北方公爵家からの返答
北からの使者が到着したのは、夜明け直前だった。
城門の前で止められた馬は泡を吹き、使者自身も鞍から落ちる寸前だった。
それほど急がせたのだろう。
アレインは、報せを受けるとすぐに執務室へ通すよう命じた。
薄暗い室内。
灯されたランプの火が、壁に揺れる。
使者は北方公爵家の紋章を胸に掲げた若い騎士だった。
年は二十前後。
だが、その顔には覚悟が張り付いている。
「北方公爵家当主、ヴァルド・フォン・ノルディア様より、書簡を預かっております」
差し出された封蝋は、確かに本物だった。
アレインは一礼し、封を切る。
⸻
文面は、短かった。
だが、一行一行が重い。
⸻
『グランデール伯アレイン殿。
貴殿の置かれた状況、看過できぬ。
北方公爵家は、民の退避先の確保を条件付きで受諾する』
――受諾。
一瞬、胸が緩む。
だが、続く文を読んで、息を詰めた。
『ただし、以下の条件を伴う』
条件。
それは、予想していた。
だが、現実として突きつけられると、言葉の重みが違う。
⸻
『一、北方公爵家は王命に反する軍事行動を取らない。
一、グランデールが正式に反乱と断じられた場合、当家は軍を動かさぬ。
一、民の受け入れは“非戦闘民に限る”。兵、武装者は除外する』
さらに、最後の一文。
『一、アレイン殿本人は、北方領に入ることを許可しない』
⸻
室内に、沈黙が落ちた。
アレインは、ゆっくりと紙を机に置いた。
これが、北方公爵家の限界だった。
王国に逆らわず。
しかし、完全に切り捨てもせず。
――絶妙な線。
政治的には、極めて誠実だ。
そして、残酷でもある。
「……民だけ、か」
呟きは、独り言に近かった。
使者は視線を伏せたまま、言葉を継ぐ。
「当主は……苦渋の判断だったと」
アレインは顔を上げる。
「どういう意味だ?」
「王都から、北方公爵家にも圧がかかっています。
もし全面的に貴殿に与すれば――
次は、我らが討伐対象になりかねない」
つまり、これ以上は踏み込めない。
それでも。
それでも、民を受け入れるという判断をした。
アレインは、深く息を吐いた。
⸻
「十分だ」
思った以上に、声は落ち着いていた。
「この条件で構わない。
……いや、むしろ、感謝すべきだろう」
使者が、驚いたように顔を上げる。
「よろしいのですか?」
「ああ」
自分が入れないことなど、最初から分かっていた。
自分は――
王国から見れば、危険人物だ。
受け入れられるはずがない。
だが。
「民が生き延びる道が、一つでも増えた」
それだけで、十分だった。
⸻
使者は深く頭を下げる。
「当主より、口頭での伝言も預かっております」
「聞こう」
「――『アレイン殿。貴殿は間違っていない。
だが、正しい者ほど、国に嫌われる』」
その言葉に、アレインは小さく笑った。
「……まったく、その通りだ」
⸻
使者が去った後、評議会が再び招集された。
条件の説明が終わると、室内は騒然とした。
「領主様が行けないなんて……!」
「兵を置いて、民だけを逃がすなど……」
怒り。
不安。
絶望。
それらが入り混じる中、アレインは静かに口を開いた。
「これは、敗北条件じゃない」
視線が集まる。
「生存条件だ」
誰も、すぐには反論できなかった。
「王都が本気で討伐に動けば、この町は持たない。
なら、せめて――
次に繋げる」
その言葉に、老兵の一人が歯を食いしばる。
「……領主様は、最後まで残るおつもりですか」
アレインは、即答した。
「当然だ」
それ以外の選択肢など、最初から存在しない。
⸻
会議が終わり、再び夜。
アレインは城壁に立ち、北の空を見た。
まだ、星は見えている。
だが、その向こうでは――
確実に、討伐軍が動いている。
「……時間は、少ないな」
北方公爵家は、手を差し伸べてくれた。
だが、それは同時に、
王国が引き返さないことの証明でもあった。
この町は、もう戻れない。
残された道は一つ。
――守り、耐え、稼ぐ。
その先に、何が待っていようとも。
アレインは、静かに拳を握り締めた。




