突破
夜明け前。
霧が、低く町を覆っていた。
それは自然のものではない。
アレインが放った、微弱な幻霧魔法だった。
敵の視界を完全に奪うほどではない。
だが――“一瞬の判断”を鈍らせるには、十分。
「……始める」
城門前に集まった町兵たちを前に、アレインは短く告げた。
誰も声を上げない。
泣き声も、怒号もない。
ただ、剣を握る音だけが、静かに響いた。
「合図と同時に、全軍突撃」
地図上で示した一点――
包囲網の、最も薄い場所。
勇者が“被害を抑えるため”に配置を下げた区画。
皮肉にも、それが突破口になった。
「目的は撃破じゃない」
アレインは、一人一人の顔を見る。
若い兵。
年老いた兵。
農具を槍に持ち替えただけの男。
「時間を稼ぐ。
民を逃がす」
そして、最後に。
「……俺を、守るな」
沈黙。
だが、誰一人として頷かなかった。
アレインは、何も言わずに背を向ける。
それ以上、言えば――
彼らの覚悟を、踏みにじることになる。
⸻
角笛が鳴った。
低く、短く。
その瞬間、霧の中から――
「突撃ッ!!」
叫びと共に、グランデール軍が躍り出た。
⸻
王国軍前線。
「敵、来ます!」
見張りの声が上がると同時に、霧を裂いて人影が現れる。
数は――多い。
「防御陣形!」
勇者レオンの声が、即座に飛ぶ。
兵たちは訓練通りに動いた。
慌てはない。混乱もない。
盾が並び、槍が構えられる。
「……無謀だ」
剣聖が一歩前に出る。
「数で押す気か?
正規軍相手に」
だが、その瞬間。
地面が――砕けた。
「っ!?」
アレインが、先頭で杖を振る。
放たれたのは、高位広域魔法【地殻崩落】。
一点集中。
包囲線の中央を、強引に抉る。
盾兵ごと、大地が沈み込む。
悲鳴が上がる間もなく、町兵が突っ込んだ。
「うおおおおッ!!」
血が飛ぶ。
刃が、肉を裂く。
王国兵も応戦するが、勢いが違った。
「こいつら……!」
「退かないぞ!」
町兵たちは、退かない。
刺されても。
斬られても。
倒れる前に、もう一歩踏み込む。
「道を……開けろッ!!」
彼らの目は、前だけを見ていた。
⸻
「……異常だ」
勇者レオンは、唇を噛む。
これは、戦術的合理性を欠いている。
命を、命として使っていない。
だが――
「逃がすつもりだな」
霧の向こう。
民の列が、裏道から流れ出ていくのが見えた。
「剣聖!」
「分かってる!」
剣聖が、跳ぶ。
剣閃が走り、町兵が三人、四人と倒れる。
それでも。
「止まれええッ!!」
別の兵が、剣聖に飛びかかる。
斬られる。
次が来る。
また斬られる。
「邪魔だ!」
剣聖の声に、怒りが混じる。
「なぜ、そこまで――」
その答えを、アレインが叩きつけた。
「俺の民だからだ!!」
高位魔法【焦熱連鎖】。
剣聖の足元で、爆炎が連続して炸裂する。
吹き飛ばされ、地面を転がる剣聖。
「伯爵……!」
勇者が、前に出た。
二人の視線が、初めて正面からぶつかる。
「……お前が、アレインか」
「そうだ」
互いに、剣を構える。
その間にも、町兵は突撃を続ける。
「行けッ!!」
「止まるな!!」
倒れても、次が行く。
血で滑る地面を、這ってでも前に出る。
勇者の剣が、兵の胸を貫く。
「ぐっ……」
それでも、その兵は、剣を離さない。
「……時間は……稼いだ……」
崩れ落ちる。
勇者の手が、震えた。
「……なぜだ」
理解できない。
これほどの犠牲を払う価値が、どこにある。
「退け!」
叫ぶ。
「もう十分だ!
これ以上、死ぬ必要はない!」
だが、返ってきたのは――
「黙れッ!!」
アレインの怒号。
魔力が、溢れ出す。
「お前の“正しさ”で……
何人、飢えさせた!」
高位魔法【天衝雷】。
雷光が、戦場を裂く。
王国兵がまとめて吹き飛び、地面に叩きつけられる。
勇者は、歯を食いしばる。
「……止める」
剣を構え直す。
「これ以上は、虐殺だ」
「違う」
アレインは、血を吐きながら笑った。
「これは――退路だ」
その瞬間。
背後から、兵が飛び出す。
「伯爵様ッ!!」
剣聖の一撃が、アレインを狙う。
――だが、届かない。
町兵が、身を投げ出して庇った。
斬られ、真っ二つになりながら。
「……民を……頼みます……」
倒れる。
また一人。
また一人。
アレインの前に、死体の壁が築かれていく。
「やめろ……!」
勇者の声が、震える。
だが、止まらない。
止まれない。
突撃は、成功した。
包囲が――崩れる。
霧の向こうで、民が逃げていく。
その背を見届けながら、アレインは立っていた。
満身創痍で。
魔力は、底を突いている。
それでも。
「……行け」
それが、最後の命令だった。




