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名を失ったまま残った怒り

目を開けた瞬間、最初に感じたのは寒さではなかった。

冷たいとも、暗いとも、そういう言葉ですらない。


――無い。


それが一番近い。


空気が、無い。

息をしようとして、必要がないことに気づく。

胸は動かず、喉も鳴らず、それでも意識だけが、確かに在った。


(……生きて、いる?)


否定が即座に浮かぶ。

これは、生きている感覚ではない。


だが、死んでいるとも言い切れない。


死とは、終わりだ。

意識の消失だ。

痛みも、怒りも、後悔も――すべてが無になるはずだ。


だが今、ここには後悔がある。

焼け付くような、重く、逃げ場のない後悔が。


(……グランデール)


名を思い浮かべた瞬間、胸の奥――いや、胸などもう無いはずの場所が、軋んだ。


町。

城壁。

市場。

笑っていた民。

剣を握る町兵。

最後まで、俺を見上げていた瞳。


――守れなかった。


その事実だけが、何度も何度も、思考を叩き潰す。


「逃げろ」と言った。

「時間を稼ぐ」と言った。

「必ず戻る」と、言ってしまった。


(……嘘だ)


結果だけを見れば、すべて嘘だった。


俺は強かった。

王国軍よりも。

隣接貴族よりも。

勇者一行とさえ、互角以上に戦った。


それでも――


守れなかった。


守ると決めたものを、

守れると信じていたものを、

自分の選択で、戦場に立たせた。


怒りが、遅れて湧き上がる。


(……王国)


会議室。

机。

印章。

紙の上で書かれた「反乱」の二文字。


俺を削ぎ落とし、

町を切り捨て、

民の命を数字に変えた連中。


だが、その怒りはすぐに歪む。


(違う……)


王国だけではない。

勇者だけでもない。

剣聖でも、将軍でもない。


――俺だ。


俺が、選んだ。


戦わないという選択肢が、

最初から存在しなかったことを、

分かっていながら――


それでも、剣を取った。


(……俺が、町を戦場にした)


気づけば、怒りと後悔が絡み合い、

どちらがどちらを燃料にしているのか、分からなくなっていた。


思考が、ひどく静かだ。


感情だけがある。

だが、心臓がない。

呼吸がない。

涙も、流れない。


(……これが、代償か)


視線を下ろす。


そこに、自分の身体があるはずなのに、

重さがない。


足は地面についているのか、浮いているのか。

感覚が曖昧だ。


手を握る。

骨の感触。

皮膚の抵抗。

――それらが、薄い。


生きていた頃の「確かさ」が、剥ぎ取られている。


(……それでも、考えている)


それが、何よりも異常だった。


死者は、後悔しない。

死者は、怒らない。

死者は、名前を呼ばれて振り向かない。


だが俺は、今も――


「アレイン」


その名を、頭の中で呼んだ。


(……俺は、まだ“俺”だ)


その事実が、

奇妙な安堵と、

耐え難い苦痛を同時に連れてくる。


守れなかった者の名前が、

次々と浮かぶ。


町兵の少年。

最後まで門に立っていた男。

逃げ遅れた老人。

剣を持たず、俺を庇うように前に出てきた民。


(……なぜ、庇った)


問いは、誰にも向かわない。

答えが分かっているからだ。


――俺を、信じた。


それが、

どれほど残酷なことだったか。


怒りが、再び燃え上がる。

だがそれは、外に向かわない。


自分自身へ、向く。


(……俺が、英雄だと?)


王都はそう呼んだ。

必要な時だけ。


だが最後には、

「反逆者」として、

「見せしめ」として、

処刑台に立たせた。


(……それでも、民は俺を見ていた)


処刑台の上。

視線の先。

空。


あの時、俺は――


終わったと思った。


だが、終わっていなかった。


(……終われなかった)


怒りが、静かに形を変える。


爆発ではない。

咆哮でもない。


沈殿する怒りだ。


後悔と混ざり、

時間と共に濃くなり、

簡単には消えない。


(……俺は、何になる)


答えは、まだない。


ただ一つ、はっきりしていることがある。


――王国は、まだ終わっていないと思っている。


会議室で。

書類の上で。

「過剰反応だった」と、切り捨てて。


(……違う)


俺は、まだ、ここにいる。


怒りも。

後悔も。

名前も。


すべて、消えずに。


そして、

このまま終わる気はない。


だがそれは、

復讐の誓いではない。

宣戦布告でもない。


もっと、重く、歪んだものだ。


――守れなかった者たちの死を、

無意味にさせないために。


そのために、

俺はまだ、動く。


生きてもいない。

死んでもいない。


その狭間で。


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