広まる噂、揺れる忠誠
最初は、酒場だった。
昼下がり、木製の扉が開き、いつもの顔ぶれが集まる。
仕事を終えた町兵、荷運びの青年、畑帰りの農夫。
「……最近、物資が減ってるらしいな」
誰かが、何気なく口にした。
「らしい、じゃねえよ。矢の質、落ちてる」
町兵の一人が杯を置く。
「鍛冶場でも、鉄が回らねえって言ってた」
「王都が絞ってるんだろ?」
その言葉に、場が一瞬静まる。
「……理由は?」
「知らん。でも、俺たちより“優先されてる戦場”があるって話だ」
誰も否定しなかった。
理由が分からないこと自体が、不安を育てる。
*
翌日、市場。
野菜を並べる老婆が、客に囁く。
「王都からの塩、届くのが遅れてるんだって」
「え……」
「去年までは、こんなことなかったのにねぇ」
言葉は、決して声高ではない。
だが、それが余計に効いた。
“去年までは”
つまり――
アレインが伯爵になってから、何かが変わった。
そんな因果を、誰も明言しないまま、皆が感じ始めていた。
*
夕刻、城壁近くの訓練場。
木剣を振る子どもたちの中に、少年が一人混じっていた。
「ねえ、ロイス隊長」
十歳にも満たないその子は、町兵隊長を見上げる。
「ぼくたち、戦争になるの?」
ロイスは一瞬、言葉に詰まった。
「……どうして、そう思った?」
「お父さんが言ってた。
“王さまは、領主さまを嫌ってる”って」
その場にいた町兵たちが、硬直する。
子どもが知っている。
それはつまり、噂が“家庭”に入り込んだ証拠だった。
「そんなことはない」
ロイスは、できる限り穏やかに言った。
「領主さまは、王国の伯爵だ。
敵になる理由はない」
少年は納得したように頷く。
だが――
周囲の大人たちは、黙り込んだままだった。
*
夜。
アレインは、町を歩いていた。
護衛も連れず、外套だけを羽織って。
道端で、声が聞こえる。
「領主さまがいなかったら、もう終わってたよな」
「王都は、何もしてくれねえ」
「……だったら」
その先の言葉は、聞こえなかった。
いや、
聞かなくても分かってしまった。
アレインは足を止め、石畳を見つめる。
――まずい。
忠誠が、自分に向いている。
それは誇りでもあり、
同時に、刃でもある。
王国にとっては。
*
執務室。
報告書をまとめながら、アレインは思考を巡らせる。
噂は、抑え込めば逆効果だ。
否定すればするほど、「何かある」と思われる。
「……民は、俺を信じている」
それ自体は、救いだった。
だが――
信じすぎている。
王国への忠誠が揺れ、
代わりに自分が“拠り所”になり始めている。
それは、いつか必ず――
王都の目に、危険として映る。
アレインは、筆を止めた。
「時間が、ないな」
噂は、芽吹いた。
まだ小さいが、確実に根を張っている。
これ以上、沈黙が続けば――
誰かが、決定的な言葉を口にする。
それが、
“反乱”という単語でないことを、
彼は祈るしかなかった。




