玉手箱の作り方
先日四国の漁師町に行ってきた。
漁港というのは潮臭いだけで何の魅力もない。唯一褒められるのは、陽の光を花畑のように反射させる青い海だが、五分も見ていれば飽きてしまう。
そんな海を間近で見えることを売りにした飲食店で出会ったのは、長年船に乗り曳網漁をしていたと語る汐田という爺だった。汐田は老年にしては体も鍛え込んでおり、今でも船に乗り網を引けるのではないかと思えるほどに衰えを見せなかった。
だが汐田は船に乗らないという。
「人魚が出るからな」
古くからこの町の人間たちは、海には人魚がいるのだと伝えられて来た。それも童話や御伽話に出てくる夢のあるものではなく、町民を襲い海に引き摺りこむ恐ろしい怪物なのだと。されど大半は伝承だ都市伝説だと信じない。地元の若者が信じない話を余所者が到底信じるはずもないのだが、汐田の目は本気だった。
「人魚は老骨を襲う。沖に出た船から年老いたものだけが神隠しのように消えるのだ」
衰えた体が揺れる船縁に足を取られ落ちたのだろう。或いは酒に溺れたか。私は日本酒を一口含み小馬鹿にするように憶測を語ったが、そうではないと汐田は強く否定する。
「儂は見たのだ。船長が海から伸びた白い腕に足を掴まれ沈んでいく様子を」
汐田は心底怯えた様子で、眼球はカタカタと揺れ、身悶える体をあやすように火酒を呷った。
「誰も信じてはくれなかった。船長が溺れたというのなら、そのアホ面を拝んでやろうと成彦が裸一貫で飛び込むまでは」
その日の海は穏やかだったという。風は弱く波も立たず、忌々しいほどの快晴だった。海と共に育った男たちにとっては危険とは言い難い。英雄になる勇気は自然が与えたということなのだろう。成彦は船長を助けようとした。
「だが、すぐに帰って来た。成彦は身を温めようともせず、船を発進させようとした」
何があった。当然船員は尋ねる。成彦は怯えた声で答えた。
人魚が船長の腕を絞っていた。肉は裂かれ血が紐のように伸びて助けを求めていた。裂いた血肉はふやけてそこから泡が漏れていた。ブクブクと桃色の混ざった白い泡。
「人魚がそれを、黒い箱に、元旦の重箱のようなものに集めていた」
それから数ヶ月。成彦は怯えたように家に引き篭もり、船の網に萎み千切れた老人が引っ掛かったという知らせと共に事切れた。
漁師町からの帰り際、もう一度海を眺めた。
キッチンカーの映え飯を海鳥の餌にする観光客を。ベンチに座り液晶に目を落とす子どもを。漁に出る若く逞しい男たちを。
老人のいない海を。




