沈黙の意味
地面が、静かすぎた。
それが、勇者レオンが最初に抱いた違和感だった。
「……静かだな」
同行する剣聖が、低く呟く。
本来であれば、前線に近づくにつれ、兆しがある。
焦げ跡、破壊された柵、放棄された陣。
あるいは、逃げ遅れた者の死体。
だが――何もない。
森は、森のままだった。
道は、道のまま続いている。
「斥候の報告では、
この先の村が“消えた”とあったはずだ」
聖女が、地図を見ながら言う。
「消えた、という表現が曖昧すぎる」
レオンは答えた。
焼かれたのか。
連れ去られたのか。
それとも、別の場所へ逃げたのか。
どれであっても、痕跡は残る。
だが、今――
「……何も、ない」
村は、確かにあった。
井戸があり、畑があり、
子どもが走り回るはずの道幅がある。
だが、人がいない。
死体も、血も、争った跡もない。
「……おかしい」
剣聖が、剣の柄に手をかけた。
「これは“戦場”じゃない」
「ええ」
聖女も、顔色を失っている。
「これは……
“片付けられた後”です」
レオンは、喉が渇くのを感じた。
(片付けられた?)
それは、誰が。
何のために。
家々は壊れていない。
扉は開いたままの家もある。
食卓には、乾いたパンが残っていた。
干し肉は、吊るされたままだ。
「……突然だ」
レオンは、言葉を選びながら言った。
「逃げる準備をした形跡がない」
「襲撃、というより……」
聖女が、言葉を濁す。
「“連れていかれた”ようにも見えます」
その瞬間。
剣聖が、地面を指差した。
「足跡がある」
全員が集まる。
だが、それは――
「……一方向だけ?」
「数も……多くない」
子どもも、大人も、老人もいたはずの村だ。
それなのに、足跡は整いすぎている。
「整列……?」
レオンの背中に、冷たいものが走った。
(違う)
(これは、逃げた痕じゃない)
(“導かれた”痕だ)
剣聖が、低く言った。
「戦った形跡がないのが、逆に不気味だ」
「……」
レオンは、答えなかった。
答えられなかった。
代わりに、脳裏に浮かんだのは――
あの処刑台の光景だった。
縛られた男。
空を見上げる、静かな横顔。
(アレイン……)
その名を、心の中で呼んだ瞬間。
聖女が、はっと息を呑んだ。
「……勇者様」
「どうした」
「……ここ」
彼女は、井戸の縁に跪いた。
「……魔力反応があります」
「強い?」
「……いいえ」
聖女は、首を振る。
「強い、というより……
“残っている”」
「消えきっていない……?」
「はい」
その言葉に、レオンは凍りついた。
(消えきっていない)
(死霊か?)
(魔物か?)
だが、どれも違うと、本能が告げていた。
「……教会は」
レオンは、ぽつりと呟いた。
「この事態を、どう説明していた?」
聖女は、目を伏せる。
「……“反乱残党による被害”と」
「……やはりな」
剣聖が、歯噛みする。
「これは、反乱じゃない」
レオンは、静かに言った。
「略奪でも、報復でもない」
「……“戦争”ですらない」
彼は、村の中心に立ち、周囲を見渡した。
人が消えた場所。
争いのない消失。
(これは……)
(“選別”だ)
胸が、締め付けられる。
その瞬間。
「……勇者様」
聖女の声が、震えていた。
「……この魔力」
「……知って、います」
レオンは、答えた。
否定したかった。
だが、できなかった。
(忘れられるはずがない)
(俺が、斬った男の魔力だ)
剣聖が、低く唸る。
「まさか……」
「……」
レオンは、剣を握りしめた。
「……教会は」
声が、掠れる。
「これを、知っていたのか」
沈黙。
それが、答えだった。
レオンは、その場に立ち尽くした。
教会の沈黙。
歯切れの悪い報告。
討伐ではなく、様子見。
(……そういうことか)
(“反乱”では、なかった)
(“人”でも、なかった)
彼は、ゆっくりと天を仰いだ。
処刑台で見た、あの空と同じ色。
(俺は……)
(何を、斬った)
剣が、重く感じられた。
勇者としての剣。
正義としての剣。
その根元が、
音もなく、軋んでいく。
「……行こう」
レオンは、前を向いた。
「これ以上、放置できない」
「だが」
彼は、一度だけ立ち止まる。
「これは……
俺たちだけの問題じゃない」
聖女も、剣聖も、無言で頷いた。
その背後で。
村の井戸の底から、
わずかに、冷たい風が吹き上がった。
誰にも聞こえない、声と共に。




