王都・進軍確定
王都ルミナスは、
今日も静かだった。
白壁の街路を、
貴族の馬車がゆっくりと行き交う。
市場では果物が売られ、
噴水の前では子どもが笑っている。
――辺境で、
血が流れたことなど、
誰も知らないかのように。
⸻
王城、第三会議室。
厚い扉が閉じられると同時に、
空気が変わった。
「……以上が、
グランデールにおける“衝突”の全容です」
報告官が、
一枚の書簡を机に置く。
そこには、
バルツァー伯爵家私兵団の壊滅的被害と、
グランデール側の損害が、
淡々と数字で並んでいた。
「被害差が……
あまりにも大きいな」
一人の貴族が、
眉をひそめる。
「ええ。
ですが問題は、そこではありません」
宰相が、
静かに口を開いた。
⸻
「彼が、撃退した」
その言葉に、
誰もが沈黙する。
伯爵アレイン・フォン・グランデール。
王国史上、
最年少で叙爵された男。
魔族迎撃の英雄。
だが同時に、
王命に従わぬ危険因子。
「彼は、
王都の制止を待たなかった」
「いや、
待てなかったのでしょう」
別の重臣が言う。
「向こうから攻め込まれている。
あの状況で、
何もしなければ町は潰れていた」
「それでも、だ」
宰相の声は、冷たい。
「王都の許可なく、
貴族軍を殲滅した」
⸻
言葉の意味を、
誰もが理解していた。
これは軍事問題ではない。
統治の問題だ。
「このまま放置すれば、
“王命より強い伯爵”が生まれる」
「他の辺境も、
真似をしかねませんな」
「反乱の前例になります」
その言葉が出た瞬間、
会議の流れは決まった。
⸻
「……ローデリック将軍を」
誰かが、
そう言いかけた。
宰相は、
頷く。
「はい。
すでに準備は整っています」
机の上に、
別の書簡が置かれる。
王国正規軍、
三万。
歩兵、騎兵、魔導部隊。
補給線も含め、
完全な戦争編成。
「“討伐”ではありません」
宰相は、
はっきりと言った。
「制圧です」
⸻
その頃、
グランデール。
町は、
勝利の余韻に包まれていなかった。
死体の処理が、
まだ終わっていない。
血を吸った土は、
黒く固まり、
鉄の匂いが風に残る。
町兵の一人が、
剣を洗いながら吐いた。
「……俺、
人間を斬ったんだな」
隣の兵は、
答えなかった。
答えられなかった。
⸻
アレインは、
戦場跡を歩いていた。
壊れた盾。
曲がった剣。
転がる兜。
どれも、
人のものだ。
「伯爵様」
副官が、
声をかける。
「王都から、
正式な返答はまだありません」
「……だろうな」
アレインは、
空を見上げた。
この沈黙は、
答えそのものだ。
⸻
夜。
町の集会所に、
兵と代表者が集まる。
「正規軍が来る……
って噂は、本当ですか?」
誰かが、
恐る恐る聞く。
アレインは、
隠さなかった。
「来る」
場が、
凍りつく。
「数は?」
「三万」
言葉が、
理解されるまで、
数秒かかった。
そして――
ざわめきが爆発する。
「無理だ……」
「勝てるわけが……」
「でも、
戦ったじゃないか!」
怒号と恐怖が、
入り混じる。
⸻
アレインは、
拳を握りしめた。
「聞いてくれ」
静かな声が、
場を支配する。
「逃げる準備をする」
「……え?」
「民を、
逃がす道を作る」
それは、
勝利ではなく、
生存の選択だった。
⸻
同じ頃。
王城では、
最後の署名が行われていた。
ローデリック将軍が、
膝をつく。
「王命、
確かに拝命いたしました」
王は、
彼を見下ろす。
「伯爵アレインを、
反乱貴族として制圧せよ」
「はっ」
「民の被害は、
極力抑えよ」
一瞬の間。
「……だが、
やむを得ぬ場合は、
致し方なし」
その言葉で、
すべてが決まった。
⸻
進軍命令は、
すでに走っている。
誰にも、
止められない。
グランデールへ向かう道に、
土煙が立ち始める。
それは、
戦争の始まりだった。
⸻
アレインは、
城壁の上で、
遠くを見つめていた。
まだ、
何も見えない。
だが確かに、
来ている。
「……間に合うか」
その呟きは、
風に消えた。
⸻
この夜、
王国とグランデールの間に、
決定的な一線が引かれた。
それは、
交渉の余地も、
引き返す道もない――
確定事項だった。




