勇者到着
夜明け前の空は、灰色だった。
夜襲の名残が、まだ城壁のあちこちで燻っている。
焼け焦げた木材の匂い。
血と鉄の混じった、重たい空気。
グランデールは――耐えきった。
だが、それは「勝利」ではなかった。
「……生存者、こちらへ!」
城壁の内側で、町兵たちが声を張り上げている。
担架は足りない。
包帯も、薬も、もうほとんど残っていない。
負傷兵のうめき声が、あちこちから上がる。
「水……」
「……母さん……」
それらを聞くたび、胸が締め付けられた。
アレインは、城壁の上に立ったままだった。
いや、正確には――立たされていた。
自分の足で立っている感覚は、もうない。
町兵二人が、左右から身体を支えている。
「伯爵様、もう……」
「……まだだ」
掠れた声で、そう答えた。
視界が揺れる。
頭の奥で、嫌な音が鳴り続けていた。
――魔力回復薬の過剰摂取。
――限界を超えた詠唱。
――数えきれない犠牲。
それでも、まだ敵はいる。
その時だった。
城門前の空気が、変わった。
ざわめきが広がる。
町兵たちが、次々とそちらを見る。
「……何だ?」
霧の向こうから、ゆっくりと隊列が現れた。
整った歩調。
王国正規軍のものだが、夜襲部隊とは明らかに違う。
そして――先頭。
白を基調とした装備。
胸元に刻まれた、女神の紋章。
「……勇者……」
誰かが、呟いた。
その名は、自然と広がっていった。
「勇者だ……」
「本物か……?」
隊列の中央に立つ少年は、まだ若い。
十五歳。
それでも、背筋は真っ直ぐで、目に迷いがない。
勇者・レオン。
彼の両脇には、二人の同行者。
長身で、剣を背負った男――剣聖。
柔らかな光を纏う、白衣の少女――聖女。
三人が揃った瞬間、空気が変わった。
希望。
それは確かに、そこにあった。
「……交代だ」
低く告げる声。
ローデリック将軍が、勇者の前に進み出る。
「これより先の指揮は、勇者殿に委ねる」
その言葉に、王国軍がざわめいた。
勇者は一歩前に出て、深く一礼した。
「王命、確かに拝受しました。
以後、私が指揮を執ります」
若い声だが、はっきりしている。
そして――彼の視線が、城壁へ向いた。
アレインを、捉えた。
「……あの方が、反乱を起こした伯爵ですか」
その言葉は、静かだった。
戦場に散乱する無数の遺体に目をやる。
拳が、僅かに震える。
「……これを、あなたがやったと?」
アレインに問う。
アレインは、答えなかった。
否定する力も、説明する気力も、残っていない。
「……答えない、か」
勇者の声に、失望が滲む。
剣聖が一歩前に出た。
「話は後だ。
まずは戦を終わらせる」
だが、その目は冷たい。
――敵を見る目。
一方、聖女だけは、立ち止まっていた。
彼女は、アレインをじっと見つめる。
血に染まった衣。
限界を超えた魔力の痕跡。
「……この人……」
小さく、呟く。
「戦って、守って……それでも……」
その声は、誰にも届かなかった。
勇者は、号令を出す。
「包囲を再編する。
無駄な消耗は避ける。
これ以上、犠牲は出さない」
その言葉に、王国軍は安堵した。
だが――
町兵たちは、互いの顔を見合わせる。
「……それって」
「俺たちを、逃がすってことじゃ……」
違う。
勇者の作戦は、正しい。
合理的で、王国的で、犠牲を抑える。
だがそれは――
「……長期包囲、か」
アレインは、理解した。
この町は、もう耐えられない。
食料も、水も、時間も。
「伯爵様……」
支えていた兵が、震える声で呼ぶ。
アレインは、ゆっくりと視線を上げた。
城壁の外。
整然と動く王国軍。
そして、その中心に立つ――勇者。
「……正義、か」
掠れた声で、呟いた。
その目には、怒りも憎しみもない。
ただ――深い、諦観。
夜は、明けた。
だが、救いは来なかった。
この日を境に、
戦は「反乱鎮圧」として、記録される。
そして――
アレインは、選択を迫られる。




