相談
王城から離れた臨時の拠点は、静かだった。
石造りの回廊は夜気を孕み、灯された魔導灯の光が、壁に長い影を落としている。
レオン・アルヴァンは、その影の中を歩いていた。
一歩ごとに、胸の奥が重くなる。
森で見たもの。
視認した存在。
そして――剣を抜けなかった自分。
(……逃げたわけじゃない……)
何度も、そう言い聞かせる。
だが、言葉は自分を納得させない。
扉の前で立ち止まり、深く息を吸った。
中には、二人がいる。
聖女リーナ。
そして――剣聖カイル。
この王国で、
「剣」と「祈り」の頂点に立つ者たちだ。
扉を叩くと、すぐに応答があった。
重い音を立てて開かれた扉の向こう、
簡素な部屋の中央で、二人はすでに待っていた。
リーナは椅子に腰掛け、両手を膝の上で組んでいる。
祈りを捧げる時と同じ姿勢だが、目は伏せられていた。
カイルは壁際に立ち、剣を背負ったまま、腕を組んでいる。
「……来たか」
剣聖の声は、短く、飾りがない。
レオンは一礼し、口を開く。
だが、言葉が出てこない。
代わりに、
沈黙が、全てを語った。
「……視認したのですね」
最初に口を開いたのは、リーナだった。
声は穏やかだが、その奥に、張りつめたものがある。
レオンは、ゆっくりと頷いた。
「……はい。
一度は遠くから。
そして……今度は、はっきりと」
リーナは目を閉じる。
まるで、答え合わせをするように。
「……祈りは、どうでしたか?」
その問いに、レオンは言葉を失う。
だが、正直に答えるしかない。
「……届いていませんでした。
魔力の拒絶ではない。
……“意味を持たなかった”」
リーナの肩が、微かに震えた。
「……そうですか……」
祈りが拒まれることはある。
だが、意味を持たない――
それは、聖女にとって、決定的な断絶を意味する。
「……彼は……」
レオンは、喉を鳴らした。
「……アレインです。
確かに、そうだと分かりました」
カイルが、初めて視線を向けた。
「……なるほどな」
感情のない声。
だが、その目は、鋭い。
「で、抜けなかったわけだ。剣」
レオンは、否定できなかった。
「……はい」
カイルは、鼻で息を吐く。
「当然だ」
その一言に、レオンは顔を上げる。
「……当然、ですか?」
「ああ」
剣聖は、一歩前に出た。
「剣ってのはな、
“斬れる相手”にしか、本当には振れねえ」
レオンは、息を呑む。
「敵だから斬る。
魔物だから斬る。
――それは、理由じゃねえ」
カイルの声は低い。
「自分の中で、
“斬っていい”と納得できる相手じゃなきゃ、
剣は鈍る」
レオンの胸が、締めつけられる。
「……彼は……」
「“敵”じゃない、と感じたんだろ」
否定できない。
「……はい」
リーナが、静かに口を開いた。
「……彼は、救済の枠にはいません」
その言葉は、祈りのようで、
同時に、宣告だった。
「生者でもなく、
死者でもなく、
神の裁定を待つ存在でもない」
レオンは、拳を握る。
「……では……どうすれば……」
リーナは、ゆっくりと首を振る。
「……分かりません」
その一言が、
何よりも重かった。
「聖女である私にも、
祈りで示される道はありません」
沈黙が落ちる。
カイルが、低く言った。
「だから言っただろ」
二人を見る。
「お前が決めろ、勇者」
「……俺が?」
「ああ」
剣聖は、真っ直ぐに言い切る。
「王国でも、
教会でも、
神でもない」
その言葉は、冷たい。
「お前自身の剣で、
“向き合う”かどうかを決めろ」
レオンは、目を伏せた。
向き合う。
討つ。
止める。
殺す。
どの言葉も、
アレインには、当てはまらない。
「……逃げれば?」
リーナの声が、微かに揺れる。
「彼は……待ち続けるでしょう」
レオンは、理解した。
逃げても終わらない。
保留しても終わらない。
「……戦うしか……ない……」
その言葉は、
決意ではなく、
受け入れだった。
カイルが、頷く。
「それでいい」
リーナは、目を閉じ、祈るように言った。
「……剣を抜く時、
どうか……あなた自身を失わないでください」
レオンは、深く息を吸う。
「……分かりました」
剣を抜く理由は、まだない。
だが――
向き合う覚悟だけは、
この夜、確かに生まれた




