すきなもの ‐3‐
初めて彼を知ったのは、大学生のときだった。流し見していたSNSで彼の格闘ゲームの大会での動画が紹介されていて、なんとなく見てみたのだ。紗奈自身はゲームはしないが、弟が好きなので全く知らない世界ではなかった。
そこからいろんな動画を見て、どんどんのめり込んでいった。大会に参戦すると知って、貯めたアルバイト代で観戦チケットを買って初めて間近に見たときは、心の底から感動した。ステージで見せる笑顔や、どんなときでも丁寧で腰が低いのもとても良かった。公式グッズが発売されたときは、やはり貯めたお金で出来る限りのものを買った。
「初めて推しというものがわかった気がしました。見ていて楽しいだけじゃなくて、元気がもらえるというか……」
「頑張ろうって思える的な?」
「そう、ですね。もうすぐ大会に応援に行けるから、それまで頑張るぞ、という気持ちになってました」
「あーいいですね、それって大事っす」
アメリがこくこく頷いてくれる。
「Lionaがきっかけで友人ができるのも嬉しくて」
イベント会場やSNSで出会った人たちはたくさんいる。同性が多いけれど、男性がいないわけでもない。年齢も様々だ。もしLionaに出会っていなければ、繋がらなかったであろう縁ができるのは、自分にとっては新鮮でとても楽しいものだった。
「でも、いろんな人がいるんですよね」
今日はLiona推しとしてSNSで仲良くなったメンバーでアフタヌーンティーに行こうと計画していた。既に何度も会っている人も、はじめましての人もいた。紗奈はいつものように楽しみにして行った、はずだった。
「ファンアートもすごいんです。まるでプロのイラストレーターみたいに上手くて。そんな人がごろごろいて」
元々、SNSでも引け目を感じることは増えていた。
Lionaは男女共にファンが多い。動画配信もやっているし、そちらもかなりの人数がチャンネル登録をしている。だからいろんなファンがいるのは当然だしわかっている。
だけど目立つのは、ファンアートと呼ばれるイラストを描ける人たちの投稿だ。最近では推しぬいの波もやってきて、彼をモデルにしたぬいぐるみや、モチーフのライオンやウサギを作る人たちも増えてきた。なかにはLionaがプレイしたゲームをモチーフにクッキーやケーキを作る人までいる。
そしてそれは、Liona自身の目にも留まる。動画の配信でファンアートについて感謝の言葉を口にしたり、SNSでいいねのボタンを押したり。けして彼がそういう人たちだけを優遇しているわけではない。
けれどそういうのが一切できない紗奈は、羨ましさ以上に、自分は何もできないんだと卑下してしまう気持ちを強く持つようになってしまった。
そしてさらに、今日、自分とは天と地ほどの差がある人に出会ってしまった。
彼女の鞄には、Lionaが公式グッズとして出した缶バッチが全種類ついていた。しかもそれはランダムグッズのものだ。紗奈も買いはしたものの、とてもじゃないが全種類は集められていない。
それどころか、彼女の鞄からは手作りだという推しぬいも出てきたし、限定で即完売してしまったアクリルスタンドやキーホルダー、ステッカーまで全てが揃っていた。
『推しは推せるときに推せって言うじゃないですか。だからいつだって全力です』
そう言いながら笑う彼女を紗奈は真っ直ぐ見ることができなかった。しかも彼女は自分より年下の大学生だ。働きながら、なんとか推し活のために費用を捻出している自分が情けなくなってしまった。
「みんな、すごいんです。グッズのために何万も使うし、イベントだって全部参加して……私は全然。いつもこれぐらいなら、って。グッズが出ても見送ることも多いですし」
紗奈は自嘲気味に笑ってみせる。
『ぬいぐるみ作れるのすごいね』
『Lionaのために勉強しました!』
『じゃあ初めて作ったの?』
『そうです。それぐらい推しのためなら当然かなって』
Lionaが大会の優勝記念に作った限定Tシャツを着た彼女は、にっこりと笑っていた。
そこまでの情熱を、自分はかけていなかった。絵も描けないし器用でもないし、と挑戦すらしなかった。
だから恋人にも理解してもらえなかったんだろうか。あの人みたいにデートに行くお金を削っても、推しにつぎ込むべきだったんだろうか。できないんじゃなくて、そこまで好きじゃないからやらないだけなんじゃないだろうか。
「まあ、好きって気持ちが溢れたときにどういう行動をするかってことっすよね」
「え?」
いつの間にかアメリの前にも湯飲みが置かれていた。彼女はそれを両手で包み込むように持ちながら、一口飲む。
「最高! 大好き! ってなったときに、絵を描いてその気持ちを……えーとこういうのは消化……昇華か、してるんじゃないかなって」
「好きという気持ちの表現方法が絵、ってことですか」
「そうそう。それがお金の人だっているわけだし、SNSでがっつり宣伝するタイプもいるわけじゃないですか」
わからなくはない、と紗奈も一口お茶を飲んだ。
しかし同時に、暗く重たい気持ちものしかかってくる。
「ならやっぱり私は、たいしたことないんだろうなあ」
自嘲気味に笑うと、自然と目線が下がってしまう。
Lionaのためにしていることは、グッズを買うこととイベントに応援に行くこと、あとはせいぜい動画を見ることぐらいだ。
「お金だって、全部をつぎ込めもしないし」
「おねーさんはきっと時間っすよ」
からりとした声が、不意に響いた。顔を上げると、アメリが形の良い唇でにっと笑っている。
「時間?」
「そうそう。だってグッズと買うときに悩んでるってことじゃないですか」
それはそうだ、と紗奈は頷く。
「悩んでるその時間って、Lionaのこと考えてるわけですよね。それに大会とかイベントって、そこに行くまでにもいろいろ考えてスケジュールとか調整して、時間かけてるんすよ。それができるって、好きだからじゃないですか?」
――そう、なのだろうか。
そう言われても紗奈はいまいち飲み込めはしなかった。時間をかけたところで、何がすごいのだろう。それはLionaどころか、誰にも伝わらないのだ。
「一日は二十四時間しかないからね。そのうちの多くは生きていくために必要だから、案外、好きなことに使える時間は限られているんだよ」
すっ、と目の前に皿がふたつ置かれた。祈七の低い声は、その所作同様にとても綺麗だった。
思わず視線を上げてその顔を見てしまう。穏やかな微笑みもまた絵に描いたように美しい。
「そしてそれは、自分さえわかっていればいい」
え、と紗奈は小さく驚いた。