王都の反応
王都評議院の会議室は、
その日、妙に空気が軽かった。
「……つまり、北が動いたと」
宰相が、資料をめくりながら言う。
「はい。
北方公爵家、独自に兵の再編を開始。
現地方面への街道整備、補給線の再確認。
加えて、私兵の集結が確認されています」
報告役の文官は、
言葉を慎重に選んでいた。
だが。
「ふむ」
宰相は、
その報告を深刻には受け取らなかった。
「勇者撤退の直後、か」
「……ええ」
「なら、理解できる反応だな」
評議席のあちこちから、
小さな頷きが生まれる。
「北は、慎重すぎる」
「いや、臆病なだけだ」
「勇者が下がった以上、
“最悪”を想定したくなる気持ちは分かる」
誰も、声を荒げない。
むしろ――
安心している。
「我々が把握している範囲では、
被害は限定的です」
別の官僚が続ける。
「消失事例は、確かに異常ですが、
範囲は縮小しています」
「現地は、すでに“封鎖”状態」
「民の流入も止まり、
被害は拡大していない」
宰相は、満足げに頷いた。
「つまり――」
一拍置く。
「北の動きは、
過剰反応ということだ」
その言葉が、
会議室の空気を決定づけた。
⸻
「そもそも、だ」
貴族院代表が、
ゆったりと腕を組む。
「北方公爵家は、
常に“最悪”を口にする」
「魔族侵攻の時も、
結局は何も起きなかった」
「彼らは、
国境の緊張を理由に、
独立性を強めたいだけだ」
「……今回も、その延長だろう」
誰も、反論しない。
なぜなら。
「勇者が撤退した」
それが、
“危険は制御下にある”という証拠として
扱われていたからだ。
「勇者が判断したのだ」
「危険なら、
勇者は退かない」
「討伐できないとしても、
警告は残す」
「だが、撤退した」
宰相が、
指を一本立てる。
「これは、
“即時の脅威ではない”という判断だ」
それは、
理屈としては、整っていた。
だが。
誰一人として、
**“なぜ勇者が斬らなかったのか”**を
真正面から考えようとしなかった。
⸻
「聖教会の見解は?」
その問いに、
一瞬、間が空く。
「……歯切れが悪いですが」
文官が答える。
「“未確認要素が多い”とのこと」
「具体的な危険性は?」
「明言を避けています」
「なら、尚更だ」
宰相は、即座に結論づけた。
「教会が言葉を濁す時は、
政治的判断を避けたい時だ」
「責任を取りたくないだけだろう」
「古文書だの、禁忌だの……」
誰かが、鼻で笑った。
「今どき、
そんな曖昧な話で
国家を動かすわけにはいかん」
「北は、
教会の曖昧な情報に
過剰反応しただけだ」
それが、
この場の“総意”になった。
⸻
「対応方針は?」
「現状維持だ」
「範囲縮小は継続」
「北には、
“過剰な軍事行動は控えるよう”
非公式に伝える」
「勇者には?」
「……引き続き待機」
その言葉に、
わずかな違和感が混じる。
だが、
誰も拾わなかった。
「勇者は、
あくまで切り札だ」
「今は、
政治の段階だ」
「感情で動かす存在ではない」
宰相は、
議事録に目を落としながら言う。
「北が動いたことで、
民の不安も煽られる」
「必要以上に騒ぐべきではない」
「“管理された恐怖”が、
最も統治に適している」
その言葉は、
冷静で、合理的だった。
だが。
その合理性は、
人でないものを想定していなかった。
⸻
会議の終わり。
誰かが、
ぽつりと呟く。
「……もし、
北が正しかったら?」
一瞬。
空気が止まる。
だが、
宰相は笑った。
「その時は、その時だ」
「北が先走った責任を、
北が取る」
「王都は、
慎重だった、という立場を取れる」
政治としては、
正解だった。
「最悪でも、
“地方の異変”だ」
「国家の危機ではない」
「――そうだろう?」
誰も、否定しなかった。
⸻
その夜。
王都の灯りは、
いつも通りに輝いていた。
酒場は賑わい、
市井の人々は、
戦争が終わったかのように笑っている。
北の沈黙も、
勇者の撤退も。
すべては、
遠い地方の話だった。
誰一人として、
理解していなかった。
北が沈黙していた理由を。
勇者が剣を振るえなかった理由を。
そして。
「過剰反応」と切り捨てたその瞬間に、
王都自身が、
最も大きな判断ミスを犯したことを。




