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確認と声かけ

足音が、聞こえた。


正確には――聞こえた気がした。


生きていた頃の感覚なら、間違いなくそれは足音だっただろう。

だが今の俺には、音は振動ではなく、歪みとして届く。


夜の森。

風の通り道。

枯葉の重なり。


その中に、一点だけ、不自然な揺らぎがあった。


(……人間、か)


思考は淡々としている。

驚きも、興奮もない。


ただ、確認だ。


処刑台の後。

怒りと後悔が沈殿したまま、どれほどの時間が経ったのかは分からない。

日付も、季節も、意味を失っている。


だが一つだけ、はっきりしていた。


――この周辺に、人は近づいていなかった。


王国が切り捨てた土地。

地図から消され、補給線から外れ、

「様子見」という名の放置を受けた場所。


それでも、今――

生きている人間が、ここにいる。


(……逃げ遅れか。偵察か。あるいは――)


理由を考えるのはやめた。

重要なのは、接触するか否かだけだ。


俺は、静かに一歩踏み出す。


地面を踏みしめた感覚はない。

だが、周囲の歪みが、俺の移動を示している。


相手は、気づいていない。


松明を一本。

簡素な鎧。

王国正規軍のものではない。

傭兵か、地方徴発兵か――あるいは、逃げ出した元兵士。


(……若い)


肩幅が狭い。

歩幅が落ち着かない。

呼吸が浅い。


恐怖の中にいる人間の特徴だ。


(……グランデールの時と、同じだな)


思い出が、勝手に重なる。


夜の見回り。

慣れない鎧。

それでも、「何かあれば自分が止める」と信じていた顔。


――やめろ。


思考を切る。


俺は、今、彼らを守る立場ではない。


それでも――

接触は必要だった。


なぜなら、俺自身が知りたかったからだ。


(……今の俺は、人にどう見える)


声をかけることにした。


選択は、衝動ではない。

確認だ。


「――君」


声は、思ったよりも静かだった。


怒号でも、威圧でもない。

ただ、距離を詰めただけの声。


だが――


相手の反応は、即座だった。


「――っ!?」


身体が跳ねる。

松明が大きく揺れ、光が乱れる。


剣が半ば抜かれ、半ば引っかかる。

心拍が、こちらにまで歪みとして伝わる。


(……ああ)


理解した。


声そのものが、恐怖になっている。


「誰だ! 出てこい!」


必死に張り上げた声。

だが喉が震え、語尾が崩れている。


(……俺は、姿を隠しているつもりはない)


一歩、前に出る。


松明の光が、こちらを照らす。


その瞬間――


相手の思考が、止まった。


言葉が消える。

呼吸が止まる。

剣を握る力だけが、異様に強くなる。


(……なるほど)


鏡がなくても、分かる。


今の俺は、

「人の形をしているが、人ではない」。


骨の輪郭。

影の薄さ。

目――いや、眼窩に残る、淡い光。


(……これは、想定以上だな)


俺は、ただ立っているだけだ。

魔力も、威圧も、意図的には出していない。


それでも――


相手は、後ずさる。


足がもつれ、倒れそうになりながら、必死に距離を取る。


「……ま、魔族……?」


その言葉に、違和感を覚える。


(……違う)


魔族ではない。

だが、人でもない。


(……説明する必要は、ないか)


俺は、剣を抜かない。

手も上げない。


ただ、問いかける。


「……君は、ここで何をしている」


声は、低い。

感情は、乗せていない。


だが、それが逆効果だと、すぐに理解した。


相手は、答えない。


いや、答えられない。


恐怖が、思考を縛っている。


(……グランデールでも、最初はこうだった)


違うのは、

あの時は、俺が「守る側」だったこと。


今は――

何者か分からない存在だ。


沈黙が、数秒続く。


その間に、俺は確信する。


――王国が「範囲縮小」を選んだ理由が、ここにある。


説明しない。

確認しない。

理解しようとしない。


ただ、近づかない。


「……帰れ」


自分でも、意外な言葉だった。


相手が、目を見開く。


「ここは、もう――来る場所じゃない」


それだけ言って、俺は一歩下がる。


追わない。

触れない。

名も名乗らない。


相手は、数瞬、固まったまま――

やがて、転ぶように背を向け、森の奥へ逃げていった。


足音が、遠ざかる。

歪みが、消える。


(……これでいい)


そう、思った。


殺す必要はない。

脅す必要もない。


見たものを、持ち帰らせればいい。


王国へ。

教会へ。

勇者へ。


彼らが、どう解釈するかは――

俺の知ったことではない。


(……俺は、ただ、ここにいる)


怒りは、まだある。

後悔も、消えない。


だが今、そこに――

確かな輪郭が加わった。


「恐怖」だ。


俺が与えたつもりはなくても、

世界が、そう受け取る。


それなら――


(……それを、利用する)


これは、復讐ではない。

救済でもない。


ただ、

切り捨てられた結果が、どうなるかを示すだけだ。


夜の森に、再び静寂が戻る。


だがもう、

最初の一人は、逃げた。


――次は、逃げ切れない。


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