正規軍迫る
――圧倒的物量と、民が“戦争”を実感する日
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最初に見えたのは、
土煙だった。
グランデール北街道。
見張り塔に立つ町兵が、目を凝らす。
晴天。
風は弱い。
それでも地平線の向こうが、揺れている。
「……来たぞ」
その声は、かすれていた。
やがて、
黒い線が現れる。
一つではない。
幾筋も、幾重にも。
槍の穂先が太陽を反射し、
旗が、風もないのにはためいている。
王国正規軍。
噂でも、報告でもない。
現実の――
軍隊だった。
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鐘が鳴る。
一度。
二度。
三度。
非常鐘。
町中に、緊張が走る。
市場は即座に閉じられ、
露店は放り出され、
人々は我先にと家へ戻る。
子どもが泣き、
母親が抱き寄せ、
老人が立ち尽くす。
「戦争……?」
誰かが呟いた。
それは、
誰もが薄々理解していながら、
口に出さなかった言葉だった。
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城壁の上。
アレインは、
双眼鏡越しに行軍を見つめていた。
重歩兵。
盾列。
騎兵。
魔導兵。
補給馬車が、
延々と続いている。
「……三万」
副官が、
乾いた声で言う。
「間違いないな」
「はい。
先鋒だけで五千以上」
アレインは、
ゆっくりと目を閉じた。
――本気だ。
討伐でも、威嚇でもない。
制圧戦。
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「伯爵様」
別の将校が、
躊躇いがちに進み出る。
「町民が……
混乱しています」
「当然だ」
「逃げろと、
はっきり告げた方が……」
アレインは、
首を振った。
「恐怖だけを与えるな」
そう言ってから、
自分に言い聞かせるように続ける。
「まだ、時間はある」
だが――
それは、
自分自身を納得させる言葉でもあった。
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正規軍は、
あからさまに急がなかった。
陣形を保ち、
隊列を乱さず、
淡々と距離を詰める。
それが、
何よりも恐ろしい。
「……遊ばれてる」
町兵の一人が、
歯を噛みしめる。
「いや」
ベテラン兵が、
低く言った。
「消耗させる気だ」
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夕方。
正規軍の先頭が、
射程外で停止する。
そこから、
信じられない光景が広がった。
幕舎。
柵。
補給拠点。
一晩で、陣地が作られていく。
「……本当に、
戦争なんだな」
誰かの声が、
震えた。
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夜。
町は、
不自然なほど静かだった。
灯りは落とされ、
窓は閉ざされる。
いつもの酒場も、
今日は開かない。
人々は、
食料を抱え、
祈るように身を寄せ合う。
「王様が……
助けてくれるんじゃ……」
そう言った老女の声は、
誰にも拾われなかった。
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城内、作戦室。
地図の上には、
赤い印が無数に打たれている。
包囲予定線。
補給遮断点。
「完全に囲まれます」
副官が言う。
「二日……
いや、三日で」
アレインは、
無言で頷いた。
「民の退避は?」
「……想定より遅れています」
「理由は」
「“ここを離れたくない”と」
その言葉に、
アレインの表情が歪む。
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「……俺のせいだ」
誰にも聞こえない声。
守った。
救った。
戦った。
その結果――
信じさせてしまった。
「伯爵がいる限り、
大丈夫だ」
その幻想が、
今、民を縛っている。
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深夜。
正規軍陣地から、
角笛が鳴った。
一度だけ。
偵察兵が、
青い顔で戻る。
「将軍の布陣が、
完了しました」
「……夜襲は?」
「ありません」
それが、
答えだった。
余裕。
圧倒。
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城壁の上で、
アレインは立ち尽くしていた。
遠く、
無数の焚き火が揺れている。
星のように。
いや――
地上の星。
「あれが……
王国か」
胸の奥で、
何かが軋む。
それは、
怒りでも、
恐怖でもない。
失望だった。
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その夜、
グランデールの誰もが悟った。
これは、
小競り合いではない。
反乱の疑いでもない。
国と町の戦争だ。
そして――
逃げ場は、
もう、ほとんど残されていなかった。
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城の鐘が、
低く鳴る。
次に鳴る時、
それは――
戦闘開始の合図になる。
アレインは、
ゆっくりと拳を握りしめた。
「……間に合わせる」
誰にともなく、
そう誓って。




