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撤退命令

夜は、静かすぎた。


勇者レオンは、焚き火の前で剣を磨きながら、

何度目か分からない違和感を噛みしめていた。


音が、ない。


風は吹いている。

草も揺れている。


だが、

生き物の気配が、薄い。


「……ここ、本当に前線か?」


独り言のように呟いた声は、

夜気に吸われて消えた。


ここは、第三防衛線のさらに外側。

つい数日前まで、

王国正規軍一個大隊が駐屯していた場所の近くだ。


――全滅。


いや、

消失。


報告書に使われたその言葉を、

レオンは未だに受け入れきれていなかった。


戦って負けたのなら、理解できる。

奇襲で壊滅したのなら、想像もつく。


だが。


「……痕跡が、なさすぎる」


剣を置き、立ち上がる。


遠く、霧が立ち込める旧街道の方角を見た。


そこには、

“敵”がいるはずだった。


だが、

何も、見えない。


それが、何よりも不安だった。



「レオン」


背後から、剣聖ガルドの声がした。


「王都から、使いだ」


その声色は、硬い。


レオンは、振り返った。


そこには、王国の印章を掲げた伝令兵が立っていた。


顔色が、悪い。


「……勇者レオン殿。

 王命を、伝達いたします」


形式的な口調。


だが、

その奥に、迷いがあるのが分かった。


「王都は、

 貴殿ら勇者一行に対し――」


一瞬の間。


「――現地調査の中断、

 および、一時撤退を命じます」


夜が、さらに静かになった。


焚き火の爆ぜる音だけが、

やけに大きく響いた。


「……撤退?」


レオンは、思わず聞き返した。


「理由は?」


伝令兵は、目を伏せた。


「……政治判断です」


その言葉に、

レオンの胸の奥で、何かが引っかかった。


「政治……?」


「はい。

 被害区域の拡大を防ぐため、

 これ以上の接触は避けるべき、との判断です」


「……」


ガルドが、低く唸った。


「軍が、一個消えてるんだぞ」


「……承知しております」


伝令兵の声は、震えていた。


「だからこそ、です」


「意味が分からない」


レオンは、思わず声を強めた。


「だからこそ、

 俺たちがいるんじゃないのか?」


勇者。


女神の神託を受け、

魔族と戦うために選ばれた存在。


それが、

“危険だから引け”と言われる。


「……レオン殿」


伝令兵は、苦しそうに言った。


「これは、

 貴殿の力を疑うものではありません」


「なら、なぜだ」


答えは、返ってこなかった。



その夜。


三人は、焚き火を囲んでいた。


聖女エリシアは、

膝の上で祈りを捧げながら、静かに言った。


「……レオン。

 この撤退命令、

 “何かを見ないため”の判断です」


「……どういう意味だ?」


「分かりません。

 でも……」


彼女は、言葉を選ぶように続けた。


「王都は、

 “これ以上、知ってはいけない何か”を

 恐れている気がします」


ガルドが、鼻を鳴らした。


「臆病風に吹かれただけだろ」


「違います」


エリシアは、珍しく強く否定した。


「臆病なら、

 もっと早く退いています」


「……」


レオンは、焚き火を見つめた。


炎の揺れが、

どこか、霧の揺らぎと重なって見えた。


「……俺は」


ゆっくりと、言葉を選ぶ。


「俺は、

 “正しいこと”をするために剣を取った」


「王のためじゃない」


「国のためでもない」


「人を、守るためだ」


沈黙。


ガルドは、腕を組んだ。


「……命令に逆らうか?」


レオンは、答えなかった。


答えられなかった。


勇者は、

国家の命令に背く存在ではない。


それは、

王国が勇者制度を存続させるための、

暗黙の前提だった。


だが。


「……このまま引けば」


レオンは、ぽつりと言った。


「“あれ”は、

 止まらない気がする」


エリシアが、顔を上げた。


「……私も、同じ感覚があります」


「理由は、分かりません」


「でも……

 待っている気がするんです」


何を、とは言わなかった。


言わなくても、

三人とも、同じものを思い浮かべていた。



撤退準備は、淡々と進んだ。


勇者一行は、

翌朝には現地を離れる予定だった。


だが、レオンは眠れなかった。


夜半。


彼は、一人で天幕を出た。


霧が、濃い。


旧街道の先は、

ほとんど見えなかった。


「……」


その時。


ふと、

誰かに見られている感覚がした。


背中が、ぞくりと粟立つ。


だが、振り返っても、誰もいない。


「……気のせい、か」


そう呟いた瞬間。


――名前を、呼ばれた気がした。


声ではない。


音でもない。


ただ、

“理解”として、届いた。


(……レオン……)


心臓が、跳ねた。


今のは、何だ。


幻聴か?


疲労か?


それとも――


「……」


その時、

頭の片隅に、

一つの名前が浮かんだ。


アレイン。


処刑されたはずの、伯爵。


反乱者。


王国の敵。


だが。


なぜ、今。


なぜ、ここで。


理由は、分からない。


ただ、

胸の奥に、冷たいものが沈んだ。


「……撤退、か」


霧の向こうを見つめながら、

レオンは、静かに呟いた。


勇者は、命令に従う。


だが――


その命令が、

“正しい”とは限らないことを。


この夜、

彼は、初めて理解してしまった。


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