沈黙が繋がる場所
勇者レオンは、地図を見つめていた。
王都軍の天幕、その奥。
簡素だが清潔に保たれた机の上に広げられているのは、北方から中央、そして今まさに“異変”が起きている地域までを含んだ王国全図だった。
だが、彼の視線は戦線でも補給路でもない。
赤く印のつけられた“空白”――報告が途切れた地域に注がれている。
「……おかしい」
ぽつりと、独り言のように漏れた声。
彼は戦場に慣れている。
魔族の侵攻、魔獣の大発生、反乱鎮圧――
どれも経験してきた。
だが、今回の“異変”は違った。
「敵が見えない」
「なのに、部隊が消えている」
帳簿上では、戦闘は発生していない。
交戦記録も、被害報告も、悲鳴すらない。
――ただ、帰ってこない。
「反乱の残党にしては、静かすぎる」
「魔族なら、兆候がある」
「呪い……?」
否定するように、首を振る。
彼は思い出していた。
最初にこの件を知った日のことを。
教会から上がってきた報告は、異様に歯切れが悪かった。
《調査中です》
《断定できません》
《慎重な対応を》
いつもなら、聖教会はもっと断定的だ。
危険があれば警鐘を鳴らし、
異端であれば即座に“異端”と呼ぶ。
なのに今回は、違った。
「……まるで、言葉を選んでいるみたいだった」
レオンは、拳を握る。
同時期に届いた、北方公爵家の反応――いや、“反応のなさ”。
正式な照会に、沈黙。
非公式の打診にも、沈黙。
あの北が?
王国の盾とも呼ばれるノルディアが?
「知らないから黙っている、って感じじゃない」
「……知っているから、黙っている」
そこまで考え、
レオンは、はっと息を止めた。
「……まさか」
脳裏に、ひとつの顔が浮かぶ。
処刑台で、空を見上げていた男。
――アレイン。
英雄と呼ばれ、
反逆者として裁かれ、
名を消された存在。
「……いや」
首を振る。
「ありえない」
「死んだはずだ」
だが、胸の奥に残る違和感が消えない。
あの処刑の夜。
剣を振るったのは自分だ。
確かに、斬った。
確かに、終わらせた。
「……なのに」
なぜ、今になって思い出す?
なぜ、教会と北の沈黙が、
あの男と重なって見える?
天幕の外から、足音が近づく。
「勇者様」
聖女エリシアだった。
「入っていい?」
「ああ」
彼女は静かに入ってきて、
レオンの向かいに座る。
その表情は、どこか硬い。
「……教会から、追加の報告が来たわ」
「どうだった?」
「相変わらずよ」
「断定を避けてる」
「“異端とは言えない”って」
レオンの眉が、ぴくりと動く。
「言えない、じゃなく?」
「……ええ」
聖女は、少し間を置いて続けた。
「“言わない”に近い」
その言葉で、
点と点が、線になり始めた。
「北方公爵家は?」
「返答なし」
「でも、教会内部では――」
彼女は声を潜める。
「古文書を調べているらしいわ」
「……どんな?」
「“死後も意思を保つ存在”」
レオンは、息を呑んだ。
「……アンデッド?」
「もっと限定されたもの」
「名前は、出ていない」
「でも――」
聖女は、目を伏せる。
「条件が、揃いすぎているって」
レオンは、ゆっくりと立ち上がった。
天幕の中を歩きながら、言葉を探す。
「……北は」
「知ったんだな」
「教会も、気づいた」
「だから、沈黙している」
「……王都だけが、気づいていない」
「もしくは」
レオンは、唇を噛む。
「気づいているけど、
“認めたくない”」
それは、あまりにも残酷な結論だった。
もし、それが本当なら。
今、消えている兵たちは。
「……討伐されているんじゃない」
「連れ去られている?」
聖女は、小さく首を振った。
「……生存者が、いない」
「“残されない”」
その言葉に、背筋が冷えた。
「レオン」
聖女が、彼を見つめる。
「もし、もしよ」
「それが、アレインだったら?」
「あなたは――」
言葉が、途切れる。
レオンは、しばらく黙っていた。
そして、低く答えた。
「……裁く」
「それが、俺の役目だ」
だが、その声には、迷いが混じっていた。
剣聖が、天幕に入ってくる。
「勇者」
「将軍から伝言だ」
「王都は――」
一拍。
「この件を、優先度“低”と判断した」
「……は?」
「軍の再配置はしない」
「現地対応で十分、とのことだ」
レオンは、思わず笑ってしまった。
乾いた、笑い。
「……そうか」
「教会の沈黙も」
「北の沈黙も」
「全部、無視するんだな」
剣聖は、険しい顔で言う。
「俺は、嫌な予感がする」
「……俺もだ」
レオンは、地図を畳む。
そして、決意する。
「……俺が行く」
「正式命令じゃなくても」
「現地を、この目で見る」
聖女が、静かに頷いた。
「一緒に行くわ」
「……ああ」
天幕の外。
夜風が、吹き抜ける。
その風は、北から来ていた。
まるで、
沈黙の理由を運んでくるかのように。
レオンは、剣の柄に手を置く。
(アレイン)
心の中で、名を呼ぶ。
(もし、お前がそこにいるなら)
(俺は――)
言葉は、続かなかった。
その答えを、
彼自身が、まだ知らなかったからだ。




