第三波
――現地・軍消失――
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異変は、戦いとして始まらなかった。
それが、何よりも異常だった。
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第三防衛線――王国北東部、旧街道沿い。
かつてグランデールへと続いていたその道は、
今や「監視区域」として再編され、
正規軍の一個大隊が駐屯していた。
兵数、千二百。
重装歩兵を主軸に、弓兵、魔術兵を含む、
「反乱残党掃討」を名目とした、十分な戦力だった。
指揮官の名は、カイル・ヘルマン少佐。
実直で、過剰な英雄願望を持たない男だ。
彼は、この任務を「安全な仕事」だと理解していた。
実際、ここ数日の状況報告は、平穏そのものだった。
夜襲なし。
奇襲なし。
敵影なし。
ただ、妙なことが一つあった。
「……音が、しないな」
夜営中、カイルはそう呟いた。
風はある。
木々も揺れている。
だが――
虫の声が、しない。
「……気のせいか?」
部下は、そう答えた。
だが、兵たちは皆、どこか落ち着かなかった。
理由は、説明できない。
ただ、
**何かが“近づいている”**感覚だけがあった。
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異変が起きたのは、夜明け前。
見張りの交代時だった。
「――異常なし、交代完了……」
その声は、最後まで届かなかった。
音が、消えた。
悲鳴もない。
衝突音もない。
ただ、
声が途中で、消えた。
「……?」
次の瞬間。
焚き火の炎が、揺れた。
いや、
**揺れたように“見えただけ”**だった。
光が、歪んだ。
空気が、沈んだ。
そして――
世界が、静まり返った。
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翌朝。
隣接区域の斥候部隊が、第三防衛線へと到着した。
そこには、何もなかった。
砦は、無傷だった。
幕舎も、壊れていない。
武器も、食糧も、配置されたまま。
だが――
兵士が、一人もいなかった。
千二百人分の生活痕。
焚き火の灰。
干されかけた衣服。
すべてが、「直前まで人がいた」状態で、止まっている。
血痕は、ない。
争った跡も、ない。
馬だけが、
不安そうに嘶いていた。
斥候は、砦の中央で立ち尽くした。
「……どういう、ことだ」
誰も、答えなかった。
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報告は、即座に王都へ送られた。
だが、その前に、
現地で一つ、決定的な事実が確認された。
魔力探知。
通常、戦闘が起これば、
必ず残留魔力が発生する。
魔法。
呪術。
祝福。
呪い。
だが、この砦には――
何も、残っていなかった。
「……消された、というより……」
魔術兵が、震える声で言った。
「“連れて行かれた”……?」
誰も、否定できなかった。
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王都への報告は、混乱を極めた。
・戦闘なし
・被害物なし
・兵のみ消失
これまでの「村消失」と、
完全に一致していた。
だが、決定的な違いが一つあった。
――軍、である。
訓練された兵。
武装した集団。
警戒を怠らない者たち。
それが、
一夜で、跡形もなく消えた。
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その夜。
現地に残された斥候の一人が、
奇妙なものを見た。
砦の外。
旧街道の向こう、霧の中。
「……誰か、いる……?」
人影。
いや、
人だった“何か”。
それは、動かなかった。
ただ、
こちらを見ている気がした。
目が、あるかどうかも分からない。
だが、
確実に「見られている」と感じた。
斥候は、思わず声を上げた。
「誰だ!」
返事は、なかった。
次の瞬間。
霧が、揺れた。
そして、人影は――
最初から存在しなかったかのように、消えた。
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その斥候は、
翌朝、錯乱状態で保護された。
彼は、繰り返し同じ言葉を呟いていた。
「……呼ばれた……」
「……全員、呼ばれた……」
「……逃げなきゃ……」
誰に、呼ばれたのか。
どこへ、連れて行かれたのか。
彼は、答えなかった。
答えられなかった。
⸻
王都に、報告が届いた。
第三波。
王国正規軍、一個大隊。
完全消失。
これをもって、
「反乱残党」という説明は、完全に破綻した。
だが――
王都は、すぐには動かなかった。
「……範囲を、さらに縮小する」
「被害区域を限定し、
不要な接触を避ける」
「勇者には、
“現地調査を一時中断せよ”と」
理解できないものに、
近づかない。
それが、政治の選択だった。
だが。
その選択が、
何を意味するか。
この時点で、
誰も、正しく理解していなかった。
霧の向こうで。
誰かが、
確かに、待っていることを。




