破砕
聖獣はなお戦場の中央に立っていた。
白き翼を広げ、雷光を纏う巨大な存在。
王都の兵たちは、その姿を見上げていた。
神の使い。
古き魔王を討った聖獣。
この王国を守る最後の奇跡。
だが――
その光は、明らかに弱まっていた。
翼が揺らぐ。
輪郭がわずかに透ける。
聖獣の咆哮は、先ほどまでの天を裂く轟きではなく、どこか遠くの嵐のように聞こえる。
勇者は剣を握り直した。
「……聖女!」
聖女は神聖玉の前で膝をついていた。
両手で玉を支え、祈り続けている。
唇から血が流れていた。
神聖玉。
大聖堂に封じられていた王国の秘宝。
古の魔王討伐の際、聖獣を封じたとされる神具。
だが今。
その表面には無数の亀裂が走っていた。
細い線が、蜘蛛の巣のように広がっている。
聖女の指先が震える。
「まだ……持ちます……」
祈りを強める。
光が一瞬だけ強まる。
聖獣が咆哮する。
雷が再び戦場を焼いた。
アンデッドの群れが蒸発する。
屍巨人が倒れる。
黒騎士が砕ける。
城壁の兵たちが叫ぶ。
「まだ戦える!」
「聖獣様がいる!」
「勝てるぞ!」
勇者も再び踏み込む。
神聖剣が光る。
アレインへ斬り込む。
骨が砕ける音。
アレインの胸骨が粉砕される。
だが。
倒れない。
リッチの魂核はまだ健在だった。
アレインは勇者を見ている。
空洞の眼窩で。
その視線は、勇者ではなく――
後方。
神聖玉へ向いていた。
(限界)
媒体の耐久。
祈りの持続。
聖獣は永遠ではない。
勇者が再び斬撃を放つ。
剣聖も横撃を加える。
聖獣が雷を落とす。
戦場が白く染まる。
その瞬間。
神聖玉から小さな音がした。
ぱき。
聖女が息を呑む。
玉の表面の亀裂が広がった。
一本ではない。
何本も。
祈りを強める。
光が再び集まる。
聖獣が翼を打つ。
だが。
羽ばたきが重い。
聖女の手が震える。
血がぽたりと玉に落ちた。
「まだ……まだ……!」
城壁上で軍務卿が叫ぶ。
「維持しろ!」
王も立ち上がる。
勇者も焦りを覚える。
終わらせなければならない。
今ここで。
勇者は踏み込んだ。
神聖剣が光を放つ。
アレインへ振り下ろす。
その瞬間。
神聖玉の亀裂が大きく広がった。
ぱき、ぱき、ぱき。
聖女の顔から血の気が引く。
聖獣の身体が揺らぐ。
輪郭が一瞬だけ崩れる。
勇者の剣が止まる。
「……!」
聖女が叫ぶ。
「だめ……!」
だがもう遅い。
神聖玉に走る亀裂が、一つに繋がる。
蜘蛛の巣状のひびが、玉全体を覆う。
聖獣が最後の咆哮をあげる。
天を裂くような声。
雷が最大出力で落ちる。
戦場が白く爆ぜる。
アンデッドが数千単位で消滅する。
屍の海が蒸発する。
そして。
静寂。
聖獣の身体が、ゆっくりと透けていく。
聖女が泣き叫ぶ。
「まだ……!」
祈りを続ける。
だが神聖玉の亀裂は止まらない。
そして。
乾いた音が響いた。
――ぱきん。
神聖玉が割れた。
中央から真っ二つに。
聖獣の身体が崩れる。
翼が光の粒となって散る。
巨大な身体が、夜空へ溶けていく。
最後に残ったのは。
わずかな光の残滓だけ。
それも、風に消えた。
戦場は静まり返った。
城壁上の兵たちは声を失う。
誰も動けない。
誰も言葉を発しない。
ただ、見ていた。
奇跡が消える瞬間を。
聖女は崩れ落ちた。
砕けた神聖玉を抱きしめたまま。
勇者は立ち尽くす。
剣を握ったまま。
その視線の先。
戦場の中央。
そこに。
アレインは立っていた。
半壊した身体で。
胸骨は砕け、腕は欠けている。
それでも。
倒れていない。
黒い霧がゆっくりと彼の背後に集まる。
死の残滓。
アンデッドの魂。
戦場の亡霊。
それらが再び集まり始める。
城壁上で誰かが呟いた。
「……終わった」
奇跡が終わった。
聖獣はいない。
神聖玉は砕けた。
結界はまだある。
だが。
もう誰も「勝てる」とは言わなかった。
アレインが一歩前へ出る。
骨の足が石畳を踏む。
その音が、王都に響いた。
勇者は剣を構える。
だがその声は、先ほどまでの力強さを失っていた。
「……まだだ」
アレインは何も言わない。
ただ。
静かに杖を持ち上げる。
夜が、さらに深くなった。




