確定
聖教会本殿の地下は、夜になるほど静まり返る。
祈りの声も、足音も、
この場所には届かない。
灯されているのは、最低限の魔導灯だけ。
光は弱く、壁一面に並ぶ古文書の影を、歪めて伸ばしていた。
「……以上が、王都から届いた最新の報告です」
司祭補佐の若者が、震えを必死に抑えながら告げる。
被害数――不明。
交戦記録――なし。
生存者――確認できず。
「“報告にならない”……」
老司祭の一人が、低く呟いた。
「ついに、その段階に来たか」
教会の上層部――
枢機司祭、古文書管理官、聖務院長。
その誰もが、声を発しなかった。
なぜなら、彼らは既に知っていたからだ。
(……これ以上、情報は要らない)
「確認します」
最も年若い枢機司祭が、静かに言った。
「現地で、死体は発見されていない」
「はい」
「血痕も、争った痕跡も?」
「……ほとんど」
「つまり――」
彼は、一度言葉を切った。
「“奪われた”のではなく、
“消えた”」
沈黙。
誰も反論しない。
反論できない。
古文書管理官が、ゆっくりと一冊の書を引き抜いた。
分厚く、表紙は擦り切れ、
封印用の紋章が薄く残っている。
「第三聖暦・異端記録集」
それは、公式には「存在しない」書だ。
「……該当箇所を」
ページが、めくられる。
乾いた音が、やけに大きく響いた。
「“リッチ発生時の兆候”」
誰かが、息を呑む。
「第一。
敵対行為の不在」
「第二。
死体の欠如」
「第三。
生存者が“意図的に残される”」
若い司祭が、思わず声を上げた。
「……待ってください。
生存者は、ほとんど確認されていないはずです」
古文書管理官は、首を横に振った。
「“ほとんど”だ」
そして、静かに言う。
「……一人、いる」
空気が、凍った。
「ただ一人だけ、生き残る。
だが、その理由は本人にも分からない」
「……それは」
枢機司祭が、言葉を探す。
「“観測者”」
古文書管理官は、淡々と続けた。
「リッチは、全てを滅ぼさない。
“伝える者”を一人だけ、必ず残す」
誰かが、震える声で言った。
「……なぜ」
「恐怖を、広げるためだ」
それは、推測ではない。
記録だ。
「……次」
聖務院長が、重く促す。
「“発生条件”を」
古文書管理官は、ページをめくった。
「第一条件。
極度の憎悪」
「第二条件。
理不尽な死」
「第三条件――」
一瞬、言葉が止まる。
「……強大な魔力」
誰もが、同じ名を思い浮かべた。
だが、誰も口にしない。
「そして、第四条件」
古文書管理官は、低く言った。
「名を奪われること」
沈黙。
処刑。
罪人としての記録。
英雄から、反逆者へ。
「……一致、していますね」
若い司祭が、絞り出すように言った。
誰も否定しなかった。
否定できなかった。
「……では」
枢機司祭が、ゆっくりと口を開く。
「これは――」
その先を、誰かが引き継ぐ。
「確定です」
その一言で、すべてが終わった。
希望的観測。
誤認。
偶発的な異変。
それらは、全て排除された。
「……王都には」
「伝えられません」
聖務院長が、即答した。
「政治は、まだ“戻れる”と思っている」
「ですが――」
「戻れない」
それが、教会の結論だった。
「……北方公爵家は」
「沈黙している」
古文書管理官が、静かに言う。
「だからこそ、理解している」
北は、知っている。
そして――待っている。
「……勇者は」
「気づいているでしょう」
「では、なぜ止めない」
その問いに、答えはなかった。
止められないからだ。
リッチは、討伐対象ではない。
**“災厄”**だ。
「……名は」
誰かが、ついに聞いた。
古文書管理官は、しばらく黙ってから、言った。
「古文書には、こうあります」
ページを指でなぞりながら。
「“かつて英雄であった者。
処刑され、名を奪われ、
それでも、民を想い続けた存在”」
そして、続く一文。
「――最も危険なリッチ」
灯りが、揺れた。
その夜、聖教会は理解した。
もう、隠せない。
もう、否定できない。
王国は、
自ら作り出した災厄と、再び向き合うことになる。
そしてその名は、
まだ、誰にも告げられていなかった。




