王都からの沈黙
王都へ送った報告書は、三通目だった。
一通目は、魔族の動向について。
二通目は、街道沿いの警戒強化と、周辺村落の被害状況。
三通目は、今季の穀物収量と、冬越しに向けた備蓄の推移。
いずれも、辺境伯――いや、伯爵として、当然果たすべき報告だ。
特別な要求も、過剰な主張もしていない。
それでも――返事は来ない。
「……遅いな」
アレインは執務机の前で指を組み、深く息を吐いた。
書類の端はきちんと揃えられている。
インクの染み一つない。
それが逆に、落ち着かなかった。
隣に控えるセインが、帳簿を閉じる音だけが部屋に響く。
「王都の政務が立て込んでいるのでしょう」
セインはそう言い、言葉を選ぶように一拍置いた。
「……勇者誕生の件もあります。教会も王家も、そちらに注力しているのかと」
勇者。
女神の神託により選ばれた、十五歳の少年。
覚醒からわずか半年で、聖女と剣聖を従え、古代竜を討伐したという。
歴代最強――
そんな言葉が、半ば公然と囁かれている。
「それでも、沈黙は不自然だ」
アレインは、机上の書簡に視線を落とした。
王都から届いたのは、たった一通。
封蝋は正規。
書式も完璧。
書記官の署名も、確かに本物だ。
だが――内容は、あまりにも簡素だった。
《報告、確かに受理した。引き続き、現状維持に努めよ》
「……現状維持、か」
声に出すと、言葉の軽さが際立った。
褒賞はない。
評価もない。
具体的な指示も、注意喚起もない。
ただ、“読んだ”という事実だけが残る。
「伯爵位を与えられた直後とは思えませんね」
セインが静かに言う。
「通常であれば、労いの一文か、今後への期待くらいは添えられます」
その言葉に、アレインは答えなかった。
窓の外へ目を向ける。
夕暮れのグランデールは、いつもと変わらない。
店じまいをする商人。
町兵と軽口を叩く農夫。
路地を走り回る子どもたち。
平穏だ。
だからこそ――王都との温度差が、妙に際立つ。
「……気にしすぎか?」
誰にともなく、そう呟いた。
王都は遠い。
辺境は後回しにされがちだ。
それは、これまで何度も経験してきたことだ。
昇爵したからといって、急に扱いが変わるとは限らない。
――そう、頭では理解している。
それでも。
「セイン。次は、支援要請も添えて送れ」
「どの名目で?」
即座に返ってくる問いに、アレインは少し考えた。
「補給路整備。街道警備。防衛線の再構築……何でもいい」
目的は、支援そのものではない。
“返事をさせる”こと。
王都に、こちらを意識させること。
沈黙は、無視とほとんど同義だ。
「……承知しました」
セインは一礼し、書類を抱えて部屋を出ていく。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
一人になった執務室で、アレインは無意識に胸元に手を当てた。
そこには、まだ新しい伯爵位の徽章がある。
確かに重い。
責任の重みは、嫌というほど感じている。
だが――冷たい。
「評価されていない、わけじゃない」
そう、自分に言い聞かせる。
勇者が現れたからといって、
自分の役割が、即座に消えるはずがない。
辺境の防衛は、現実だ。
この町を守っているのは、今も自分だ。
――はずがない。
しかし、その夜。
王都からの返書は、やはり届かなかった。
使者も来ない。
伝令もない。
沈黙だけが、日を跨いで続く。
否定よりも、叱責よりも、
沈黙はゆっくりと人の心を削っていく。
アレインはまだ知らない。
この「返事のなさ」が、
やがて王国そのものの意思として、
明確な形を取ることを。




