表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
116/145

壊滅

黒い嵐は、ゆっくりと収まっていった。


先ほどまで天を裂いていた瘴気の柱は霧散し、荒野には異様な静けさが戻る。


残っているのは、崩れた地形と、無数の亡骸。


北方公爵軍。


王国最強と謳われた軍勢は、見る影もなかった。


鎧は溶け、旗は焼け焦げ、魔導砲はひしゃげている。


生き残った兵は、わずかだった。


その多くが、膝をつき、武器を落とし、ただ呆然と前を見ている。


戦意という概念が、消し飛んでいた。


ノルディア公爵は立ち上がる。


折れた槍を杖代わりにして。


視界の端で、副官が倒れているのが見える。


胸を貫かれている。


息は、もうない。


公爵は歩く。


よろめきながらも。


十の亡骸の中央に、アレインが立っている。


黒い魔力は、もはや暴れていない。


静かだ。


それが余計に恐ろしい。


先ほどまで世界を飲み込んでいた存在が、今はただ沈黙している。


その足元に横たわるのは、旧グランデールの民。


自ら命を絶った十人。


彼らの顔は、不思議と穏やかだった。


公爵の胸が軋む。


自分が命じた。


自分が差し出した。


王国の盾として。


だが――


守れたものは何だ。


北方軍は壊滅した。


アレインは止まらなかった。


むしろ、解き放ってしまった。


「……閣下」


かすれた声。


若い騎士が、血に濡れながら立っている。


腕を失っている。


それでも剣を握っている。


「撤退、命令を……」


公爵は周囲を見る。


戦える者は、ほとんどいない。


アンデッドは動いていない。


アレインが命じていないからだ。


まるで、興味を失ったかのように。


公爵は理解する。


見逃されている。


今なら退ける。


だが、それは敗北を意味する。


北方公爵軍の完全敗北。


王国の盾の崩壊。


それでも。


「……撤退だ」


低く、しかし明確に言う。


「生き残れる者は、生き延びろ」


命令は、淡々としていた。


若い騎士が涙をこぼす。


悔しさか、安堵か。


分からない。


生き残った兵たちが、ゆっくりと後退を始める。


秩序はない。


だが、追撃は来ない。


アレインは動かない。


十の亡骸の前で、ただ立っている。


公爵は最後に、彼を見た。


視線が合う。


そこにあったのは、勝利の誇りではない。


怒りでもない。


ただ、深い闇。


公爵は初めて理解する。


これは戦争ではない。


復讐でもない。


断罪でもない。


これは、崩壊だ。


一人の男の。


そして王国の。


公爵は頭を下げた。


ほんの一瞬。


誰にも気づかれない程度に。


そして背を向ける。


荒野に、風が吹く。


黒い瘴気が、地面に沈んでいく。


アンデッドたちも、動きを止める。


主の沈黙に従うように。


やがて、戦場にはアレインだけが残る。


十の亡骸。


壊滅した軍勢。


焼け焦げた大地。


彼は、ゆっくりと膝をついた。


骨の指が、地面に触れる。


冷たい。


あの日の処刑台の石と、同じ冷たさ。


守れなかった。


二度も。


低い嗚咽のような音が、喉から漏れる。


涙は流れない。


もう、その器官はない。


だが確かに、何かが崩れている。


魔力が、静かに揺れる。


怒りではない。


悲嘆でもない。


空洞。


すべてを失ったあとの、空白。


遠くで、北方軍の残兵が消えていく。


追わない。


追う意味がない。


アレインは立ち上がる。


十の亡骸を、見下ろす。


「……もう、巻き込まない」


低い声。


それは誓いか、呪いか。


黒い魔力が、ゆっくりと広がる。


だが先ほどのような暴威はない。


制御されている。


冷たい。


理性を取り戻したわけではない。


感情が、凍ったのだ。


守れなかった記憶。


差し出された命。


それらが、決定的な何かを折った。


北方公爵軍は退いた。


だが王国は、まだ残っている。


王都。


教会。


勇者。


断罪を下した者たち。


アレインの眼窩の奥で、黒い光が静かに灯る。


「……次は」


その先の言葉は、風に消えた。


荒野には、ただ死と沈黙。


王国最強の盾は砕けた。


そして、怪物は一段階、深く沈んだ。


もう誰も、彼を止められない。


少なくとも。


正論や、戦術では。


物語は、戻れない地点を越えた。


北は敗れた。


王国は、真の災厄と向き合うことになる。


そしてその報は、やがて王都へ届く。


――北方公爵軍、壊滅。


その一行がもたらす衝撃を、まだ誰も知らない。


黒い荒野に、風だけが吹いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ