すきなもの ‐2‐
「祈七さーん、お客さんです」
ガラスのショーケースの手前から、ルビーレッドの髪の毛を揺らして女の子が呼ぶ。ショーケースの中には、まるでアイス販売店のように、あんこやみたらしが並べられていた。メニュー表やポップには、やはりウサギが描かれている。
「いらっしゃい。アメリちゃん、ありがとう」
これぞ美声と言わんばかりのハスキーボイスで現れた人を見て、紗奈の背筋が思わず伸びた。背こそアメリと呼ばれた彼女より低いものの、某歌劇団の男役トップ俳優では、と勝手に信じ込むほどのイケメンだった。女性だと気づいたのは、身体の線やちょっとした仕草からだ。
思わずアメリを見る。彼女はモデル並みにスタイルがよくかわいらしい。祈七と呼ばれたおそらく店長であろう彼女を見る。やはり王子然としたかっこいい女性が立っている。自分より年上だとは思うものの、全く読めない。
「店長、びっくりすぐらいイケメンっすよね。わかります」
そんな紗奈を見て、アメリはにっと笑いながら親指を立てた。
「食べていきますか? それとも持ち帰りで?」
しかし祈七はそんなことは気にも留めず、さらりと言ってメニュー表を見やすくなるように整えてくれた。
横を見ればイートインスペースがある。他に誰も客はいなかった。
どうしようか、とここに来て紗奈は悩んでしまった。餅なんて正月ぐらいにしか食べない。持ち帰ると固くなったりするんだろうか。先ほど見た地図アプリだと家まで二十七分だった。それぐらいなら平気な気もするけれど、持って歩くのに気を遣うのも疲れる。
メニューも、あんこや醤油など知ってるものから、ハニーバターや季節のフルーツソース、トッピングにアイスなど、想像していなかったものまであって、余計に悩んでしまう。
「良かったら、味見してみますか?」
じっとメニュー表を見て黙ってしまった紗奈に、店長が言う。思わず顔を上げると、美しい顔でにっこり微笑まれていた。
「昼過ぎについたので、まだ柔らかくて美味しいですよ」
そう言われてみて、紗奈はついたばかりの餅というものを食べたことがないと気づいた。正月に食べる餅はスーパーで買ってくる個包装のもので、それだって余らせては母が仕方なしに昼ご飯代わりに食べている。
それなら、と頷くと祈七はさっとビニールの手袋をつけた。ショーケースの向こうで餅を小さく契り、ウサギの絵が描かれた小皿に乗せる。
「砂糖醤油でいいですか?」
そう問われ紗奈はまた頷く。白玉ほどの餅に、祈七はざらめをぱらりとかけ、醤油をひと匙かけた。つまようじを刺して、どうぞと渡してくれた。
「ありがとうございます。いただきます」
すでに紗奈が知っている餅と食べ方が違った。紗奈の家ではせいぜいお雑煮と磯部焼きぐらいである。砂糖醤油で食べるという文化は知っていたものの、ざらめをかけるとは思わなかった。
口に入れると、まず醤油の味と香りが広がる。そしてジャリっとざらめがが歯に当たる。
しかしそれ以上に、餅の触感が驚きだった。いつも食べるものは柔らかいし軽いけれど、これは違う。もちっとねちっとして噛みごたえがあるうえに、お米の甘さのようなものが濃い。サイズは小さかったのに、餅を食べたという満足感が高い。
「美味しいでしょ、祈七さんのお餅」
いつの間にかエプロンをつけていたアメリがショーケースの横で自慢げに笑っている。
「美味しいです……私、あんまりお餅って食べたことなくて」
「ありがとうございます。お持ち帰りになるのなら、お餅とトッピングは別にしますから、万が一固くなってもレンジで温めれば大丈夫ですよ」
そう言って祈七はその手順を書いた紙を見せてくれた。綺麗な字でつづられた紙にもやはりウサギがいる。
それを見る限り、家で食べるのも難しそうではない。けれどせっかくだから、固くなる前にもっと食べてみたかった。
「食べていってもいいですか」
紗奈が言うと、祈七は極上の笑みで「もちろんです」と応じてくれた。それだけで何人か落とせそうだなと思うほどには、魅惑という言葉がぴったりだった。
しかし今度はなんの味にするか迷ってしまう。タレというのかフレーバーというのか、ショーケースに置かれていないものも含めると二十種類ぐらいあるのだ。しかもさらに海苔やチーズ、フルーツなどのトッピングまで選べる。
それに気づいてくれたアメリがいろいろと紹介してくれた。彼女のおすすめだというハニーバター海苔やピザ餅にも非常に惹かれたものの、紗奈はくるみ餅と磯部焼きを選んだ。
「ご用意しますので、座ってお待ちください」
祈七はそう言って、のれんの奥に一度消えていった。
イートインスペースはそこまで広くない。祈七が立っていた作業スペースに向かってカウンターに椅子がみっつ、椅子二脚のテーブルがひとつ。それと改めて見ると、店の前に二人ぐらい座れそうなベンチが置かれている。
紗奈はアメリに勧められてテーブルに腰を下ろした。そこに慣れた手つきで彼女はお茶を置いてくれた。
そして何故か、向かいに座る。
え、と思っているとアメリが笑った。
「Lionaの好きなとこってどこなんですか」
店員なのにいいのだろうか。そう紗奈が思いつつ、祈七が入っていったほうを見ると、ちょうど彼女が出てきた。
しかし祈七は何も言わず、調理を続けている。
「あ、あたしの仕事なんで、これも」
そんな紗奈の心を読んだかのように、アメリが言う。
――そんなキャバクラとかクラブじゃないんだから。
と思うものの、紗奈はそれらのことだってろくに知らない。そういえば昔付き合っていた人が、友人にキャバクラに連れて行かれてからすっかりはまってしまって、酷い目にあったことを思い出す。自分はキャバ嬢のなんとかちゃんのためにとか言っておきながら、紗奈がLionaのファンデあることをよく思わない人だった。
思わずため息をつきそうになって、出してくれたお茶を一口飲む。温かいほうじ茶だった。
「好き、なんですかね……」
そのほっとする味に気が緩んだらしく、正直な気持ちが口をついて出てしまった。気づいて慌ててももう遅い。アメリがじっとこちらを見ていた。といっても問いつめるような目はしていない。
むしろ、話を待っているように見えた。
「好きだと思って……ずっとファンで、大会とかも観に行って応援してたんです」
そのせいなのか、後戻りできないと思ったのか、紗奈の言葉はするりとこぼれ落ちていった。