王都の動揺
王都は、まだ戦後の匂いを残していた。
南方より侵攻した魔王軍を退けたとはいえ、城壁は損壊し、兵は疲弊し、民は怯えている。
勝利ではあった。
だが、余力はない。
その折、北門より急使が到着した。
「北方公爵家より、緊急報告!」
泥にまみれた騎手は、そのまま王城へと駆け込む。
⸻
玉座の間。
王の前で書状が読み上げられる。
「旧グランデール領にて、リッチと化したアレインと交戦。北方公爵軍、壊滅的損耗。撤退」
一瞬、意味を理解できぬ沈黙。
やがて、空気が凍る。
「……壊滅的?」
老侯爵が震える声で問う。
「北方公爵軍が?」
北方公爵家。
王国随一の軍事力を誇る名門。
騎士団の精鋭、重装歩兵の練度、魔導支援の統制。
対外戦争で幾度も勝利を重ねた軍だ。
南方の勇者遠征中、王都の盾とされた存在。
その軍が、敗北。
「あり得ぬ……」
誰かが呟いた。
王は低く命じる。
「勇者を呼べ。剣聖、聖女も同席させよ」
⸻
やがて三人が入室する。
勇者。
剣聖。
聖女。
南方戦線の英雄たちである。
報告を聞いた勇者は眉をひそめた。
「公爵軍が……?」
剣聖が腕を組む。
「北の連中は強い。正面から崩すのは難しい」
聖女は静かに問う。
「損耗の程度は」
側近が答える。
「詳細不明。ただし再戦困難との見通し」
勇者は黙り込む。
あのアレイン。
処刑したはずの男。
それが蘇り、北方公爵軍を退けた。
「……単独ではあるまい」
勇者が呟く。
「軍勢があるはずだ」
だが、規模は不明。
目的も不明。
進軍するとも、しないとも書かれていない。
ただ「敗れた」という事実だけ。
⸻
緊急招集がかけられた。
王都の有力貴族、軍首脳、財務官らが大広間に集う。
ざわめきは収まらない。
王が口を開く。
「北方公爵軍が、旧グランデール領にて敗北した」
どよめき。
「馬鹿な!」
「誤報ではないのか!」
「公爵軍だぞ!」
軍務卿が声を張る。
「誤報ではない。公爵自筆だ」
沈黙。
老練な辺境伯が低く言う。
「公爵軍は王国最精鋭。魔王軍の将と渡り合った歴戦だ」
別の貴族が続く。
「南方遠征中も、北を任せられたのはあの軍だけだ」
それが敗れた。
事実は重い。
若い伯爵が顔を紅潮させる。
「誰の責任だ!」
場がざわつく。
「もとはと言えば、アレインを処刑した判断が――」
「勇者殿の判断を疑うのか!」
「処刑後の監視体制はどうなっていた!」
責任論が飛び交う。
勇者は無言で立つ。
視線が集まる。
「処刑は正当だった」
静かな声。
「証拠も揃っていた。魔族との接触、禁呪の研究」
「だが蘇った!」
若い伯爵が叫ぶ。
「結果として、今この事態だ!」
剣聖が一歩前に出る。
「結果論だ」
低い声が場を鎮める。
「奴が蘇るなど、誰が予測できた」
沈黙。
だが、火は消えない。
老獪な侯爵が口元を歪める。
「公爵の判断にも問題があろう」
視線が集まる。
「旧グランデール領で、なぜ決戦を選んだのか。持久も可能だったはず」
軍務卿が反論する。
「北方は魔物も多い。放置すれば勢力を拡大させる」
「それでも壊滅だ」
侯爵は肩をすくめる。
「公爵家の威信は地に落ちたな」
その言葉に、北方派の貴族が立ち上がる。
「貴様!」
会議は混乱に傾く。
責任追及。
派閥争い。
南方派と北方派の対立。
こんな時でさえ、政争は止まらない。
王が杖を打ち鳴らす。
「静まれ!」
一喝。
静寂。
王は重く告げる。
「今は責任を論ずる時ではない」
それでも、不安は消えない。
財務官が震える声で言う。
「仮に……仮にだが、そのリッチが北を制圧した場合、税収は半減する」
現実的な恐怖。
軍務卿が続く。
「王都守備兵は南方戦で損耗している。再編中だ」
老伯爵が呟く。
「……王都へ来るのか?」
誰も答えられない。
報告には、進軍の有無は書かれていない。
目的も分からない。
ただ、北方公爵軍が敗れた。
それだけ。
勇者が静かに言う。
「情報が足りない」
「偵察を出すべきだ」
剣聖が頷く。
「奴の軍勢の規模を知る必要がある」
聖女も口を開く。
「アンデッドであれば、浄化は可能です。ただし数次第」
会議は、ようやく建設的な方向へ向き始める。
・北方への斥候派遣
・王都防衛の再点検
・城壁修復の優先化
・兵の再編
だが、その底に流れるものは同じ。
信じ難い、という感情。
北方公爵軍が敗れるなど。
王は最後に言った。
「我らは南方を退けた。王都は落ちぬ」
言葉は強い。
だが確信はない。
アレインの名が、静かに広間に残る。
英雄だった男。
死んだはずの男。
そして今、北方公爵軍を退けた存在。
進軍するのか。
しないのか。
分からない。
分からないまま、王都は再び身構える。
傷だらけの都に、
見えぬ影が差し始めていた。




