃が触れた瞬間、
まるで水面に剣を振り下ろしたように、感触が消える。
斬撃は、力として空間に拡散し、何も残さない。
(……防御……じゃない……)
盾も、鎧も、魔力障壁もない。
それなのに、攻撃が成立しない。
アレインが、一歩、前に出た。
それだけで、視界が揺らぐ。
重力が、狂う。
剣が振るわれる。
見えない。
聞こえない。
ただ、結果だけが現れる。
レオンの身体が、後方へ弾き飛ばされた。
受け身を取る。
地面を削りながら、なんとか体勢を立て直す。
「……っ……!」
歯を食いしばる。
痛みは、まだ我慢できる。
だが、それ以上に――
(……削られている……)
身体ではない。
精神だ。
剣を交えるたび、
自分の中の「前提」が壊されていく。
敵は倒せる。
敵は斬れる。
敵は理解できる。
そのすべてが、ここでは通用しない。
アレインの剣は、
勇者を“殺そう”としていない。
それなのに、
勇者という存在そのものを、否定してくる。
(……こいつは……俺を試している……)
いや、違う。
確認しているのだ。
王国が送り出した「勇者」という存在が、
どこまで人間なのかを。
レオンは、剣を構え直す。
腕が、微かに震えている。
恐怖ではない。
怒りでもない。
――空虚だ。
剣を振る理由が、見つからない。
アレインの視線が、こちらに向けられる。
目が合った、その瞬間。
胸の奥に、黒い感情が流れ込んできた。
怒り。
後悔。
憎悪。
執着。
それらが、言葉ではなく、
感覚として叩きつけられる。
(……これは……)
理解したくない。
だが、理解してしまう。
これは、王国が切り捨てた感情だ。
英雄に押し付け、
不要になった瞬間に処刑台へ送ったもの。
(……俺は……)
勇者は、王国の選択を背負っている。
その事実が、今になって、剣よりも重くのしかかる。
アレインが、再び踏み込む。
今度は、避けられない。
剣が、ぶつかる。
衝撃が、腕を痺れさせる。
だが、アレインの剣は、
深追いをしない。
追撃しない。
止めを刺さない。
ただ、
逃げられない位置に立ち続ける。
(……終わらせる気が……ない……)
レオンの背中に、冷たい汗が流れる。
勝てない。
だが、負けても終わらない。
この戦いは、
勇者にとって、
“結論の出ない問い”そのものだ。
剣を振るえば、
自分が壊れる。
剣を下ろせば、
王国が壊れる。
どちらを選んでも、
何かが終わる。
アレインの剣が、
再び振るわれる。
今度は、
レオンの頬を掠めた。
血が、一筋、流れる。
痛みは、遅れてやってきた。
(……生きている……)
その感覚だけが、
やけに鮮明だった。
アレインは、立ち止まった。
一瞬、
本当に一瞬だけ。
その場に、
**奇妙な“間”**が生まれる。
まるで、
「ここまでだ」と告げるように。
レオンは、剣を下げない。
だが、踏み込めない。
この場に、
答えはない。
あるのは、
次に来る“別の選択”だけだ。
遠く――
さらに遠く。
空気が、再び震え始める。
さきほど感じた異質な魔力が、
より明確に、より強く。
(……嫌な……予感がする……)
この戦いは、
まだ終わらない。
だが、
別の悲劇が、割り込もうとしていた。




