交代する指揮官
ローデリック将軍の天幕が撤収された翌朝、王国軍の陣は、まるで別の軍のように整えられていた。
無駄な叫び声は消え、
叱責も、焦りもない。
代わりに流れるのは、静かな命令と、正確な実行。
「前線を三百歩後退。交代は二刻ごと」
「補給路の監視を倍に。夜間照明を設置しろ」
指揮を引き継いだ勇者レオンの声は、落ち着いていた。
彼は戦場を見渡し、感情ではなく数字で判断する。
損害、距離、補給、士気――すべてが計算の内にあった。
「無理に攻める必要はない」
側にいた副官が頷く。
「包囲は完成しています。
あとは、向こうが崩れるのを待つだけです」
それは、正しい判断だった。
王国軍はもはや混乱していない。
無駄死にも、無謀な突撃もない。
勝利は、時間の問題だった。
⸻
一方、グランデール。
城内の空気は、日に日に重くなっていた。
「……残り、三日です」
倉庫の責任者が、声を落として告げる。
「麦粉は尽きました。乾燥肉も、今日で配給を止めなければ」
沈黙が落ちる。
アレインは、机に置かれた帳簿を見つめていた。
そこに記された数字は、魔法のように減っていく。
「水は?」
「井戸はありますが……
王国軍が上流を押さえています。質が、悪くなっています」
城壁の外では、敵が何かをしている様子はない。
攻撃も、挑発もない。
ただ、じっと囲っているだけ。
「……正しい戦争だな」
アレインは、かすかに笑った。
かつて自分が学んだ、教科書通りの戦い方。
だが――それは、町を殺す戦いだった。
⸻
夕刻、城内で集会が開かれた。
町兵の隊長たち、評議員、職人の代表。
皆、疲れ切った顔をしている。
「……子どもが、泣かなくなりました」
女房役の老女が言った。
「泣く力も、残っていない」
誰かが、拳を握りしめる。
「戦って死ぬならともかく……
このまま、餓えて死ぬのか」
「降伏すれば――」
その言葉を、誰も最後まで言えなかった。
アレインは、ゆっくりと立ち上がる。
「降伏すれば、俺は裁かれる」
それは、確定事項だった。
「だが……」
視線を、町の者たちに向ける。
「お前たちが助かる保証は、ない」
反乱に加担した町。
伯爵に従った民。
王都がそれを許すかどうかは――賭けだった。
「……それでも」
若い町兵が、一歩前に出た。
「それでも、伯爵様を売ることはできません」
声は震えていたが、逃げなかった。
「俺たちは……守られてきた」
別の兵が続く。
「町を、畑を、家族を」
一人、また一人と頷く。
それは忠誠であり、
同時に、鎖でもあった。
アレインは、目を閉じた。
胸の奥で、何かが軋む。
「……分かった」
短く、言った。
「なら、時間を稼ぐ」
ざわめきが走る。
「全軍で、包囲の一角を叩く」
「正面突破は――」
「無謀だ」
アレインは、即答した。
「だが、それしかない」
地図を指す。
「ここを破れば、道が開く。
民を、逃がせる」
誰もが、それを理解した。
そして――代償も。
「……伯爵様は?」
問われて、アレインは微笑んだ。
「囮だ」
その一言で、空気が凍りつく。
「俺が前に出る。
魔力が尽きるまで、戦う」
止める声は、上がらなかった。
止められないと、分かっていたからだ。
⸻
同じ夜。
王国軍陣営。
「グランデール内部、動きあり」
報告を受け、勇者レオンは地図を見る。
「兵の再配置……突撃準備か」
剣聖が、鼻を鳴らす。
「愚かだな。
正面から来れば、斬るだけだ」
だが、レオンは否定しなかった。
「……いや」
彼は、静かに言う。
「追い詰められた者は、最悪の選択をする」
聖女が、ふと顔を上げる。
「最悪……?」
「自分が死ぬ選択だ」
その言葉に、彼女の胸がざわついた。
夜風が、冷たく吹く。
グランデールは、もう戻れない。
そして勇者は、
その「正しさ」で、町を完全に追い詰めていた。




