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勇者の動き

北は、静かだった。


雪のない季節であっても、

北方公爵領の夜は、音を殺す。


風は低く、

城壁は厚く、

人の声は、必要以上に響かない。


ヴァルド・フォン・ノルディアは、書斎で書簡を読んでいた。


暖炉の火は、静かに燃えている。

揺らぎはあるが、暴れない。


――いつも通りの夜だ。


「……」


だが、

その書簡の文面だけが、異質だった。


王都より急報

勇者レオン、王命によらぬ再行動を開始

目的地:不明

同行者:少数

教会は沈黙


ヴァルドは、ゆっくりと書簡を畳んだ。


一度、目を閉じる。


「……来たか」


それだけを、呟いた。


怒りはない。

驚きもない。


予想通りだったからだ。


「父上」


側に控えていた青年が、声をかける。


セイン・フォン・ノルディア。

北方公爵家の嫡子。


まだ若いが、

その目は、軽くない。


「勇者が……命令違反を?」


「そう聞こえるな」


ヴァルドは、淡々と答えた。


「だが、“勝手に動いた”という表現は、

 王都側の都合だ」


「……?」


セインは、眉を寄せる。


「勇者は、

 “分かってしまった”だけだ」


ヴァルドは、暖炉を見つめたまま続ける。


「分からないものを、

 分からないままにできない人間は、

 必ず、そうする」


セインは、言葉を飲み込んだ。


「……教会が沈黙している、というのは」


「一番厄介な情報だ」


即答だった。


「教会が何も言わない時、

 それは“言えない”時だ」


北方公爵家は、

王都よりも、教会の沈黙を重く見る。


それは、長い歴史が教えてきた。


「……父上」


セインは、慎重に言う。


「王都は、この動きをどう捉えていますか」


「過剰反応だろうな」


ヴァルドは、皮肉も込めずに答えた。


「勇者の独断。

 英雄の暴走。

 あるいは、名声欲」


「……真逆ですね」


「ああ」


ヴァルドは、静かに頷いた。


「英雄が、名声を捨てる時は、

 たいてい……

 世界の方が、嘘をついている」


部屋に、沈黙が落ちる。


重いが、不快ではない。


北方では、

沈黙は“思考の時間”だ。


「……動きますか?」


セインが、問う。


「いいや」


ヴァルドは、首を振った。


「今、動けば――

 北は“勇者に与した”と見られる」


「それは……」


「王都は、まだ理解していない」


ヴァルドは、ゆっくりと立ち上がった。


書斎の奥。

古い棚の前に立つ。


鍵を外し、

一冊の古文書を引き出した。


「……これを、覚えているか」


セインは、息を呑んだ。


それは、

北方公爵家にのみ伝わる記録。


名を消された英雄の章。


「……アレイン」


小さく、名を口にした瞬間、

部屋の空気が、わずかに変わった。


「……その名を、軽々しく出すな」


ヴァルドの声は、低い。


怒っているわけではない。

畏れているのだ。


「勇者が“勝手に動いた”夜に、

 教会が沈黙し、

 この名が頭をよぎる」


ヴァルドは、本を閉じる。


「偶然ではない」


「……つまり」


セインは、言葉を探す。


「勇者は……

 その“続きを見に行った”と?」


「そうだ」


ヴァルドは、即答した。


「そして、王都は……

 その意味を理解しないまま、

 事態を切り分けた」


それは、

北方が最も恐れる選択だった。


「……父上」


セインの声が、僅かに揺れる。


「北は……どうしますか」


ヴァルドは、暖炉の火を見る。


揺らぎ。

だが、消えない。


「……沈黙する」


その言葉は、

命令でも、逃げでもない。


決断だった。


「今は、動かない。

 だが……備える」


「備える、とは」


「勇者が“戻れなくなった”時に」


ヴァルドは、振り返る。


「北が、

 “理解していた側”であるために」


セインは、深く息を吸った。


「……王都が、それを知ったら」


「知った時には、遅い」


ヴァルドは、静かに言った。


「だからこそ、

 北は、沈黙する」


その夜、

北方公爵家は、何も動かなかった。


兵は出ない。

使者も出ない。

声明もない。


だが――

城の奥では、静かに準備が始まっていた。


武器の点検。

古文書の再確認。

過去の“失敗”の洗い出し。


それは、

王国を守るためではない。


王国が、理解できなかった未来に備えるためだ。


ヴァルド・フォン・ノルディアは、窓の外を見る。


北の夜空は、澄んでいる。


(……勇者よ)


心の中で、呟く。


(……お前は、正しい)


だが、その正しさは――

この国では、いつも遅すぎる。


北の沈黙は、

賛同でも、拒絶でもない。


それは、

世界が再び歪むことを知っている者の、待機だった。


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