王都、討伐軍の報
王都ルミナスの朝は、いつもより静かだった。
王城の高窓から差し込む光は柔らかく、冬の気配を孕んでいる。
だが、評議の間に集められた者たちの表情は、ひどく硬かった。
「――グランデール伯、アレイン・フォン・グランデール。
反乱の疑い、なお濃厚」
宰相が読み上げる声が、石造りの壁に反響する。
「民心の掌握が異常。
王命の履行に消極」
「魔族相手では英雄。
だが、国内においては――危険」
その評価は、すでに結論に近かった。
王は、玉座からその様子を黙って見下ろしていた。
若き伯爵。
かつては期待した男。
だが今は――
勇者がいる。
それだけで、秤は大きく傾いていた。
⸻
「よって」
宰相が、区切るように言う。
「王都は、討伐軍の正式編成を提案します」
その瞬間、評議の間の空気が変わった。
これは、鎮圧ではない。
“討伐”だ。
王は、ゆっくりと口を開いた。
「指揮官は?」
待っていた言葉だった。
一人の将軍が、前に出る。
白銀の髪。
整った口髭。
老練な軍人の眼。
「ローデリック・フォン・ハインツ。
王国正規軍第一方面軍、総司令官」
名が告げられた瞬間、室内にどよめきが走る。
彼は――
国内戦の専門家だった。
魔族相手ではない。
反乱、鎮圧、貴族同士の戦――
そうした“汚れ仕事”を任されてきた男。
「兵力は?」
王の問いに、ローデリックは即答した。
「正規軍三万。
うち重装歩兵一万二千。
騎兵八千。
魔導兵四千。
補給部隊を含め、総数三万五千」
圧倒的物量。
辺境伯――否、伯爵一領の軍で抗える数ではない。
評議会の貴族たちは、満足げだった。
「これで終わる」
「無駄な混乱も収まる」
誰かが、そう呟く。
だが、王はまだ頷かなかった。
⸻
「勇者はどうする」
その一言で、再び場が引き締まる。
勇者。
国の象徴。
民の希望。
彼を、国内戦に使うのか。
宰相が慎重に言葉を選ぶ。
「……勇者一行は、現時点では別動とします。
討伐軍が苦戦した場合、最終的な切り札として」
王は、わずかに目を細めた。
それでいい。
勇者を、アレインにぶつけるのは――
まだ早い。
まずは、軍で削る。
もし、それで終わればそれでいい。
終わらなければ――
その時は、勇者に“正義”を与えればいい。
「……よかろう」
王の言葉で、全てが決まった。
⸻
その日のうちに、王命は下された。
『グランデール伯アレイン・フォン・グランデール。
王命に背き、反乱の疑いあり。
正規軍をもって、これを鎮圧する』
文言は、冷たい。
だが、王国にとっては“正当”だった。
⸻
一方、その報せがグランデールに届いたのは、二日後の夜だった。
北からの風が、城壁を打つ。
伝令は、震える手で書簡を差し出した。
「……王都より」
アレインは、受け取る前から察していた。
封を切り、読み終えた後。
彼は、静かに目を閉じた。
「来たか」
それだけだった。
驚きはない。
恐怖もない。
ただ――
確信。
「これは、交渉ではない」
評議会の面々が息を呑む。
「戦争だ」
その一言で、全てが変わった。
もはや、“疑い”ではない。
王国は、力で潰しに来る。
⸻
「兵数は?」
アレインの問いに、軍務長が答える。
「推定三万以上。
正規軍、全面展開です」
誰かが、呻くような声を漏らした。
三万。
こちらは、どう多く見積もっても五千。
しかも、疲弊している。
だが。
「……やるしかない」
アレインは、そう言って立ち上がった。
「防衛戦に切り替える。
正面衝突は避け、地形を使え。
民の避難を最優先に」
迷いはなかった。
この町は――
戦う覚悟を、すでに選んでいる。
⸻
その夜。
アレインは一人、城壁の上に立っていた。
遠く、闇の向こうに、敵がいる。
王国軍。
かつて、守ろうとした国。
「……ここまでか」
呟きは、風に消える。
だが、その背中には、逃げる影はなかった。
彼は知っている。
この戦いは、勝てない。
それでも――
守らなければならないものがある。
それだけで、十分だった。
王都が軍を動かしたという事実は、すでにグランデールの空気を変えていた。
それは号令でも悲鳴でもなく、もっと静かで、しかし確実に人の心を削る種類の圧だった。
緊急で開かれた評議会の席に着いたアレインは、開口一番で何も言わなかった。
言う必要がなかった、と言うべきかもしれない。
全員が知っている。
王国正規軍、約三万。
その数字が、誰の口からともなく共有されてから、三日が経っていた。
「……では、こちらの動員数を再確認します」
評議会書記のラルスが、震えを抑えた声で口を開く。
「町兵、常備兵あわせて二千三百。即応可能なのは千八百。
予備役、義勇兵を含めれば最大で五千……ただし――」
そこで言葉が切れる。
「全員が戦えるとは、考えない方がいい」
アレインが静かに引き継いだ。
「武装、訓練、士気。どれを取っても差がある。
五千というのは“名簿上の最大値”だ。実戦で使えるのは四千を切る」
誰も反論しなかった。
むしろ、思っていたより多い、という空気すらあった。
グランデールは、戦える町だった。
魔族侵攻、盗賊、魔獣――生き残るために鍛えられてきた。
だが。
「三万に対して、四千」
誰かが、数字を声に出した。
「正面から当たれば、潰されます」
「ええ」
アレインは否定しない。
「だから正面からは戦わない」
その一言で、視線が集まる。
「地形を使う。分断する。補給を叩く。
――ただし、それでも」
彼は一瞬、言葉を探した。
「“勝つ”戦ではない。
“耐える”戦だ」
重い沈黙。
勝利ではない。
撤退でもない。
耐える。
それはつまり、犠牲を前提とした戦い方だった。
「……町は、どれくらい持つでしょうか」
年配の評議員が、絞り出すように尋ねる。
「食料は二ヶ月。節制すれば三ヶ月。
だが、包囲されれば水が先に尽きる」
「民の避難は?」
「不可能です」
アレインは即答した。
「王都が討伐を決めた以上、
“逃げる民”は反乱分子と見なされる」
誰かが歯噛みした。
この町は、すでに疑われている。
否定しても、否定しても、疑いは消えない。
「……領主様」
若い町兵が立ち上がる。
「それでも、戦うんですよね」
問いではなかった。確認だった。
「戦う」
アレインは迷わず答えた。
「だが、無意味に死なせない。
この町を守るための戦い以外は、させない」
その言葉に、何人かが拳を握った。
忠誠。
信頼。
それが、今や重荷になり始めていることを、アレインだけが自覚していた。
(……民が、引けない)
王都と違って、この町の人間は彼を信じすぎている。
だからこそ、逃げろと言えない。
評議会は夜まで続いた。
防衛線の再配置、倉庫の管理、薬草と魔力回復薬の配分。
すべてが「来る戦」を前提に動いている。
会議が終わったあと、アレインは一人、城壁に立った。
遠くに見える平原。
あそこから、王国軍は来る。
「……俺が、選んだ道だ」
誰にも聞こえない声で呟く。
王国に背く気はない。
だが、民を差し出す気もない。
その狭間に立たされている。
夜風が冷たい。
町は静かだった。静かすぎるほどに。
この静けさが、いつまで続くのか。
その答えを、彼はもう知っていた。




