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確定と確信

聖都アウレリアの大聖堂は、夜になると音を失う。


信徒の足音も、祈りの声も消え、

残るのは高天井に溜まった空気と、燭台の微かな揺らぎだけ。


その最奥。

立ち入りを許される者が限られた文書院で、

老司祭エルディアは一人、机に向かっていた。


古文書が積まれている。

禁書指定されていないが、誰も進んで読みたがらない類の記録。


「……北が、沈黙した、か」


独白のように呟いた声は、石壁に吸われる。


手元の報告書には、簡潔な一文だけが記されていた。


――北方公爵家、動かず。

――王都への意見具申、なし。

――教会への問い合わせ、なし。


「……あの家が」


エルディアは、ゆっくりと目を閉じた。


北方公爵家ノルディア。

王国が最も古く、最も慎重で、最も“動かない”家。


あの家が沈黙する時。

それは、軽視している時ではない。


「……認めた、ということか」


誰に言うでもなく、そう呟く。


教会は、ずっと“可能性”として扱ってきた。

勇者の報告も、現地の消失も、説明不能な被害も。


だが――

北が沈黙したことで、それらは一つの線になった。


エルディアは、ゆっくりと古文書を開く。


頁の端は擦り切れ、

文字は古い神聖語で記されている。


《死してなお、意思を保つ者あり》

《怨嗟を核とし、名を捨て、王を呪う》

《その存在、生者にも死者にも属さず》


指が、次の行で止まった。


《条件、三つ》

《一、無念の死》

《二、名を奪われし英雄》

《三、国に捨てられし地への執着》


「……三つ目」


声が、僅かに震えた。


地への執着。

国ではない。

王でもない。

“守れなかった場所”への執着。


エルディアの脳裏に浮かぶ名。


――アレイン。


声に出さずとも、否定はできなかった。


処刑。

反乱者としての断罪。

名誉の剥奪。

記録からの削除。


条件は、すでに満たされている。


「……北は、それを見たのだな」


あるいは、

**見なくても“知ってしまった”**のか。


エルディアは、燭台の火を一つ消した。


闇が、文書院に広がる。


「……神よ」


祈りの言葉が、自然と口をついて出た。


だが、その祈りは――

願いではなかった。


「これは……もはや、止める段階ではない」


教会は、ずっと“兆候”として扱ってきた。

確定を避けてきた。


確定した瞬間、

教会は“責任”を負うからだ。


「……王都は、理解不能とした」


理解できない、ということは、

理解しようとしなかった、ということ。


「……勇者は」


エルディアは、報告書の別紙を見る。


撤退命令。

しかし、帰還していない。


「……彼は、もう見てしまっている」


見た者は、戻れない。


それが、古文書のもう一つの共通項だった。


エルディアは、静かに立ち上がる。


文書院の奥。

封印棚の前で、立ち止まった。


そこには、まだ開いていない巻がある。


《王を呪う者》

《国に仇なす影》

《名を呼んではならぬ存在》


――名を呼んではならぬ。


だが。


「……もう、遅いな」


北が沈黙した。

それは、“知っている者が増えた”ということ。


教会が沈黙し続ける意味は、もうない。


否定できない。

止められない。

封じても、広がる。


「……神よ」


今度の祈りは、明確だった。


「どうか――

 勇者に、覚悟を」


それは、救いを願う祈りではない。


対峙する者に、真実を受け入れる強さを与えよ

という、冷たい祈りだった。


燭台の最後の火が、揺らぐ。


その夜。

聖教会は、公式には何も発表しなかった。


だが、

最も古い司祭たちは、同じ結論に至っていた。


――これは、リッチだ。


――しかも、

――英雄の成れの果てだ。


そして何より、

北が沈黙した以上、もう隠し切れない。


夜は、静かに更けていった。


祈りは、もう届かないと知りながら。


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